ジャズ・ミュージシャン

2011年2月23日 (水)

普通の演奏

昼にピアノの練習をしていて、とある曲の参考音源を聴きたくなった。

自宅のパソコンのハードディスク内を検索していたら、先日他界したばかりのGeorge Shearing のものが出て来たので聴いてみた。単なる偶然だ。最近亡くなったから哀悼の意を込めて聴いてみよう、とした訳ではない。

聴いてみて少々驚いたが、これが思いの外に素晴らしかった。何というか、とても「普通」で、それゆえにとても素晴らしいのだ。

George Shearing という、イギリス生まれの盲目のピアニストは、喋るようにピアノを弾く。音楽を奏でる。それも、とびきりユーモアに溢れ、コミュニケーションとしての会話術に長けた人が喋るように。

一部の人にしかわからないような難解な日本語、或いは外来語を存分に散りばめながら喋る人間を見ると、「馬鹿だ」と思う。ちょっと気の毒にすらなる。往々にしてそういった人はひどく饒舌で、会話が一方通行になりがちだ。語彙があまりに貧困に過ぎても同様の事になりがちだが、要するに会話がコミュニケーションとして成立していないのだ。酔っ払った時の私もこういう状態になる事がままある。言うまでもなく、「馬鹿だ」。

George Shearing の音楽は、或る意味ではそういう状況とは対極にある。極めて自然にスイングし、そして無理のない「白人らしいブルースフィーリング」に溢れている。

私が今日探していたのは、Duke Ellington のとある楽曲なのだが、George Shearing はエリントンにきちんと敬意を払いつつ、しかし決してエリントンの模倣に堕さない「普通の演奏」に終始していた。

それを聴きながら私の脳裏に浮かんだのは、前述の「会話の上手い人」だ。中学生でも理解できるような語彙で、過不足なく自らの伝えたい事を話す。発話者としてのみならず、対話者の言葉にも耳を傾ける余裕がある。一言で言えば、とても寛いだ雰囲気のある演奏なのだ。

これは、言葉で言う以上に大変に「難しい」事だ。どうしても必要以上に饒舌になったり、或いは寡黙になり過ぎてしまう。中庸、という塩梅は難しい。

George Shearing 。先日亡くなった時には91歳であったという。長生きをした理由が、彼の演奏から何となくわかる。

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2010年10月 5日 (火)

アブドゥーラ・イブラヒム

アブドゥーラ・イブラヒム。南アフリカが産んだ奇跡のピアニスト。彼の三日間に渡る来日公演が、終わった。

東京で一回。京都で二回。幸運にして、私はその全ての公演を見る事が出来た。私なりに、その感想を書いてみたい。

幾つかのキーワードが私の中にあるのだが、その中の一つは「眩暈」である。一回目の東京公演を観ている際に、私は「眩暈」のような感覚に襲われた。身体が痺れ、視界が歪むような感覚だ。しかし不思議な事に、それは決して不快な感覚ではなかった。

同じような眩暈の感覚が、京都公演の一日目には、より強固な感覚となって顕れた。私はすぐにそれが目の前のアブドゥーラ氏によってもたらされたものだとわかった。

その感覚を、東京の初日と京都の初日に関しては、私は自らの中から排除しようとしていた。脳をよりクリアにし、アブドゥーラ氏の演奏を隅から隅まで記憶しよう。そう考えていたからだ。やって来る眩暈の感覚は、私の感知能力を鈍らせるような気がしたからだ。

京都公演の二日目、千秋楽の日。私はその感覚を受け入れる事を試してみた。案の定、演奏が始まればその眩暈はすぐに私の元へやって来た。私は覚悟を決めた。それを排除せずに、眩暈の中でアブドゥーラ氏の音を浴びよう、と。

すると、未だかつて体験した事の無い、まるでドラッグでトリップするかのような心地が私にやって来た。音楽が、或いは音そのものが、私の身体に一つずつ染み込んでゆく。その瞬間には既に音楽は「聴くもの」から「感じるもの」へと変容していたし、更には「当たり前にただそこに在るもの」へと形を変えていた。私という存在とそこにある音楽は極限まで抽象化され、分離した二つの存在から溶け合った一つの現象へと。

