文化・芸術

2015年10月 3日 (土)

風の中の賢治

昨日は仕事が終わってから一人でとぼとぼと上野の国立博物館へ。

アニメーション映画『銀河鉄道の夜』が野外で上映されると言うので。

見終わってどうだったのかと言えば、それは文句なしに素晴らしかった。それはわかっていた。私はかれこれこの映画を20~30回ほどは見ていて、それほどにお気に入りで私にとって特別な映画であるから、それを野外で観て悪い筈が無いのである。

普段ならばこういう場面であれば缶ビールの何本かも買い込んで一人宴会の様相で観るものだが、昨日はそれもしていない。ペットボトルのウーロン茶を一本だけ買って、シラフで観た。シラフで観たかったのだ。

昨日の当ブログの記事にも書いたが、19:00に上映開始であるのにも関わらず私は17:00には国立博物館に到着しており、座席を確保したのは良いものの一人なのでそこから離れる事も出来ずに、ひたすらに二時間を座って過ごした。携帯でスクリーンの写真を撮ったりなどもしていたが、それにはすぐに飽きてしまって、やはりぼんやりと過ごした。

こういう時間の過ごし方は私の最も好きな時間の過ごし方である。特別にする事もなく、ひたすらに「待つ」というのは、私にとっては実に至福のひと時なのである。余談だが、大学時の私の卒業論文は「待つという行為について考える」というものと「現実の不確かさについて考える」というものであった。「待つ」という行為は実に面白い。

待っている間、作品『銀河鉄道の夜』について考えた。それから宮澤賢治について。

宮澤賢治という作家は、おそらく私が最も多大な影響を受けた作家だ。どんな作家かと言えば、私の個人的な印象としては「純然たるキチガイ。ゆえに天才。そして唯一無二」というものである。

賢治の世界観にはついていけない時が多々ある。この『銀河鉄道の夜』という作品に関してもそういう所はある。賢治の「石オタク・星オタク・宇宙オタク」みたいな部分が一切の遠慮無しに作品に注入されてしまい、何を言っているのだかわからない場面も少なくない。

でもそれで構わない。賢治の世界観はそれで良いのだ。石や星や宇宙について我々が専門的な知識を持たなくても良い。それはそういうものとして受け止める以外にない。

20年以上昔、中学生だった時に宮澤賢治の詩集『春と修羅』を初めて読んだ時の衝撃は忘れない。

~わたくしという現象は仮定された有機交流電灯の一つの青い照明です~

キャー!ナニコレ!意味がわからない!そしてとんでもなく美しい!タケシ少年はイチコロだった。今読んでも意味がよくわからない。有機交流電灯が何なのかよくわからないし、この詩にはあとで「因果交流電灯」も出てくるし、そもそもこれは詩ではなくて「心象スケッチ」なのだ、と。賢治の世界観はぶっ飛んでいる。理解しなくて良いのだ。あるがままに感じるしかない。

昨日も映画を観ながら「いやあ、良いね!相変わらず賢治の世界観はぶっ飛んでいるし、別役実の書いた淡々としながらも重苦しい脚本は観客を暗い宇宙へトリップさせるには充分だ!細野晴臣の音楽も素晴らしい!この作中のメインテーマになっている曲はひょっとすると細野晴臣の最高傑作なんじゃないか?ますむらひろしのキャラクターデザインも良いよね!この猫の擬人化っていうのはこの作品の一つの重要ポイントだよな!しかし最高な映画だ!素晴らしすぎる!うむうむ!」と一人でニヤニヤしていたのだが、後ろにいた若い女二人組が「何かさー、猫はカワイイんだけどさー、さっぱり意味がわかんなくない?これ面白いの?」なんて言っているのが聞こえてきたものだから、オジサンは振り返って小言の一つも言ってやりたくなりましたよ。

「あのねえ、意味がわかるものだけを良しとする態度はいかがなものかねえ。よく意味がわからないから何べん観ても面白いんだよ!あのリンゴは何を象徴しているのか、とか、何故作中の登場人物は猫ばかりなのに、後半に人間が三人だけ出てくるのかとか、この作品の中で描かれる死の意味は、とかそういう事を考えながら観ていたらめちゃんこ面白いの!この作品は!もうお前らは上野公園にいるホームレスに(以下略)」などとね。もちろん言いませんけどね。

いやほんと、確かに難解な映画ではあるのだ。全体的な空気もずっと重苦しいし。しかし、だからこそ面白い。観る度に発見がある。そして生と死について考えさせられる。哀しくて切なくて、そしてたまらなく美しい。

本日10月3日も上野の国立博物館で野外上映をやっているらしいので、観た事がない方には激しくオススメ。

ああ、全部仕事をほったらかして岩手に行きたくなってきたなあ。北上川と早池峰山を見ながら賢治の世界に浸るんですよ。あめゆじゅとてちてけんじゃ。

最後に大好きな賢治の詩を一つ紹介。これも最高だ。

  眼にて云ふ   宮沢賢治  

だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。  

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2014年9月16日 (火)

京成呑み。その滋味

私が普段定期的に行っている一人呑みには幾つかのバリエーションがあるのだが、その中でも比較的ユニークなのは「台風呑み」と「京成呑み」である。

台風呑みとはまさに文字通り。台風の日にカッパと長靴などのフル装備で外へ出て行って、公園や河原などで缶ビール乃至缶チューハイを呑むという大変に風流な遊びである。横殴りの激しい雨に打たれながら「良いぞー!もっとやれー!うほほーい!」と叫びながら酒を呑むのは実に楽しい。台風が通り過ぎたらお開きかと思いきや、嵐の後には鳥や虫の囀りが聴こえてくるので、それをつまみにもう一杯呑る。若干命の危険に晒されながら呑む酒のまずい筈がない。これもオススメである。

