言っちゃいけない事を言ってしまう病
ボーカリストの村松ショータローさんから「フクちゃんは言っちゃいけない事を言いたくなってしまう病で、なおかつ言ってしまう事をサービス精神と勘違いしている」と、極めて適切な分析を最近頂いた。
そうなのだ。私は言っちゃいけない事を言いたくなってしまう病なのだ。
こうやって長年ブログなんて書いていると、ついつい言っちゃいけない事を言ってしまってお叱りを受ける事も度々ある。
もうこの病は多分完治しないので、諦めていこうと思う。
という事で今日も元気にあんまり言っちゃいけない事を言っていこうと思うのだが。
現在の日本の首相に関して、私はどちらかと言えば良い印象を持っていない。
「うん、それには一理あるな」という部分と、「いや、そんな事ねえだろ」という部分が、私の知っている現在の政治に関して言えば3:7か2:8ぐらいで「そんな事ねえだろ」の部分が多い。
ちなみにこれがどっちにしても10:0もしくは0:10の人とはあまり議論をする気が起きない。絶対的な悪や善なんて始めから一つも信じていないから。
勉強不足の部分があるのはわかっている。現在の国際情勢や政治状況を全て把握している訳ではないし、新聞やテレビのニュースなど、言ってみれば「操作された情報環境」からしか情報を得ていない事を考えれば、それは不完全でしかないし、その不完全な中で想像力を働かせたりしながら考えていくしかない、と私は思っている。政治のプロフェッショナルにでもならない限りは。
で、先にも言ったように、私は現在の日本の首相に関してあまり良いとは思っていない。全てが間違っているなどとは思わないが、「もうちょい他にやり方があるんじゃねえかなあ」といった具合だ。
けれど、どうしても納得のいかない部分があって、それは何かと言うと、私と同じく安倍晋三氏の事をあまり良く思っていない人たちに対してだ。
揶揄したり、笑いの種にしてみたり、そういうジョークがたまらなく嫌いだ。本人たちはユーモアのつもりで言っているのだろうが、はっきり言って全然面白くないし、不愉快だ。
「はあ!?こいつ何言ってるの!?バカじゃねえのか!?」と憤るのは良い。けれどそれを上から見下ろしたような格好で揶揄するようなやり方が私は気に食わない。
フランスの新聞社S社がイスラムに関する風刺画を掲載した時にも「これやべえんじゃねえの?本人たちはエスプリかなんかのつもりだろうけれど、面白くねえし」と思っていたが、そこから負の連鎖は今も続いている。結局、揶揄された側の神経を逆なでしただけであるし、それは「表現の自由」という事とはまるで違う、と私は感じている。
日本人の美意識の中で私が憧れるものの一つに「粋」というものがある。私などは頭のてっぺんからつま先まで全て「不粋」で出来ているような人間なのでそれはまだまだ憧れの境地なのであるが、下品な揶揄はやはり粋ではない。
自分と価値観の違う相手と対峙した時に、その相違を揶揄して見下すのではなくて、相手の立場を想像して何とか妥協点というか合意点みたいな所に着地できねえもんかなあと、そんな事を思うのである。
いやね、今日たまたまネットで安倍首相に関するしょーもないジョークを見て「うわ、気持ち悪っ」って思ったからついついこんな言っちゃいけない事、というか言わんでも言いような事を言っている訳です。
安倍首相、私も良いとは思ってないんだけど、そういうものの言い方はねえだろって思って。
あーあ、また余計な事言っちゃった。
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