映画・テレビ

2012年12月17日 (月)

予告編完成!

映画の予告編出来てた。

メチャ良いじゃんか。

↓コレ是非見て下さい。youtubeね。

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2011年7月28日 (木)

俺リコ坂から

前から楽しみにしていたジブリの新作映画、「コクリコ坂から」を観に行こうという予定を立てる。勿論かみさんと一緒に、という約束だったのだが、偶然にも我々二人の分にプラス、タダ券が一枚あまっていたので、友人ヤマちゃんと三人で観に行く約束をする。近日中に観に行く約束だ。

さて。私とかみさんとヤマ、三人ともが全くもってモテない少年少女時代を送って来た。どうやら今回の「コクリコ坂から」は、青春時代の淡い恋の想い出が作品の概要であるらしいのだが、我々は先に述べたように青春時代に淡い恋の想い出などというものが無い為、その話の内容が皆目見当が付かない。というよりも、我々三人の経験則から言えば、青春時代に淡い恋などというものはまず有り得ない訳だ。

という事でここは一つ、私の経験を元に「俺リコ坂から」を考えてみたい。

便宜上登場人物に名前が必要なので、男の方が「陳・小太郎(チン・コタロウ)」、女の方を「幡・般子(パン・パンコ)」としたい。あくまで便宜上の名前だ。大意は無い。

まず、私の経験から言えば、中学生男子というものは好きな女の子に憎まれ口をきくものである。そういった事を考慮に入れて

「俺リコ坂から第一話」

般子「あっ!陳くん!今帰り?一緒に帰らない?」

小太郎「うっせえブス死ね!」

般子「何…アイツ…」

(了)

上映時間は約10秒である。

続いて。

男性諸氏には覚えもあるだろうが、中学生男子の頭の中の七割は「エロ」で占められている。残りの三割は「メシ」だ。また、この「エロ」の内、凡そ半分を「手慰み(てなぐさみ)」が占めているのもまた事実である。という事を考慮に入れて、

「逆境無頼伝・俺リコ坂から第二話」

舞台は学校の授業中。教師からプリントが配られる。般子の席は小太郎のすぐ前である。

般子「ハイ、陳くん、プリント。後ろに回してー」

小太郎「お、オウ…」

刹那、触れ合う般子の手と小太郎の手…っ。小太郎の脳裏に舞い降りる天啓…っ、閃き…っ。

小太郎(はっ!待てよ…この手を夜まで洗わずに…そして他のものに触れずに、手慰みまで持ち込めば…っ!)

小太郎は深く呼吸し、逸る気持ちを抑え付ける。

小太郎(今やこの俺の手は半ば俺の手であって、半ば俺の手ではない…っ!もはや揺るぎない…っ!圧倒的勝利…っ!何たる僥倖…っ!)

般子「ん?陳くん?どうしたの?」

小太郎「ななな何でもねえよっ!うっせえ、死ねブス!」

(了)

極めてよくある光景である。

続いて。

中学生時代というものは、トレンディドラマなどに憧れるものである。この傾向は女子に強く、皆気分は一様にW浅野(ダブルあさの。「温子とゆう子」の意)である。

トレンディドラマなどで覚えたセリフを小粋に使いこなし、自分もナウなヤングになりたい!などと切望するのもこの世代特有の傾向であるが、如何せんこの世代はまだまだ未熟である。過ちも犯す。

かつて坂本金八というロン毛教師はこう叫んだ。「彼等はまだ未熟なんです!だから間違えるんです!間違えたら“それは間違いだ”と繰り返し教えてやる!それが教育なんです!」と。ああ、何だか中島みゆきの「世情」が聴きたくなって来ましたな。

ともかく。彼らはトレンディドラマに憧れる。そして彼らは間違える。これらの点を勘案して、

「101回目の東京俺リコ坂ラブストーリー」

般子「チーンくん!ねえ、アナルセックスしよ!」

金八「それは間違いです!アナルはいりません!ぼくは死にません!」

小太郎「狂っとる…みんな狂っとるで…」

(了)

すいません、今日は下品でした。

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2011年6月20日 (月)

「おくりびと」

映画「おくりびと」をDVDにて観る。

数年前に公開された映画だが、その時には観る機会に恵まれなかった。ちょっと気になっている、ぐらいの映画だと、タイミングが合わないと中々観に行けない。すごく注目している映画ならスケジュール調整をして無理矢理にでも観に行くのだけれど。ちなみに今封切りを楽しみにしている映画は、若松孝二監督の三島由紀夫に関する映画だ。これは絶対に観に行きたい。

