趣味

2011年6月25日 (土)

将棋第69期名人戦(こぼれ話編)

さて、将棋観戦記のこぼれ話編。

実はとんでもなく嬉しかったアクシデントが幾つかあったので、それをちょっと書いてみたい。

今回の将棋観戦、かみさんと二人で行った。私もかみさんも甲府自体はこれまでにそれぞれ行った経験はあったが、二人で一緒に行くのは初めての事であった。

甲府と言えば、最近では「B級グルメ選手権」なるもので、甲府の郷土料理である「鳥もつ煮」が賞をとった、という事は私もかみさんも知っていた。「時間的な余裕があれば、せめて鳥もつ煮ぐらいは食って帰ろう」、私とかみさんはそんな算段を立てていた。

結論から言えば、鳥もつ煮は食べずに帰って来た。というよりも、何も食わずに、ただひたすら会場であった「常磐ホテル」で将棋を見続けて、完全に「それのみ」で東京に帰って来た。正午過ぎに甲府駅に着くやタクシーで「常磐ホテル」に直行、帰りも対局が終わるや否やバタバタと東京に向かうという、まさに「Nothing but the 将棋」な日帰り旅行であったのだ。

常磐ホテルに私達が到着したのは、確か午後1時を少し回った頃であったと思う。後にしたのが夜の9時半過ぎだから、約8時間以上をその会場で過ごしていた。

そこで起こった不思議な話を幾つか。

将棋の対局自体が、一時間や二時間を超える「大長考」が度々起こりうる事もあり、会場の大盤解説も休み休みで行われていた。大体、30分やって10分休み、みたいなリズムで進んでいたかと思う。

その休み時間の間、私達夫婦も外に缶コーヒーを飲み行ったり(←ホテルの喫茶店は貧乏なので行けない)、ホテルロビー内を探検したりと、金をかけずに楽しみながら時間を潰していた。

会場では、プロ棋士達の直筆の色紙が一枚3000円で売られていた。その売上は全て東日本大震災への寄付金に充てられるという。将棋連盟のチャリティの一環だ。私達は貧乏な為、その色紙を購入する事こそ能わなかったが、興味深くその様々な色紙達を眺めていた。

毛筆で書かれた色紙達。達筆なものもあれば、そうでないものもあった。詰め将棋が書いてある色紙もあったが、私が一番笑ったのは、物凄く気の抜けた字で「気合」と書かれた色紙だった。わざと狙って書いたのだろうか。

そんなものを夫婦で眺めていると、後ろから初老の男性の声が聞こえた。

「米長会長の色紙はあるかね」

米長会長とは、言わずと知れた現在の日本将棋連盟の会長、米長邦雄永世棋聖の事である。

「あ、会長の色紙は昨日売り切れました」と係の者が答える。しかし彼の顔には何故か「参ったなあ」といったニュアンスの苦笑いが浮かんでいた。

そんな事を聞くのは誰だ?と思いながら私が後ろを振り返ると…

ぎゃあ!米長会長!

本人ではないか!私は思わずのけ反った。漫画の表現で言うならば、目玉がバネのようなもので飛び出している状態である。

あわわ…あわわ…と私が狼狽している所にかみさんが声を潜めて聞いてきた。「まさか、本人…?」と。

か、か、か、会長…と私がまだテンパっていると、何と会長が私達に話し掛けて来てくれた。

「あなたがたは、何処から来たの?」と。

「と、と、と、東京ですっ!」と答える私。会長は更に私のかみさんに質問を重ねた。流石は女好きである。男よりも女に話し掛けるのは極めて自然な流れだ。

「何?あなたも将棋好きなの?」と。

「あ、夫が好きで…」

「じゃあ、あなたは今日は付き添いで来てやってるんだ。ありがとうねえ」と会長。

おいっ!大山名人や中原名人らと共に将棋の一時代を築き上げたカリスマ棋士だぞ!何でそんな凄い人と私達は喋ってるんだ!と私は舞い上がった。かみさんも徐々にその凄さがわかってきたらしく、次第に頬も紅潮する。

