旅行・地域

2011年10月16日 (日)

本日は晴天なり

本日は晴天なり
賀茂川。

お弁当を作って、ピクニックをしている中年夫婦を何組か見る。

ピクニックって良いなあ。しかも自家製弁当て。

今度かみさんとピクニックをしようと思う。お弁当を作って。

さて、京都に来たらいつものコース。墓参りをしてから北大路橋東詰めのうどん屋「みなもと」へ。

ここのうどんが日本で一番好きだ。

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2011年10月15日 (土)

今日の現場

今日の現場
京都の太秦にあります。

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2011年10月14日 (金)

雨の記憶

いい加減荷造りをしないとと思っていた辺りで、夕方から思い出したように雨が降り始めた。

雨が降ると、本当に全く理由もわからないのだけれど、何故だか頭の中で思い出される記憶がある。

私は幼い頃から大学三年生が終わるまでずっと柔道というスポーツをしていた。自分で言うのも何だがそれなりに強かったし、随分真面目に取り組んでいたと思う。純粋に競技が楽しかったという事に加えて、どこかで「自分が強くなっていく過程が楽しい」という事はあったのかも知れない。

中学生ぐらいの頃には学校の部活動だけでは物足りなくて、二駅離れた本八幡駅にある町道場にも並行して通っていた。

この町道場からの帰り道、道場から本八幡駅への道すがら雨が降っていた事があって、何故かその時の記憶が妙に蘇るのだ。

傘に当たる雨の音や靴が水溜まりを踏む音を思い出すだけではなくて、練習後に飲んだスポーツドリンクだのイチゴ牛乳だのの味までが口の中に蘇る。本当に理由はわからないのだけれど、それらの視覚聴覚味覚嗅覚が一体となった感覚が、雨の度に記憶として蘇る。

今日は今から夜行バスで京都に向かう。小岩駅への道すがら、傘を差しながらとぼとぼ歩く中学生とおぼしき少年とすれ違った。

或いは君も何十年経った後に今日の雨を思い出したりするのだろうか、この何でもない雨を。

そんな事を考えていたら、何だか愉快になってきた。

只今夜の20:00。夜行バスが出るのは23:00過ぎ。

ちょっと早めに出発予定地の上野駅に着いたので、一人で上野駅を散策してみようと思う。

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2011年10月 7日 (金)

夜行バス

夜行バスのチケットを予約した。来週関西に行くので。

昔は夜行バスが大嫌いで、でも金が無いから夜行バスしか選択肢が無くて仕方無く乗ってたけど、久し振りに夜行バスに乗ると思うと、ちょっとだけ楽しみ。

深夜のサービスエリアってのが結構好きなんだな。

これぐらいの時期は特に。暖かくて甘ったるい缶コーヒーとタバコね。良いよね。

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2011年7月 3日 (日)

福岡市動物園にて

福岡市動物園にて
福岡市動物園にて
サバンナで最強の動物は、実はキリンだという話を以前聞いたことがあるが、実際はどうなのだろう。

キリンはあまり強そうには見えなかったけど。

トラはすごく強そうだった。

久しぶりの動物園。

楽しかった。

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2011年7月 2日 (土)

福岡で練習

福岡で練習
福岡の親戚の叔母は昔からピアノ教室をやっていて、家にピアノがあるので、今日はそこのピアノを借りて練習。

グランドピアノ楽しい。

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2011年7月 1日 (金)

福岡

福岡
福岡空港に到着。

空港に来た時のオレのテンションの上がりっぷりは、マジハンパねえな。

空港でテンション上がらねえヤツがいるんだろうか。

多分いない。

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2011年6月 5日 (日)