ただ、その映画、「おくりびと」の評判は、当時あちらこちらから耳に入っていた。曰く、「とても良い映画だ」と。そういう評判を耳にしていた数年後の昨日、実際に観終わった感想は、綺麗にそこに一致した。実に良い映画だった。

まず驚いたのは、主役小林を演じていた「モックン」こと本木雅弘氏の演技だ。一言で言ってしまえば、私は彼の事を見くびっていた。あんなにも素晴らしい役者だとは知らなかった。

本木氏演じる主役小林には、あまり饒舌な台詞は割り振られていなかった。つまり、決して台詞の多い役どころではなかったのだ。

本木氏は所作と、表情と、そういった「台詞を伴わない演技」によって、必要十分な情報を我々観客に伝える事に成功していた。

それが最も効果的に際立ったのが、ラストシーンである。まだ「おくりびと」を観ていない方々の為に詳細は避けるが、この物語においては重要な小道具として「石」が用いられる。その「石」がある所からこぼれ落ちるシーンで、本木氏の演技は冴えに冴え渡った。素晴らしい演技で、無駄な「説明」を根こそぎ省略する事に成功していた。私はそれを観ながら、「もし他の役者が主役を演じていて、このシーンが説明臭くなっていたら最悪だな」と思った。それは本木氏の素晴らしい演技の産物でもあったのだ。

また脇を固めていた所で言えば、山崎努氏と笹野高志氏が素晴らしかった。特に物語序盤においては、主役は山崎氏演じる納棺士なのではないか、と思うほどの圧倒的存在感であった。笹野氏演じる中年男性も、物語の終盤に良いアクセントを利かせていた。

私は個人的には、ラストシーンで本木氏が見せた涙、表情をほぼ変える事ないままに頬を伝い鼻を伝う「静かな涙」に背筋が震えた。いかん、今思い出しても泣きそうだ。

生と死とは。そして家族とは。そんな事を、納棺士という一風変わった職業のフィルターを通しながら、正面から静かに描いていく。実に素晴らしい映画だった。

そして、心に残る映画だった。

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2011年4月18日 (月)

二人で作る棋譜

ふと新聞のスポーツ欄を見たら、カープ現在首位!いつものように鯉のぼりが降りるまでの天下だろうが、やはり嬉しい事は嬉しい。頑張れカープ。

午前中に小岩の実家でのレッスンを終えて、少し練習をしてから一旦家に帰る。

休憩がてら、TSUTAYAで借りて来ていた羽生善治九段、森内俊之名人のライバル関係に焦点を当てたドキュメンタリーを観る。

非常に印象に残ったのは、森内名人の言葉。

羽生善治九段との対局の際、それは確かに「勝負」をしているのだが、それと同時に一種の「共同作業」をしているような感覚を抱く、との事。二人でアイディアを出し合いながら新たな棋譜を作る作業だ、と森内名人は言った。

それは互いが互いを高め合う行為だ。

片方が思いもつかなかった一手を、もう片方が打つ。するとそこに、独りでは生まれ得なかった独創的なアイディアが新たに生まれる、と言うのだ。

素晴らしい共同作業だ。芸術を生む、というのは或いはこういった土壌から生まれるのかも知れないと私は思った。

翻って昨日のワークショップを思い出す。音楽もやはり同様に、様々な人間が同時に共通の空間を共有する事で、新たなアイディアが生まれ、新たな作品が出来上がる。思いもよらない一手が次の奇跡的な一手を生むように。

それは何だかとても素晴らしい事のように思えるのだ。

そういえば昨日、そんな事を思った。

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2011年3月23日 (水)

地上D

地上D
燦然と輝く地上Dの文字。

我が家のテレビがついに地デジ化しました。

ややこしい事情があるので全て細かくは書けないが、実はアレがアレしていた所をアレしてアレになって、アレな結果テレビを頂いたのだ。

という事でテレビが液晶に。テレビカラーがピンク色なのがラブホテルっぽいが、いやあ、地デジ、映像すげえキレイだわ。

女優さんとかは大変だと思う。肌荒れまで見える。

テレビを寝床に置いたのは、恐らく失敗な気がする。寝床でテレビばかり見てしまうぞ、こりゃ。

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2011年2月18日 (金)