そう、一つ目の嬉しいアクシデントは、この「米長会長との一瞬の会話」であった。

その後の大盤解説における会長の解説は、大爆笑の連続。下手なお笑い芸人などよりよっぽど面白い。流石は米長会長であった。

もう一つの嬉しいアクシデント。これについては「嬉しいアクシデント」などという言葉で説明するのも憚られる。それはまさに僥倖であった。僥倖。「ぎょうこう」と読む。かつて小泉今日子の親衛隊がキョン2に向けていた叫び声と同じである。「ギョウコウー!」

いや、実にとんでもない事が起きたのだ。それは森内新名人が、絶妙な奇手を放ってから暫くしての事であった。

息詰まる本局の攻防。私は一旦席を立って喫煙所へと向かった。一服して心を落ち着けたかったのである。

私はそこで、思いもかけない、私のアイドルに遭遇した。

その人の事はここでは「M氏」と書いておきたい。彼はミュージシャンである。彼もまたプライベートで来ていたのだから、実名を晒すのは彼に失礼やも知れぬ。

少しだけ彼について説明(ヒント?)を言えば、とあるロックバンドのボーカリストである。喋る時にはご自身の長髪を掻き乱しながら喋り、話は何一つ要約されていないにも関わらず「要するに」という言葉を多用する。東京は北区赤羽が生んだ、日本が世界に誇るロックミュージシャンである。

翻って自らを鑑みるに、私はジャズミュージシャンにのみならず、日本のロックミュージシャンにもこれまでに強い影響を受けて来ている。最も強い影響を受けたのは、中島みゆき氏と甲本ヒロト氏、そして眼前にいたみやも…ではなかった、M氏である。

辛い時や悲しい時、そして悔しくて泣き出しそうな時。私は彼の歌に励まされて来た。今でも彼の歌をしょっちゅう聞く。輝く太陽は俺のもので、煌めく月はそうお前のものだ。

そんな彼に、奇しくも名人戦の会場で、遭遇した。

タバコを吸っている私の元に、細身で小柄なカッコ良すぎる男が近付いてきた。「ああ、なんだかみやじ…いや、M氏に似ているなあ…」と私は思った。ふと思い出したのは、私のwikipedia調べによるとM氏は大の将棋ファンで、特に加藤一二三氏とその日の挑戦者森内俊之氏のファンであるそうだ。

確かにまかり間違えてみやもとひろ…ではなかった、M氏がいてもおかしくはない。でもいる筈などないものなあ、と私は思っていたのだが。

近付いて来て、私の傍らでタバコに火を点けた彼を見てはっきりと確信した。「本物だ…っ!」と。

伊達に15年近くもEレファントカシマシ(M氏の所属するバンド)のファンをやっている訳ではない。私にはわかった。「本物のミヤジ先生…ではなかった、M氏だ!」と。もうややこしいから、以下M氏の事は「先生」と表記する。

喫煙所で私と先生が二人。先生は、驚いて口をあんぐりと開けて酸欠状態の魚のように口をぱくぱくとさせる私に気付き、私に向かって軽く会釈をして下さった。

「み、み、み、みみみみみみやももももとさんですよね?」と声を掛ける私。それに「ええ」と頷いて答えて下さる先生。

私は何を言えば良いのだろう、と思ったが、口をついて出た言葉は、「ずっと…ずっとずっとファンでした!」という捻りも何もないダサダサな一言。いや、ホント言っとくけどな、憧れの人に突然何の準備もナシに会ったらそんな気の利いた事は言えねえぜ?かなりテンパるぜ?

「あー、ありがとうございますー」と答えて下さる先生。すっと右手を差し出して下さった。ぎゃあ!握手だー!