私は思った。アブドゥーラ氏は私を解体した、そして世界を解体した、と。

私の身体を不自然に繋ぎ留めていたネジが、彼の一音によってするすると緩められる。世界のネジもまた緩められる。私の身体が、記憶の海に溶ける。そして、音楽が全てを包み込む。

そのような感覚は、私にとっては最も非日常的な感覚であったのだが、どうやらそれは私だけに訪れた感覚ではないようだった。公演を観終わった聴衆から、「ふわふわする」、「不思議な感覚」などの感想を幾つか聞いた。それはやはり、アブドゥーラ氏によって世界を解体された痕跡なのだろうと私は思った。

彼の音は、本当にスッと身体の中に入り込む。染み込むように入り込むと言っても良い。そんなにも簡単に身体に入り込む音を私は他には知らない。そしてそれは、三年前に同じ場所で彼が紡ぎ出した音よりも、更にその様相を強めていた。

アブドゥーラ氏は、2003年と2007年にも、京都上賀茂神社にやって来て演奏をしている。私もそれは観ている。しかし、その時よりも彼の演奏は変化している。傲慢な物言いになる事を承知で言えば、彼は以前よりも上手くなっているし、良くなっている。以前の音よりも今の音の方が遥かに簡単に身体に染み込む。音楽が、音楽である事を一瞬忘れてしまうほどに自然なものになっている。これは俄かには信じ難い事だ。まさしく、奇跡だ。

幸運にも彼と喋る機会に恵まれた私は、彼に尋ねてみた。

「あなたはこれからどこへ向かうのですか?どのように変わっていかれるのですか?」と。

彼は一言、「No idea(わからない)」と言った。

そしてこう続けた。「私はこれまでに自分でどこかへ行こうと思った事はない。いつも連れて来られただけだ」と。

私は「何によって連れて来られたのですか?」と尋ねた。

やはり彼は一言で答えてくれた。親指で自らの胸を指差して、「my soul(私の魂だ)」と。

全て、とまではいかないが、かなり多くの事が私にとって合点がいった。なるほど彼が若い頃から現在にかけて、三年前から今日にかけて、少しずつ、しかし確実に変わって来たのは、至極当然なのだと。彼の音楽は、比喩的な意味でなく実際的な意味で「魂の音楽」なのだ。魂に正直にある事こそが、彼の音楽的な変化をもたらしている。それこそが、彼の音楽が唯一無二の存在である理由なのだ。誰にも辿り着けない、まさに高みの際である。

余談になるが、京都公演の初日、私と嫁の奈美子は、上賀茂神社内で日中に結婚式を挙げた。私も奈美子も京都公演に関してはボランティアスタッフとして参加していた為、会場設営などの間のほんの20分、空いた時間に上賀茂神社の神主さんに祈祷の儀式をして頂いた。私も奈美子もアブドゥーライブラヒムコンサートのスタッフTシャツ、という出で立ちで。

私と奈美子と立会人と神主さんのたった四人。質素にひっそりと挙げた式だったが、私はとても満足した式だった。金をかけて豪華にやるばかりが全てではない。心のこもった小さな式も、決して悪くはない、と。

その事を、今回の主催者である「lush life」のマスターが、アブドゥーラ氏に伝えた。

「アブさん、あいつらついさっき結婚式して来たんですよ、すぐそこで」と。

するとアブドゥーラ氏は私たちに向かって「おめでとう」と言った後に笑顔でこう言った。「今日は君たちの為に結婚の曲を弾くよ、聴いていてね」と。

そんな事は、有り得ない事なのだ。

私も知り合いの結婚式でピアノを弾いてくれと頼まれた時には、必ずアブドゥーラ氏の作曲した「The Wedding」を弾く。それはすごく美しい曲だし、私は本当にアブドゥーラ氏を尊敬しているからだ。

