『65駅の恋』第六話
※これは実話50%、妄想50%の小説です。
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《第六話》
池袋~千駄ヶ谷~原宿~代々木~信濃町
《池袋~千駄ヶ谷》
前にも少し書いたが、ぼくはピアノを弾いたり人に教えたりすることで生活している。
この仕事を始めてからもう13年目になる。まだ13年かという感覚と、もう13年かという感覚が入り混じる。そもそもぼくはピアノを弾き始めたのは人に比べて遅い。二十歳ぐらいの頃からだ。十代の頃は漠然と「小説家か詩人にでもなれたら良いなあ」と思っていて、音楽やピアノにはあまり縁が無かったから、もしも十代の頃のぼくに今のぼくが会って「何の因果かは知らないが、お前はピアノを弾いて生活することになる」と伝えたら、十代のぼくは「そんな馬鹿な。お前は自己批判と総括が足りないから総括援助として暴力を加えてあげよう」などと言ったに違いない。
とにかく、ぼくは自分がピアノを弾いて生活していることに、たまに何となく非現実感を抱くことがある。現実なのだけれど。
この仕事を始めてすぐの頃から世話になっている音楽教室がある。ぼくは今でもそこでピアノを教えている。教室は池袋と千駄ヶ谷にあって、週の内の半分以上はその教室に通っている。なので、池袋駅や千駄ヶ谷駅、そしてその近辺の駅のスタンプは仕事の時についでに捺せばいいやと思っていたし、実際にそうした。
池袋駅のスタンプは「グフ」だった。完全に知らない訳ではなかったけれど、「ザク」との違いはイマイチよくわかっていない程度の理解でしかなかったので、「グフ、あんまり知らねえよ」と思いながらスタンプを捺した。
千駄ヶ谷駅のスタンプは「アッガイ」だった。久しぶりに全く知らないモビルスーツだったので、少々嬉しくなって「アッガイ、誰だよ、知らねえよ!」と元気一杯に呟きながらスタンプを捺した。やはりぼくは「大して愛着のないガンダムというアニメのスタンプラリーに夢中になっている」という不毛感が好きらしい。
《原宿~代々木》
原宿と代々木は、千駄ヶ谷教室からの帰り道に、千駄ヶ谷駅からではなく原宿駅や代々木駅を使って帰る、という作戦でクリアした。
ぼくは原宿駅が嫌いだ。正確に言えば、原宿駅に向かう竹下通りが嫌いだ。若者であふれ返るあの喧騒がどうにも好きになれない。しかし、スタンプのためだ、仕方ないと思って竹下通りを抜けて原宿駅に向かった。
久しぶりに通る竹下通りは相変わらず若者や外国人でごった返しており、なんだかなあと思っていたのだが、ぼくはその喧騒が過去の記憶の何かに結びつきそうな気がしていた。あれ?なんだっけ、この感じ。知ってるぞ?と。
それはインドのニューデリー駅の近くにある「パハールガンジ」、通称「メインバザール」と呼ばれる通りの喧騒だった。ぼくは若い頃に二度インドを訪れている。その記憶が、この竹下通りの喧騒と結びついた。
もっとも、「パハールガンジ」の喧騒はもっとひどかった。物売りや物乞いの声、行き交う車のクラクション、その中を悠々と闊歩する野良牛と、その野良牛のひる糞の匂い。
ぼくはその混沌とした喧騒が、決して嫌いではなかった。なのになぜ、竹下通りは嫌いなのだろうか。それはぼくも少し歳をとったからだろうか。そんなことを考えながら竹下通りを抜けた。
原宿駅のスタンプは「ムサイ」だった。もちろん1ミリも知らない。「ムサイ、誰だよ、知らねえよ」とスタンプを捺す。竹下通りを通過したこともあって、「ムサイ、てめえ、面倒かけやがって」と思いながら。
同じように仕事帰りに寄り道してクリアしたのが代々木駅だった。代々木駅のスタンプは「レビル」というおっさんだった。もちろん1ミクロも知らない。「レビル、誰だよ、知らねえよ」と思いながらスタンプを捺した。
池袋駅や千駄ヶ谷駅、そして原宿駅と代々木駅、これらの駅を周っている時には、期子が、いなかった。いや、正確にはぼくの視界が彼女を捉えなかった、と言った方が良いのかも知れない。ぼくがスタンプを捺す時に、後ろで必ず「デュフフ」と笑う彼女の声が聞こえた。振り返ってみると、そこには彼女はいなかった。彼女は確実にぼくの近くにいた。しかしぼくはそれを捉えなかったのだ。
《信濃町》
信濃町駅も、同様に仕事帰りに千駄ヶ谷駅ではなく信濃町駅から帰る作戦でクリアした。神宮外苑の涼やかな風が心地よかった。
信濃町駅のスタンプは「デギン・ソド・ザビ」だった。ザビ一族の誰か、ということはわかるが、誰だかはわからないので、「デギン・ソド・ザビ、誰だよ、知らねえよ」とスタンプを捺した。
その日はぼくは早めに仕事が終わっていたので、今日は信濃町から東に向かって歩いてみようかな、と思っていた。歩けるところまで歩いて、その途中にある駅のスタンプを捺していこう、と。
信濃町駅から歩き始めた時に、ぼくは一人の後輩の男のことを思い出していた。坂手(サカテ)、という男だ。ぼくの大学の後輩の男で、筋金入りのガンダムマニアだ。そう言えばサカテはどうしているかな、と思った時に、ぼくの横に人影を感じた。
期子だった。
「今日は、歩きましょうか」期子が言った。
ぼくは黙ってうなずいた。
「サカテくんのお話、聞かせて」
そうだった。期子は、ぼくのそばにいて、ぼくが何を考えているのかがわかるのだった。それがなぜかはわからないけれど。彼女は、ただ、わかる。
ぼくは期子にサカテの話を始めた。
(続く)
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