私は手汗をかきまくりつつ、その手汗をズボンで拭って、握手をして頂いた。先生の手は、小さく、華奢だった。

その後はあまり覚えていない。最近、やはりエレファントKシマシのファンである友人(石田ゆうすけ)が仙台のライブに行っていた事や、私は悲しい時には先生の歌を口ずさんだりする事、また私も音楽をやっている事などを先生に話したと思う。とにかくテンパっていた。

ファンに対して無駄な愛想を振り撒かない事で有名な先生である。冷たくあしらわれても仕方がない、とは思っていたが、先生は「いやあ、ありがとうございます」とカッコ良すぎる笑顔で優しく答えてくれた。もしも私が女だったら、「濡れていた」というレベルではない。水の都ヴェネツィアになっていた筈だ。

先生はとにかく優しくて良い人だった。そして、死ぬほどカッコ良かった。あんなカッコ良い男はおらんで、ホンマ。

先生は髪の毛をクシャクシャとしながら、「いやー、ぼくは今来たばっかりなんですけど。どうなってますか、形勢は?」と将棋の話を聞いて下さった。「いいいい今は…もももも森内さんが優勢ですがががが、まままままだわからないですっ!」と答える私。そりゃどもるわ。だから緊張してたんだって。

正味5分ぐらいだろうか、喫煙所での会話は終わった。完全に夢見心地だった。

先に会場に戻ったのは私だったが、先生は私の所から数列後ろに座っていらっしゃった。

不思議だったのは会場の将棋ファン達は皆、先生に気付いていない事だった。私など「もっと力強い生活をこの手に」とずっと呟いていたのに。そして先生もまた、完全に場に溶け込んでいた。私は当然プチストーカーよろしくちらちらと先生の方を見ていた訳だが、一手ごとに「おおー」と感心したり「ん?何だこれは?」と眉をしかめる先生の表情は、完全に「一将棋ファン」のそれだった。それがまた、素敵過ぎた。

夜9時半過ぎに、ついに羽生名人が投了。割れんばかりの拍手の後、私が後ろ、先生のいた辺りを見ると、既に先生の姿は無かった。私は、全て夢だったのだろうか、と思った。

そんなこんなで、私は先日は米長会長とM先生と喋った。

嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

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2011年6月23日 (木)

将棋第69期名人戦(本局編)

山梨は甲府まで、かみさんと二人で将棋第69期名人戦の大盤解説を観に行った。日帰りの山梨行程。遠いようでなかなかに行けてしまうものである。

どうしても現地に観に行きたかった。同い年、同級生であり、小学生の頃からずっと凌ぎを削り合って来た好敵手同士、そして現代将棋の最高峰である二人、森内俊之氏と羽生善治氏の対決、それも最終局である。数ヶ月に渡って繰り広げられた大熱戦の、一番のクライマックスなのである。観に行かずにいられようか(いや、いない)、と反語を呟いて、早起きして甲府行きの電車に飛び乗った。

結果は既にご存知の方も多いかも知れないが、非常に激しく、そして極めて難解な勝負の末、森内九段が勝利。名人位に返り咲いた。

素晴らしい名勝負であった。振り駒(一種の抽選のようなもの)によって、先手が森内九段(現名人)、そして後手が羽生(前)名人と決まった。

先に仕掛けたのは羽生名人。森内九段に対して「攻めて来いよ」と誘ったのだ。

森内九段がそれに応えた。中々に珍しい事である。元来、森内九段の棋風は、激しいものではない。彼自身はこの呼び方をあまり良くは思っていないそうだが、彼の棋風はしばしば「鉄板流」などと呼ばれる。その呼び名の通り、彼の棋風というのは「重厚な受け」が売りである。幾重にも重ねられた守りで相手の攻めを受け、間隙をついて相手の玉を一瞬にして陥れる、そんな棋風であるのだ。