それを、作曲した本人であり、世界最高峰のピアニストであるアブドゥーラ・イブラヒム氏本人が弾いてくれる事など、有り得る筈が無い。

しかし、実際には有り得てしまった。

コンサートの終盤、印象的な五連符と共に、その曲は奏でられた。

過剰にドラマチックにならず、まさしく染み込むようにスッ、と、その曲は奏でられた。

私は溢れる涙を堪えられなかった。一生忘れ得ない、最高の演奏だった。

その翌日、アブドゥーラ氏は感涙していた私に向かって「喜ばせてあげようと思ったんだけど、泣かせてしまってごめんね」と冗談ぽく言ってくれた。

私が観てきたのは、アブドゥーラ・イブラヒム。南アフリカが産んだ、世界最高のピアニストだ。

追記:今回もそうだが、ボランティアスタッフというのは本当にボランティアなのである。交通費も出ない上に、チケットは自腹で購入している。本当に「好きでなければ出来ない」レベルのボランティアだ。一部から営利の話やスタッフ特権についての噂などが出ていたようだが、それは皆無だ。あるとすれば、休憩中のコーヒーが飲み放題な事ぐらいだ。そういった誤解についてここで訂正しておくと同時に、共に尽力頂いたスタッフ各位、心より御礼申し上げます。

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2008年1月10日 (木)

初恋の女性とオスカー・ピーターソン

数年前、ジャズピアニストのオスカー・ピーターソンが来日した時、友人が私に「一緒にピーターソンを見に行かないか」と誘ってくれた事がある。確か大阪ブルー・ノートだ。

私は「金がないから」という理由でその誘いを断った。それは事実であったのだ。

それがピーターソンを観る最後のチャンスだった。彼は昨年末に亡くなった。

もうピーターソンが長くない事は皆が知っていた。去年のクリスマスにピーターソンは逝去したが、その報せを聞いた時に、悲しいというよりも「ああ、やはりな」という気持ちの方が私は大きかった。健康状態を著しく崩しているという情報が入ってきていたし、実際の彼を見た人達は口々に「まともに歩けさえしていなかった」と言った。

数年前の来日の際は、「もはやこれがピーターソンを観る最後の機会かも知れぬ」という予感が、観客たちの共通認識としてあったのだろう。(そしてその予感は実際に当たる事となったわけだが)。チケットの値段は法外とも言えるほどに跳ね上がった。私が友人から聞いたその値段は、確か15,000円ほどだったように覚えている。

大阪ブルー・ノートと言えば、高級ジャズクラブとして有名だ。そんな所にミュージックチャージが15,000円もするライブを見に行ったならば、出費は最低でも20,000円を軽く超えるだろう。それを高いと思うか安いと思うかは個人の自由かもしれないが、私には我慢がならない。ジャズとはそもそも貧乏人達の為の音楽であったのだ。誤解を恐れず、そして理解を求めずに敢えて言うが、私は「たかがジャズ」とどこかで思っている。20,000円もの大金を払ってまで聴きにいくようなものだろうか。金持ちの、金持ちによる、金持ちの為の音楽になってしまうのではないか。私はいささかうんざりした。

しかし、ピーターソンの日本公演を私が観に行かなかった理由は、他に大きな理由があった。金額的な問題以外に。私は、その時寧ろピーターソンを「観たくなかった」のだ。

それは、思春期の恋愛を考えるとわかり易い。良い喩えになるのではないだろうか。

私は今現在、28歳である。まだまだ若いのか、それとももう若くはないのか、それは自分ではわからない。ただし、中学生の頃の事を思い出せば、それは随分と昔に感じられるようになってきた。20歳ぐらいの時分は、中学生時代など昨日の事のように思い出していたと言うのに。

中学生の頃に好きだった(とは言っても、それは単に私が一方的に淡い恋心を抱いていただけなのだが)女の子(以下Aさんで記そう)と、今更に再会したい、という願望は私の中ではほぼゼロに近い。それは、自分の変わった姿を晒したくない、という事が無いわけではない。