築地はインドみたいだ

一昨日に築地へ行ってきた。細い路地に小さな店がひしめく様子は、インドのバラナシという街を思わせた。

大江戸線の築地市場駅に着いた時点で魚の臭いがぷんとするというのもインドっぽい。インドは、空港に降り立つと「インドの臭い」がするのだ。これは本当だ。

たまたまだが、かみさんが図書館から借りていた「築地用語辞典」みたいな本が家にあった。パラパラとめくると、嘘のような(多分ホントの)「築地用語」が紹介されていた。

「おい」→「バカヤロウ」

「おい、元気か」→「バカヤロウ、元気か」

などなど。

面白かったのは、「ああー、今日は芸者の頭だなあ」と言うと、「今日は客が来ないなあ」という意味になるという築地用語。

何故そうなるか、正解は明日。単なるダジャレです。

ヒント:江戸っ子は「ひ」が言えない。

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2011年5月19日 (木)

岩沼の事4

三日目を岩沼で過ごす最後の日と決めていた。東京に戻って仕事をしなくてはいけなかったし、滞在可能な日程としてはやはりその日が最後だった。

朝、6時過ぎほどに目を覚ましてから、簡単な朝食を摂って朝の作業の準備をする。

歯を磨いている時には、「今日で最後か」という感慨などは特別には無かった。「作業、面倒くさいな」などというネガティブな感情がある訳でもなく、ただ淡々と「10分前にボランティアセンターに並んで…」などとその日の段取りの事だけを考えていた。それはそれで今から思い出して考えてみると不思議な話なのだが、事実、そうだった。

三日目の朝は土曜日の朝だった。土日を使ってボランティアにやってくる人達も多く、私がぼんやりとしていると、私のテントの横に、新たにやって来た人達が新たにテントを設置していた。

簡単な挨拶や雑談をする。私は半分も減っていないウイスキーの瓶を彼らに進呈した。持って帰るのも重かったもので。

三日目の作業は、20人の大チームだった。京都からやって来ていた男性の方がリーダーを引き受けて下さったのだが、その男性と仲良くなって少し喋る。彼は幾つかの被災地を周って来たらしく、他の被災地の状況などを聞いた。どこも大差はないらしく、やはり大変な状況らしい。

その日の作業は、初日と同じ、濡れた畳の搬出と泥かきだった。少し慣れて来た事もあり、順調に午前の作業を終えた。

作業を終えてテント村に戻り、自分のテントの撤収作業に取り掛かった。

この時にやっと、「ああ、東京に帰るのだな」という感慨がやって来た。

三日間を振り返ってみて、殆ど私は何も出来なかったな、という情けない感情も抱いた。もう少しフルに働ければ良かったのだが、準備不足や少々のアクシデントにより、予定していた行程の半分ほどしか作業が出来なかった事を反省した。

帰りは新幹線を使って東京に帰った。現在、仙台から東京まで、期間限定なのだろうが、新幹線の運賃が半額になっていた。通常ならば1万円の運賃だが、5千円で東京まで行ける。バスと殆ど値段も変わらないのだった。これには助かった。

今回のボランティアに関して私見を述べさせて頂くと、一ヶ月近い長期間で作業にあたる方々は別として、数日間の作業のみという事になれば、そこにはやはり多少なりの自己満足の感が介在することは否定できない。私も岩沼に赴く事に関して「所詮自己満足なのでは」と思っていたが、実際に行ってみた感想としては、やはり大いに自己満足である、と再確認した次第だ。

だからこそ、逆に前向きに捉えれば良いのではないだろうか、と私は思っている。立派な大それた事をしに行く訳ではない、所詮自己満足の為に行くのだ、と割り切れば、とても気軽な気持ちで被災地の復興作業にあたる事が出来るのでは無いだろうか。自分の情けなさに打ちひしがれる事ぐらいはあるかも知れないが、余程勘違いでもして行かない限りはそうそう現地の人々に迷惑をかける事も無い。ボランティアの基本だと言われる「自己完結の精神」さえ忘れなければ、何とかなる。泥かきの作業や被災者宅の清掃作業は、少なくとも人に迷惑をかけるような作業ではない。極めて微力ながらも、復興を前進させる一歩には繋がっているのだ。大した事ではないのだから、臆する必要もない。乱暴な言い方になってしまうが、「どんどんやれば良い」のだ。