しかし昨日の森内九段は違った。序盤において、二騎の桂馬が4五の地点と6五の地点まで上がる、という激しい攻めを見せてくれた。過激な言葉を使えば、「トシユキィ!来いよオラァ!」という羽生名人の挑発に「潰してやんよ!ヨシハルゥ!」と応えたという格好か。実際に彼らが喋っていたとすれば、「まー、森内さんに一度攻めてきてもらいたかったんですね、ええ、えー」と羽生名人が言って「あっ、ちょっと指し過ぎかなとも思ったんですけど、指したかったんで指しました」ぐらいのものだろうが。

森内九段が攻めて、羽生名人が受ける、という状況が続いた。森内九段の攻めは、いつにも増して激しかった。

象徴的だったのは、初日最後の封じ手である。森内九段の棋風を考えると、「8二歩打」というのが本線と考えられていた。手堅い攻めである。しかし森内九段が選択したのは、「5三桂左成」という流れに沿った素直な攻め。私はその一手に「あっ、今日はとことんまで行こうかなと思いまして」というような森内九段の覚悟を感じたような気がした。

細い攻めを森内九段が繋げる中で、検討室や大盤解説上でも全く考えられていなかった妙手が森内九段から飛び出した。5五角、という一手である。

この一手以降、先手(森内九段)優勢で勝負は展開した。

しかし、流石はこれまで幾多の将棋の歴史を塗り替えてきた天才、羽生名人である。そこから驚異的な粘りを見せて、一時期は「後手優勢」という声が上がる所まで勝負の流れは二転三転した。

「羽生でなければこんなに白熱した将棋にはならなかった」とは、現将棋連盟会長の米長邦雄氏の言葉である。

時刻が午後八時を回り始めた頃、いよいよ先手優勢の流れは確固たるものになり始めた。観客も検討室も、もはや「どこで羽生名人の頭が下がるか」という事が気になり始めた頃だ。

羽生名人は、それでも指した。「負けました」の一言、喉の奥から出かかったその一言を飲み込んで、「どこかに勝機はないか、活路はないか」と、懸命の一手を指し続けた。私は盤上から彼の打つ駒の音が聞こえる度に、背筋に何度も電流が走った。「みっともなくても何でも良い、とにかく負けたくない」という彼の心の叫びが聞こえてきたような気がした。有り体に言えば、感動していた。

ついに彼の玉が何処にも生きる道が無くなったその時、羽生名人の腰が折れた。

「負けました」

その一言が、彼の口から発せられた。

現地会場は大きなどよめきと、そして割れんばかりの拍手に包まれた。私も深く、感動していた。

羽生さんと森内さん、どちらを応援してという話とは別次元に、まるで命の削り合いのような渾身の将棋を見せてくれた二人を、ただただ讃えたかった。

素晴らしい、名人戦最終局に相応しい将棋であった。

森内新名人には心から「おめでとう」と言いたい。そして羽生前名人にも、「素晴らしい将棋をありがとう、次に期待しています」と言いたい。

心に残る、名勝負だった。

(「こぼれ話編」に続く)

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2011年6月21日 (火)

行っちゃう…?

ついに、戦いの幕が上がった。

森内俊之九段と羽生善治名人による第69期名人戦第七局、最終局である。

森内九段の三連勝によっていきなり羽生名人が角番を背負う、という予想外の展開から、羽生名人の怒涛の三連勝の巻き返し。イーブンで迎えた最終局は、まさに「これで決着」という正念場なのだ。

第六局まで、実に見事な勝負の連続だった。第三局に関しては、後手側の羽生名人のゴキゲン中飛車が簡単に攻略され、若干森内九段のワンサイドゲームになった感はあったが、それ以外の局は、投了までどちらに勝負が転ぶかわからない、見事な名勝負の連続であった。

最終局が行われているのは、山梨県は甲府の「常磐ホテル」。東京からならば、最安で片道2000円、約三時間で行けてしまう。

二日勝負で、本日21日が初日。雌雄を決する二日目が明日である。

ちなみに私は明日は奇しくも仕事が休みである。

甲府…

行っちゃう…?