人は生きている限り生活に合わせて少しずつ自らを変容させていく。「自分を貫く」などという自己啓発本に載っていそうな綺麗な言辞は、時としてあまりに空虚だ。自分を貫く為に、カメレオンのように周囲の色に合わせて自らの皮膚の色を変える人間の事を、私は卑怯だなどとは思わない。ある種、当然の帰結だ。それが「変化」なのか「成長」なのかを別にすれば、私は中学生の時の自分とは随分違う。考え方も当時と大分違えば、見た目だって随分と変わった。体力は、確実に当時よりも落ちている。しかしそれが必然である以上、そういった姿を嘗て恋焦がれた(しかもそれが完全に過去形で話せるのならば)Aさんに見せるのは恥ずかしい事でも何でもない。

問題は、私が見たくないのである。

つまり、変化したAさんのその姿を。

Aさんだって、当然10年以上の年月を経れば、「変化」や「成長」を遂げる。或いはもう結婚しているかもしれないし、子供もいるかも知れぬ。28歳で母親になっている女性など珍しくも何ともない。

Aさんではないが、先日中学校の同級生だった女性にたまたま道で会った。彼女の今の苗字など知らぬので、ここでは仮にBさんとしておこう。

Bさんを見て、私は何だかやるせない気持ちになった。

Bさんは若くして結婚し、子供を産んだと人づてに聞いた事がある。そしてまだ若い内に離婚をしたのだと。

一時期はパチンコ屋で働きながら子供を育てていたとかいないとか。そんな彼女は、明らかに私の知るBさんよりも大きく老け込んでいた。だが、そこには確実に「生きている」人間の姿があった。しなくても良かった苦労を、さぞやしてきたのだろうなと一瞬同情してしまいそうになった自分を恥じた。「生きる」事に大差などない。上等だ下等だと、どうしてわかろうか。

Bさんもその時は酔っ払っていたようで、私に「ふくしま、オメエ久しぶりじゃんよお!元気してた!?」と東京のスラム街こと小岩特有の訛りのある言葉で喋りかけてきた。「うるせえよ、てめえ、酔っ払ってんじゃねえかよ」と私が言うと「酔っ払いに言われたくねえよ!」とビッチ全開な言葉で彼女は私に笑いかけた。

自殺を否定する気持ちは私の中にはあまりないのだが、それでも私はどこかでこう思っている。

「人間は生きてるヤツが一番偉い」と。

目の前にいる「生きている」人間が、多少アバがズレた言動を繰り広げていても、そこは許せてしまう。お前はお前で色々あったんだろう、理解する事は出来ないが、肯定する事ぐらいは出来る。私は心の中でそんな言葉を呟く。

さて、そんな姿を、私はAさんに関しては「見たくない」のである。それは間違いなく私の傲慢であるのだが、私はAさんを記憶の中での「中学生の頃のAさん」のまま「保存」したいのである。こんな感覚を抱く私は、変態なのだろうか。いや、変態である事は間違いなかった。

ネギうめえ!超うめえ!

おっといけない。

今日のこの駄文は、ネギをつまみに焼酎を呑みながら書いていたのだ。そのつまみのネギがあまりに美味かったもので、ついつい脱線した。細かく切った白ネギを、油で炒めて醤油をさっとかけるだけ。これが超美味い。いいちこの緑茶割りも進む進む。

Aさんの変化した姿を見たくないのと同様に、私はピーターソンも見たくなかったのだ。私にとってオスカー・ピーターソンというピアニストは、初恋の女性によく似ているのだ。『We get request』や『Night Train』といったアルバムを発表していた頃の、若くて瑞々しく、そしてどこまでも溌剌として明るいピーターソン。それが私の中でのオスカー・ピーターソン像なのだ。彼の老いた姿は、私はあまり見たくはない。

逆に、老いた(或いは枯れた)演奏が私の心を打つミュージシャンも確実にいる。筆頭はバド・パウエル、ビリー・ホリデイ、セロニアス・モンク、こういった人達。私は、彼らの弾けなくなった(歌えなくなった)演奏まで見てしまいたいのだ。そしてそれを愛したい。ジャンルは違えど、立川談志という落語家に関しても似たような事を感じる。声が出なくなって猶、高座に上がり続ける心意気は、心からの尊敬に値する。衰えた自分を人前に晒すという事には、相当の、恐らく死ぬ事と同等の覚悟がいるのだ。