平成のジレンマ

昨晩、大学時代の先輩と共に東中野の「ポレポレ」という小さな映画館で「平成ジレンマ」という映画を観る。

戸塚ヨットスクール、というスパルタ式で有名なヨットスクールを追ったドキュメンタリー映画だ。

結論から言えば、とても面白かった。

映画冒頭で映し出される過剰なまでの体罰は、一旦観客に「嫌悪感」に近いような拒否反応を植え付ける。体罰の是非云々の前に、ここまで過剰な暴力は流石にまずいだろう、と。

後々から作者(監督)の意図が明らかになるが、恐らくは作者は我々観客に、冒頭で恐怖とも嫌悪感ともつかない感情を抱かせる事によって、まずは戸塚宏という男に対しての否定的な見方を強要している。私などはまんまとその策略に嵌まったクチだ。

そこから徐々に戸塚ヨットスクールの内情を、内側から描いていく。不思議な事に、観客である私の中には、先程の体罰を肯定、とまではいかないまでも、「まあ仕方なかった部分もあったんじゃねえの?」というような感情が芽生えてくる。

この作品のそもそもの狙いはそこなのである。というよりも、ドキュメンタリー制作者の本質的な部分はそこなのだ、という事に気付く。

当たり前の事だが、簡単に善悪が二元化出来る問題というのは極端に少ない。(或いは、無い)正義とは往々にして発言者の「都合」であるし、悪というのも逆の意味でまた同様だ。

そうした時に、我々は「では問題の根っこにあるのは何なのか?」という事に考えを巡らさざるをえない。

そこを取り出して来て、断片を我々観客に提示してから「考えさせる」。これこそがドキュメンタリーというものの本質なのだ。

例えば、作中で戸塚宏氏は「いじめ」というものを肯定してみせる。そこには不思議な説得力があり、私もなるほど、と思わされる部分はあった。

しかし、作品の最後、エンドロールでスタッフ達の名前が流れていく傍らで流されるのは、実際に戸塚ヨットスクールで行われている「いじめ」の映像だ。それは、戸塚校長の言う「(いじめられる側の)進歩」を前提としたものではなく、陰惨で鬱屈とした映像だった。戸塚校長の理想とする「いじめ」に、それは遥かに程遠いいじめであった。

さて、戸塚宏という男は善であったか悪であったか。実の所、本作はそこについてはさほど言及していない。戸塚宏という、極めて強い個性を持った人物を通して、現代、つまり「平成」に蔓延るいかんともしがたい閉塞感、「ジレンマ」を映し出した。そこを我々観客に問い掛ける。「どうよ、現代ってさ?」と。

現代という事に関して言えば、良いとも悪いとも言えないというのが私個人の意見だ。ただ少なくともこれだけは言える。「考える価値はある」と。

学校教育が、これまでに無かった程に窮屈な事態になっているという事は、様々な方面から話を聞いてなんとなくは知っている。少年少女達は、そして教育者達は、今何を考えながら生きているのだろうか。

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2010年12月 6日 (月)

月曜ロードショー

そして本日はヤマちゃんが我が家にやってきて鍋。

終わったら、「天空の城ラピュタ」を見た事がないというヤマちゃんとラピュタを観ます。

ぼくは通算でいうと50回目ぐらいの鑑賞になります。

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2010年10月14日 (木)

悪人

映画「悪人」を観に行く。

ふかっちゃんの可愛さは異常。

そして柄本明と樹木希林の存在感も異常。

とても良い映画でした。

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2010年7月30日 (金)

かりぐらしのアリエッティ

かみさんと友人のヤマと三人で、ジブリの新作、「かりぐらしのアリエッティ」を見に行く。

ものすごく面白い。

ジブリ、やっぱり本気出したら面白いの作れんじゃん。

我々は30歳が三人、周りは子供ばかりだったが、平日の昼間っからアニメを観てる訳だが、「働けよ!」というツッコミは一切受け付けない。

いやあ、子供よりも夢中に観てたよ。「そこ危ない!」とか「アリエッティ、萌えるわー」とか。

最後はちょっと泣いた。

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2010年7月20日 (火)

事件は会議室で起きてるんじゃない!

新宿二丁目で起きてるんだ!

という事で、「踊る大捜査線アッー!」をかみさんと観て来ます。

いかりや長介がちょっと出てるらしい。

青島「和久さん…好きです…」

和久「青島ァ…俺はノンケだ…」

青島「和久さん!事件は会議室で起きてるんじゃない!二丁目で起きてるんだ!ウホッ!ケツ貸して下さい!」

室井「青島…俺も交ぜろ…」

という事で、O田Y二が新宿二丁目からお届けする「踊るアッー!大捜査線」、楽しみDEATH!

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