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2011年6月15日 (水)

電車内学習

電車内学習
本日は二週間に一度くらいの「ちょっと遠く」までの出張レッスン。

自動車の免許も自動車も持っていない私は当然電車で行く訳だが、最近は電車に長時間乗るのも殆ど苦痛ではない。(昔からそんなに苦痛じゃないけど)。そもそもあまり満員電車に乗る事も無い。私が電車に乗る時には、いつも大体電車は混んでいない。それに私にはとっておきのアイテムがある。

それが添付写真の「詰将棋本」だ。羽生名人の著作(監修?)だ。これがあれば一時間などあっという間だ。

ずっと五手詰めを解いてきたが、最近は七手詰めもスムーズに解けるようになってきた。本の後半に載っている「最善手はどれか」の問題集も大変ためになる。

しかし将棋というゲームは、私のように趣味でやる範囲内であれば、実に金のかからないゲームだ。本も一冊1000円ぐらいだったが、もうかれこれ三ヶ月は同じ本を繰り返し読んでいる。

そういえば私は子供の頃から、勉強というものは、得意ではなかったが、嫌いではなかったな。本を読んで→何かを覚えて→それを練習して定着させて、という一連の作業が好きみたい。ピアノも似てる所あるし。

という事で今から電車。必死に詰将棋の本を熟読している怪しい男、それが私です。

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2011年6月 7日 (火)

第6局

羽生善治名人と森内俊之九段による第69期名人戦、第6局が本日よりスタート。

戦局は一日目の今日からヒートアップ。羽生名人が怒涛の攻めを見せてくれる。

どっしり構えての相矢倉。良いねえ良いねえ。こういうの見たかったぜ。

明日が二日目。

超楽しみ。

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2011年4月 9日 (土)

第69期名人戦

羽生善治名人対森内俊之九段の名人戦。第一局は先手の森内九段が勝った模様。

棋譜まではまだ見ていないのでどういった戦いだったのかはわからないが、森内九段、やるなぁ。

先勝した森内九段は圧倒的に強い、というデータもあるが、このまま羽生名人が黙って負けるとも思えない。

第二局以降も大変楽しみです。

あ、ぼくは昨日生徒の家に譜面を忘れて来ましたよ。ああ、オレのアホ。

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2011年3月28日 (月)

眼前で閉まるドア

先日、電車で移動中に携帯電話のゲーム機能で将棋に興じていたら、最終局面で「詰み」(←相手の王様の逃げ道を完全に無くす事)を必死に計算していたら、目的地の駅である千駄ヶ谷駅を、私の乗った電車が通り過ぎた。

椅子に腰掛けた私の視界を通り過ぎる、「将棋の聖地」千駄ヶ谷。

やべえ!レッスンに遅刻する!「6四角に同銀の…」じゃねえよ!オレ!

と焦って隣の代々木駅から急いで引き返した。結果として、近くまで車で来ていた生徒の人が、その車で私ごと教室まで送ってくれて事なきを得たが、まさに薄氷、間一髪であった。

将棋ブームもいい加減にしなくてはならないが、しかしこの将棋というゲーム。終わりが無いのが困る。全く飽きない。

困った困った。

あ、振り飛車対策はだいぶ上手になりました。

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2011年3月26日 (土)

将棋ブーム再燃

最近、羽海野チカ作のマンガ「3月のライオン」を読んでいるせいで、将棋ブームが再燃している。

携帯電話のゲームで将棋ソフトをダウンロードして、電車移動の合間や寝る前など、暇さえあればコンピューターと対局している。お蔭で若干の寝不足だ。いやしかしこのコンピューターがなかなかに強い。

コンピューターの強さのレベルは1〜100まであるのだが、レベル25のコンピューターが倒せない。

矢倉、美濃、穴熊、どれも簡単に突破される。

そうそう、私は振飛車が苦手だ。自分でやるのも、相手にやられるのも苦手だ。

今日は千駄ヶ谷でレッスン。奇しくも将棋会館の横を通る。

今日は3月26日。

恐らく、順位戦の佳境が迎えられ、棋士達は死に物狂いで将棋を指している。

穏やかな陽気とは裏腹に。

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2008年6月 3日 (火)