ピーターソンも勿論そんな覚悟でステージに上がっていたのかもしれない。けれど、私は「もういいよ、オスカー。ゆっくり家で寝ていてくれよ」と思うのだ。私は、パウエルが好きだしモンクが好きだ。けれど、同じぐらいオスカー、あなたの事も好きなんだよ、と言いたい。つまり彼が初恋のピアニストだったわけだから。

もう一度、全盛期の彼の演奏を聴く。

緻密に練り上げられた音楽なのだが、端々から聞こえてくるのは、「音楽が愉しいもので何故悪い?」という彼の主張である。

音楽は、愉しいものなのだ。

初恋が、愉しかったように。

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2007年10月 3日 (水)

男塾塾生エルヴィン・ジョーンズ

Coltrane エルヴィン・ジョーンズ。

Elvin Jones.

えるびん・じょーんず。

エルヴィン。

彼の名前をひたすらに連呼したい。素晴らしいドラマー、エルヴィン・ジョーンズの名を。

以前から欲しいな、と思っていたレコードを、偶然にお茶の水のレコード屋で発見した。

John Coltrane Quartet の『Live at Birdland』。安かった事もあり、即座に購入した。

メンバーは、サックスにコルトレーン、ピアノにマッコイ、ベースにギャリソン、ドラムにエルヴィン、という無敵のカルテット。このメンバーによるカルテットは、ドラクエで言えば勇者+戦士+戦士+戦士というぐらいに攻撃的なカルテットだと私は考えている。サッカーのフォーメーションで言えば0-1-9。野球で言えば全員エースで4番。後先は考えない。攻撃あるのみ。Dead or alive. All or nothing. 大分頭の痛いバンドだが、間違いなく最強(最凶)の攻撃力を兼ね備えたチームである。

今日はこのアルバムをひたすらに薦めたい。しかし、普遍的な大絶賛は不可能である。何故ならばオフェンスの事しか考えていない、極めてバランスの悪いアルバムだから。

しかし、今流行の言葉を使えば、「そんなの関係ねえ!!」

私的満足度は10段階評価で15。私にとっては最高のアルバムだ。

A面とB面を通して聴いて素晴らしかったが、敢えてA面の一曲目「Afro-Blue」の素晴らしさ、そしてドラマー、エルヴィン・ジョーンズのアホさを今回は大絶賛したい。

エルヴィンは、アホだ。そして、最高だ。

無論、コルトレーンもアホだし、マッコイもアホだ。馬鹿みたいにデカいシングルノートをひたすらに奏でるギャリソンもアホだ。

だが、エルヴィンのアホさには脱帽する。

まず、音が違う。ピシっ、ピシっという音ではない。ドンガラガッシャングアラバキー!という音色がする。それはドラムの音というよりは、大地の地震、そして天空の雷鳴という音色だ。何という太鼓だ。それは大自然の音なのだ。

「Afro-Blue」という楽曲において、彼の類稀なるアホさを我々リスナーは享受出来る。コルトレーンが奏でるアフリカの大地を連想させるテーマの後、マッコイのエモーショナルなソロが始まる。そのソロが熱を帯びてくるにしたがって、エルヴィンの「野性」がどんどん解放されていく。それは獣の咆哮だ。アフリカの大地に鳴り響く、猛々しい雄叫びだ。

さて、ここまで読んでこのアルバムを聴いてみたい、と少しでも思った奇特な方の為に、私なりにこのアルバムの聴き方をレクチャーしたい。

まず、私はLP盤で聴いたが、そこはどうでも良い問題だ。CDだろうとカセットテープだろうと何だって構わない。大事な問題はまず一つ。

近隣家庭との関係が大分気まずくなるぐらいの大音量で聴く事。

これである。

それを考えると深夜に聴く事はあまりオススメできない。近所との良好な関係が崩れる事は必死だからだ。家の近くで大きな音で道路工事などをやっていれば、もってこいのチャンスだ。騒音公害は他人のせいにしてしまえば良い。ステレオのボリュームを右に回せる所まで回してしまおう。