そしてありふれた結論になってしまうが、これらの作業に求められるのはある程度の長さを持った継続性だ。私のような素人でもわかる事だが、「とりあえずの復興」という段階まででも、一年二年という時間が必要になる。無理の無い範囲内で構わない。「良い事をしよう、立派な事をしよう」などと気負わずに、本当に気軽な気持ちでその手助けを継続してやっていければ良いのでは、と私は感じた。

極めて個人的な事を書けば、被災地の現状(あくまでも一端ではあるが)を自分の目で見て、そして身体で感じられた事は、得難い経験であった。例えば三日間、私は日課にしているピアノの練習が出来なかった。それは音楽を生業にしている人間からすれば、なかなかに恐怖を伴う事である。練習が出来ない、というのは本当に怖い事なのだ。だが、それを含めて考えてもやはり「行って良かった」と思うのだ。いつも通りにピアノの前に座って練習をする事も勿論大事な事ではあるのだが、そうした得難い経験を通して、もう一度真摯に音楽と対峙する事が出来る。その意味でも私には大きなプラスとなった。

また、「被災地に行けない(行っていない)事」に関しても、負い目を感じる必要は全く無いと私は思う。復興支援の一形態として、「現地に赴き身体を動かす」という選択肢があるに過ぎない。東京を中心とした都市部、また離れた関西や九州などからの後方支援という形態も、これは極めて大事な事だ。「被災地に直接行かない人間には何も言う権利は無い」などと言う人間がいたとしたら、その人間の言う事はあまり信用しない方が良い。

最後になる。今回私が岩沼に赴く際に、強く心に留めておいた言葉がある。思想家吉本隆明氏の言葉を、糸井重里氏が紹介していたのだが、こんな言葉だ。

「『いいことをしているというときには、わるいことをしていると思うくらいで、ちょうどいいんですよ』これは吉本隆明さんから聞いたことば。いいことは、人を酔わせるからなあ」

長々と岩沼でのボランティアの事について書いてきたが、もしこの文章を読んで、「オレでも出来そうじゃん」、「オレも行ってみようかな」などと思っていただけたら、とても嬉しい。

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2011年5月18日 (水)

岩沼の事3

初日の作業は想像以上にきつかった。一言で言えば、目測を見誤った。

「作業はさほどきつくないだろう」という誤解、そして「自分の身体はまだまだ動くだろう」という誤解。それらの自惚れにも似た誤解が同時に作用した格好だった。

夜行バスでの移動でほぼ徹夜に近い睡眠不足、そして朝食を摂っていない事からくるエネルギー不足。それらも全て上記のような慢心による誤解がもたらしたものだったのかも知れない。

私は午前の作業を終えて一度自分のテントに帰ると、そのまま倒れこむようにして寝転がってしまった。疲れ果てて、そのまま午後の作業には出なかった。

「働くぞ!」と意気込んで行っていただけに、その「サボり」という事実に私は心中落ち込んだ。情けないなあ、とテントの天井を見上げた。しかし、身体は言う事を聞かなかった。

数時間眠って起きると、腹が減っている事に気がついた。手持ちの食料もあったのだが、岩沼駅からボランティアセンターへ向かう途中に、道の向こう側に牛丼の吉野家を見たのを覚えていた。カロリーメイトやらウィダーインゼリーやらではなくて、私は米が食いたかった。身体がカロリーを欲しているのがわかった。

歩くのは確かに面倒ではあったのだが、私は立ち上がってテントから這い出て、吉野家を目指した。雨がぽつぽつと降り出していた。

辿り着いた吉野家は、東京の吉野家と何ら変わらなかった。牛丼はいつものように美味かった。貪り食った。

食事を終えて一息ついてからテント村に戻ると、そのテント村の「村長」らしき人が私の方へ近付いてきた。近付いて来て曰く、その日は夜にかけて雨と風が強くなる、という予報が出ていたらしい。テントに防風の設備が無いとテントの骨が風で折れて壊れてしまう、テントを畳んでおいて、近所にある避難所で一晩を過ごした方が良い、と言うのだ。