釣りに行きてえ

いつかこのブログを「釣りブログ」にしてしまおうかと思う時がたまにある。ものすごく硬派に、「本日の釣果、仕掛け、ポイント、そして獲物を使った晩御飯」しか紹介しないブログ。「魁!男塾」もびっくりの硬派さだ。それはそれで楽しそうだな。恐らくその方向転換は暫くはしないけれど。

今、何がしたいって、釣りがしたい。

行きたくて行きたくて、自分なりにいくつか考えている。

行徳の江戸川放水路の辺りでのんびりボートでハゼ釣りに興じる。これが一つ。ただ、今の時期はまだ型が小さすぎる。数も最盛期には遠く及ばないし。

もう一つは金田湾、或いは岩井海岸でのボート釣り。これは基本はシロギスとアジ狙い。けれど、釣れた小魚を生き餌にして仕掛けを適当に放り投げておくと…ひょっとしたらマゴチやヒラメが…みたいな妄想が膨らんでねえ。

シーズンを考えて、外房にイサキっていうのも良いね。この時期のイサキは美味いし。ただなあ、遠いんだよな、いかんせん。

最後に、これが今のところ本命。走水沖のアジ!これが美味いんだよ!なめろう食いてえ!半日出船でしかも道具レンタル込みで6500円みたいなのがあるらしい。

ああ、釣り行きてえ!!

恐らく、来週の月曜日あたり、強行します。一緒に行きたい人はご一報を。今のところ一人でソロ活動してくる予定なんですが。釣りに行きたいよお。行きたいよお。

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2006年3月 3日 (金)

コーヒーについて

コーヒーが好きだ。数百年前のヨーロッパでは、ドラッグの一種として扱われ、飲むだけで死刑にすらなったというコーヒーだ。確かにカフェインは中毒性もあるけれど、本当に所変われば(或いは時代変われば)品変わる、みたいなものだ。今やヨーロッパ中がカフェで溢れ返っているそうではないか。みな死刑か?いやいや、法律とは結構いい加減な物なのだろう、きっと。

小さい頃から、コーヒー好きだった親父が家でよくコーヒーを飲んでいた。幼い私は「何であんな苦いモン飲むんだ」と思っていた。それが、少しずつ美味しさがわかってきて、という凡庸な経緯を辿って、今のコーヒー好きな私に至る。勿論お酒もすごく好きなのだけれど、お酒を一旦飲み始めてしまうと、それが何時であれ、そこで一日が終わる。あとは酔い潰れて寝るまで一直線だから。コーヒーならば、一日はそこで終わりになったりは決してしない。本を読みながら、音楽を聞きながら、パチンコ屋で咥えタバコでイライラしながら。あらゆるシーンにコーヒーはするっと入り込んでくる。確固たる存在感と、かといってその風景風景を邪魔はしない慎ましさを併せ持って。憎いやつだ。

家でコーヒーを飲むのも好きだが、喫茶店に行くのも好きだ。大体はラッシュライフ(サイドのリンク集参照)に行く。出町柳にあるジャズ喫茶だ。コーヒーがとても美味い。一杯400円。私の幸せは400円で買える。器の小ささを物語っているのかも知れないが、それならそれで結構だ。コーヒーを飲んで、タバコを吸って、レコードを聴いて。この瞬間がずっと続けば良いのにな、とすら思う時もある。ちょっと大袈裟かな。

タバコの話が少し出たが、思い出した。禁煙したい。タバコをやめたい。ずっと思っているが、ずっと実行出来ていない。私が普段吸っているタバコは、ロング・ピースというキツイ目のタバコだが、それを軽いタバコに変えるつもりはない。もし変えるんならいっその事やめてしまいたい。タバコやめたい、タバコやめたい、タバコやめたい。

そんな事を考えていたら、コーヒーを飲みながらタバコが吸いたくなってきた。ああ、不条理。

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