さて、普段ジャズなど聴かないという方は、ひょっとしたら以下のようなイメージをジャズ鑑賞に抱いているかも知れない。

「ぼくはうっとりとビル・エヴァンスのレコードに耳を傾けた。少し感傷的になっているのかも知れない。昨日会ったガールフレンドの事がふっと脳裏に浮かんだ。とびきりドライなマティーニがぼくの喉を流れていった。」

五月蝿え。喧しい。

このアルバムを聴く時は、呑んで良い酒は焼酎かホッピーのみだ。それ以外は、水道水でも呑んでおけ。村上春樹の小説の登場人物みたいな真似をしてはならない。

女子と共に聴くのも罷りならない。いや、というよりも、女子と共に聴くと、多分フラれるから安心した方が良い。そもそも、女子供はこのアルバムは聴かなくて宜しい。このブログも同様だ。女子供は読まなくて宜しい。

さあ、中学二年生男子の悶々とした性欲のようなエネルギーを胸に抱えたら、この「Afro-Blue」に耳を傾けよう。

わあーーー!とか、ぎゃあーーー!叫びながら聴こう。

聴き終わった時には、間違いなく射精後のような快感と罪悪感と達観の間で揺れる筈だ。

以上、スイング男塾から、一号生筆頭、福島剛がお届けしました。

しばらく、このアルバムは危険だ。

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2007年6月10日 (日)

Ray Charles

Ray Charles

今日の記事は彼の事を書こう、と前々から決めていた。

数ヶ月前、セロニアス・モンクを第一弾としてたまに書こうと思って以来頓挫したままの「ミュージシャンにまつわるエッセイ」第二弾である。

今日からちょうど三年前、2004年の6月10日に彼は亡くなった。確か73歳であったと思う。

その当時、勿論私はレイ・チャールズのレコードを自ら所有していたし、彼の音楽に触れる機会も度々あったが、少なくとも今ほど彼の事を敬愛していなかった。「とても良い参考になる黒人ミュージシャンの一人」、私はその程度の認識ではなかったろうか。ゆえに、彼の死を知った時にも、私はさほど悲嘆にも暮れずにいた。それに比較すれば、ジャズ・ドラマー、エルヴィン・ジョーンズが亡くなった時の方が、私の受けた精神的ショックは大きかった。荒唐無稽な話であるが、私はエルヴィンと共演する事を、一つの大きな目標としていた為だ。

ともかく、彼の死を一つのきっかけとして(その死の直後、映画『Ray』がヒットした、というのも無関係ではない)、私は再び彼のレコードに注意深く耳を傾けるようにしてみた。そこに残された記録(レコード)は、まさしく音楽の奇跡の瞬間の記録であった、と言ってもよかった。

私は以来、今日までずっと彼のレコードに夢中になっている。

「好きなミュージシャンは誰ですか」という質問と「好きな作家は誰ですか」という質問をされるのはとりわけ苦手だ。日によって違う、というのもあるし、気分によっても違う。けれど、その中で、ルイ・アームストロングと宮澤賢治、そしてレイ・チャールズだけは常に私のフェイバリットな位置づけにいる為に、仮にそういった質問を受けた場合にはそう答えるようにしている。

レイ・チャールズの魅力を一言で言い表すのは全くもって不可能な事であるが、私は彼の魅力の大きな一つは、その独特のリズム感にあると思っている。

レイ・チャールズのリズムというのは、待てども待てども「来ない」リズムである。つまり、極端にタメが大きい。聴き慣れない内は戸惑うほどである。このいくらか「違和感のある」リズム感覚を感受出来た時、レイ・チャールズの音楽は更に心の奥底に深く響いてくる。

そういった彼の独特のリズム感を味わう為には、彼のインストゥルメンタルもの、つまりヴォーカルのない、彼のピアノ演奏が楽しめるものをお勧めしたい。

Album_the_great_ray_charles その中で白眉はこの『The Great Ray Charles』。取り分け「Black Coffee」というブルーズナンバーにおける彼のゆったりとした演奏は、まさに真骨頂だと言って良い。ブルージィなもの、ではなく、そこにはブルーズそのものがある。