何だか面倒な事になったなとも思ったのだが、仕方がない、自分の我を押し通して誰かに迷惑をかけても本末転倒だと思い、素直に従う事にした。貴重品とタバコと携帯の充電器と詰め将棋の本だけをビニール袋につめて、寝袋を脇に抱えた。残りの荷物はテント内に残した。テントを畳んだ上からビニールシートもかぶせるのだし、中のものは濡れないだろう、と踏んだのだ。避難所に大荷物を持っていくのも何だか嫌だったし。

避難所には、段ボールの板で仕切られた生活スペースがあった。私と他に数名、テント村から「避難」させられた人々がそこを共同で使わせてもらう事となった。

そのスペースで、共に避難させられた人たちと雑談を暫くしていると、「腹でも減ったしみんなでメシでも行くか」という話になった。前述の通り私は吉野家で食事を済ませていたので、その誘いを断った。皆が食事に出掛けると、私はその段ボールスペースの中で再び一人になった。

すぐ近くにあった本棚に、雑誌の「文藝春秋」が数冊あった。直近の芥川賞受賞作二篇を全篇掲載した号があり、それを手にとって西村賢太氏の「苦役列車」を読んだ。

読み終わると、そのまま寝袋の中で寝てしまった。

・・・・・・

朝起きると、雨はすっかり上がっていた。朝の6時30分から、避難所にいる人たちはラジオ体操をする決まりになっていた。私も起きていたので、一緒にラジオ体操に参加した。随分と久しぶりにラジオ体操をやった気がするが、不思議なほどにしっかりと覚えていた。子供の頃に覚えた事はなかなか忘れないものだ、と思った。

避難所を後にしてテント村に戻ると、私のテントを畳んだその上に、随分大きな水溜りが出来ているのが見えた。嫌な予感はしたが、上にかけたビニールシートをめくってみると、中の荷物が全て雨に濡れてしまっていた。特に作業着が全てぐしょぐしょに濡れていたのが痛かった。暫く思案したが、前日の午後の作業に引き続き、これは午前の作業も休んで衣服を乾かさなければ、と思うに至った。やはりこれも我ながら情けなかった。作業をして身体を動かしに来ている筈なのに、何でこうなるのか、と。

諦めて、衣服に染み込んだ雨水を手で搾り、日当たりの好い場所にそれらを干した。日差しはなかなかに強く、7時過ぎごろから干し出した私の洗濯物たちは、10時を過ぎる頃には九割方乾いていた。これで午後の作業が出来る、と私は安堵した。

午後の作業は、たまたまであるが、前日と同様に少人数のチームだった。この日はひたすらに泥かき。庭にたまったヘドロを掻いては運び掻いては運び、という作業だった。確かにきつい作業ではあるが、慣れれば何とかなる。それと前日と比べて言うならば、睡眠と栄養(朝食)をしっかりと摂っているという事が大きな違いを生んでいた。途中でこまめに水分補給をしたり、そういう事でもだいぶ違ってくる。そういった体調面での「準備」も実に大切であると私は実感した。

この日の作業中も、休憩時間に依頼主のご主人と話す機会があった。

ヘドロまみれになった庭を見ながら、「昔はこの庭でよくバーベキューなんかやってさ、外にある田んぼの稲を見ながら昼からビール呑むんだ。最高だよ?」なんて言っていた。

「ああ、そりゃたまりませんねえ。ビールも美味いですよ、そういう時なら」などと言いながら酒だのタバコだのの話でしばし盛り上がる。ご主人は、とても明るく笑っていた。それが私の印象に残った。

作業が終わってテントに戻って、この日は少しだけ酒を呑んだ。持ってきたウイスキーをちびりと舐めた。やはり気がつくと、私は眠りについていた。

(つづく)

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