そうなのだ、彼の魅力はまさにブルーズそのものなのだ。土臭い、決して気取らない音楽、それこそが彼の魅力の最たるものだ。

そして、もう一つそこに彼の魅力を付け足すならば、彼の音楽には「遊び」がある。それは時として「笑い」という形をとって表出される時もある。猥雑で、下品で、そして官能的な笑い、そういったものも彼の音楽には詰まっている。

いくらか言葉を弄してみたが、今日はこれから彼のレコードをつまみに酒を呑みたい。私はレイのように派手にドラッグ遊びをしたりはしないが、それぐらいの遊びは彼は認めてくれる。

いつか、彼のような「本物のブルーズ」にたどり着きたい。

6月10日に、改めて私はそう思う。

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2007年3月12日 (月)

Thelonious Monk

セロニアス・モンクについて少し。

これから気が向いた時にだけ、様々なミュージシャンに対するエッセイを書いていこうかとふと思い立ち、第1弾はセロニアス・モンクについて。ただし、モンクについて書くとなれば、あまりにもその背景には様々な要因が存在するため、今回はモンクの最晩年の事を中心に。

先ほどまで、ジャズ喫茶「ラッシュライフ」で、全部で三枚あるモンクのラストレコーディングの内の一枚を聴いていた。

そのレコードは「簡素」の記録であった。モンクは、彼の死の約十年前、まるで無の境地のような演奏を記録していた。

通常、演奏には何かしらの「意志」が働く。感情も働く。それは決して悪いことではないし、極めて当たり前の事だ。むしろそういったものが無ければ、演奏は破綻する可能性が高い。任意の或る一方向に向かうための原動力となる意志、時としてそれを統一するためにジャズバンドは四苦八苦し、その苦労ゆえに素晴らしい音楽が生まれたり、下らない音楽が排泄されたりもする。

そのラストレコーディングであるモンクのソロピアノの演奏、そこではそういった一般的な音楽の成立過程を超越した所で一つの芸術的活動が行われている、私はそういった印象を抱いた。

その演奏の印象を月並みな言葉で表現するのは、私自身が先ほど感じた感動を損なうような気さえするので、非常に慎重になりたい所だが、私の乏しい語彙では以下の言葉しか見当たらない。

それは、極めて自然であった。

無為自然。そういった仏教用語を用いるのも何か違う気がする。モンクは、驚くほどに自然であった。

音楽を紡ぐための不純物となる意志は、微塵も感じられなかった。まるで周囲の空気と一体となるかのように、訥々と、モンクはピアノを弾いていた。彼のアイドルであったJames・P・Johnsonのような流麗なストライドピアノではないが、それでも左手は確実なストライドを刻み、そして虫の鳴き声のような自然なフレーズを右手で紡ぐ。ジャズ・ピアノが辿り着く一つの境地がそこには在った。

私は最晩年よりももう少し前、1950年から1970年ぐらいまでのモンクを聴き慣れている。その為、最晩年のその演奏にはいささかの違和感を抱いた。

私の知っているモンクならば、ここでこういったフレーズが入ってくるのだが。

私の知っているモンクならば、ここではもう少しタメが入るのだが。

そのモンクは、私が知っているモンクとは、少なからず異なった。

しかし、一番重要なポイントは以下である。

それは、確かにモンクであった。

モンクは、その生涯を通じて「モンク」というジャンルの音楽を演奏し続けた。それはJames・P・JohnsonでもなければFats Wallerでもなかった。無論Art Tatumでもなければ、Bill Evansでもない。モンクが演奏していたのは、一貫して「モンク」という音楽であった。

上に書いたように、「モンク」という音楽ジャンルの中においては変化はあった。しかしそれは「モンク」という音楽を構築する上では必然の変化であり、その変化の上に「モンク」という音楽ジャンルは成り立った。

レコードが終わり、針がプツプツと音を立て始めた辺りで、私は大きく一つため息をついた。それは、モンクの最晩年の演奏を集中して聴き終えた者のみが味わうことの出来る、歓喜のため息であった。半ば上気しながら、私は聴き終えてから数時間が経った今現在でも、そう自負することが出来る。

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