さて、もう一つの「京成呑み」について、ここの所各方面から「何なのそれバカなの?」といった声から、「単にテツ(鉄道オタクの意)なだけなんじゃねえの?」といった声まで、実に様々の疑問の声を頂くようになった。様々な意見を総合すると、共通しているのは「意味がわからない」といったものである。

確かにそれは無意味かつ不毛な行為に映るのかもしれない。勿論そのように見られる事はある意味では仕方がないし、私もそこへ来て「無意味な事にこそ意味があるのだよ」などという禅問答的なフリをした詭弁を弄するつもりもない。

しかし、この「京成呑み」という情趣溢れる酒の呑み方、おそらくこの遊びを発明したのは私が最初だとは思うのだが、これに関しては当然一家言持っている訳である。何せ私は「京成呑み」の産みの親であるのだから。本日は皆様にこの遊びの愉悦を少しでも知って頂きたく、やらなくてはいけない仕事が山積みになっている所を放置して(もしくはその山積みになっている仕事を見ない事にして)こうして筆を執っている次第である。是非皆様もその深淵なる情趣の片鱗に触れて頂きたい。

「京成呑み」の悦びの大部分は、思索の悦びである。上質な映画というものが、その上映時間の2時間余りの時間にのみならず、観終わった後にも「あそこで言いたかったのはこういう事なんじゃないか」や「こういう感情に包まれた時にはなるほど人間というのはあのような表情を見せるのだな」などといった具合に様々な思索を我らにもたらすのはよく知られた話である。これは小説などにも当てはまる話だ。私たちは単なる暇つぶしの為だけに、単なる娯楽として映画や小説或いは演劇や音楽に触れるばかりではない。そのような「思索の悦び」を堪能したいという欲求は常にある。大雑把な言い方になるが、「文化」というものはそのようにして発展を遂げて来たのだ。

「京成呑み」の産みの親であるこの私が規定する「京成呑み公式ガイドブック」の冒頭には、「京成呑みとは、京成線がすぐ近くに見える空き地や駐車場など、他人に決して迷惑のかからないスペースにおいて缶ビール乃至缶チューハイを片手に、眼前を走り去っていく京成線を眺めつつ酒を呑む遊びの事である」と記してある。但し書きとして「誰かに訝しげな目で見られたり、公安のお犬様(通称ポリス)に注意された場合などには速やかにその場所を立ち去り、新たな京成呑みスポットを発見する事」とある。なるべく人に迷惑をかけないように気をつける、という「大人マインド」は常に傍らに携帯しておきたい所である。

そう言えば説明が遅れたが、京成線とはそもそも電車である。京成とは東京の「京」と千葉県成田の「成」を繋ぎ合わせた造語であり、東京の上野から成田空港までを結ぶ電車がそれである。言うまでもない事だが、私が世界で最も愛してやまない電車が京成線だ。

私が京成呑みのスポットに選ぶ事が多いのは、私の自宅近くの京成小岩駅近辺が多い。京成高砂駅、京成江戸川駅、京成国府台駅などの駅の線路沿いのスポットである。

時刻は夕方以降、やはり空が暗くなってからの方が趣深い。というよりも明るい内から酒は(なるべく)呑まないという自分ルールもある為、必然的に夕方以降の時間になる事が多い。

この時間の京成線というのは、上りの電車と下りの電車で随分と様子が違うのがすぐに見てわかる。圧倒的に下り電車(東京から千葉方面に向かう電車)の方が乗客が多く、上り電車(千葉方面から東京に向かう電車)の方が少ない。

こういった部分から思索の悦びは始まっていく。

下り電車に目を向けてみよう。乗っている客の大半は昼に東京で働き、千葉にある家に帰る、というシチュエーションの客である。逆のパターン(千葉で働き東京に帰る)に比べてこちらの方が圧倒的に多いのは、家賃や地価の問題と大きく関係している。やはり千葉の方が住宅に関わる費用は全体的に安く済むケースが多い。仕事としての給料は、東京の方が高い事も多い。いわゆる「ドーナツ化現象」である。

その際に、彼らは職場近くの東京に狭い家を借りて住むよりは、少々郊外になっても構わないから一戸建てなどの家を欲した人々である、という想像がつく。

ここで考える。

彼らが欲したのは単なる「一戸建ての家」ではないのだ。それはあくまでも現実的な「物質」であり、欲したもの、また願ったものはその背後にある「家庭」という共同幻想なのだ、と。

家族とは何なのだろう。家庭とは何なのだろう、という思索が私の中で始まる。

眼前を走り去っていく京成線に目を向ける。車窓の中に、窓にもたれかかっている疲れたサラリーマンを見る。一日の疲労が顔色に窺えるものの、その表情にはどこか安堵した色もある。それはおそらく自らが欲した「家庭」に帰っていくからだ。そこは自らの安らぎの場所であり、心を許せる場所であるのだ。

それを眺めながら缶ビールをちびりと呑る。いつも以上にまろやかな苦みが私の口腔を潤す。

上り電車に目を向けると、閑散とした車内が見える。私もこれまでに幾度となく列車の旅をした事があるが、夕方過ぎの閑散とした電車内という雰囲気ほどに旅情を掻き立てるものはない。寂しさと侘しさ。それを暖かく包み込む京成線という一種の「母性」。

上り電車には稀に化粧の濃い派手な格好の若い女なども見受けられる。上野の歓楽街のホステスかも知れない。そんな事を考える。

元々は千葉のヤンキー少女だったのかも知れない。若い頃に付き合った男との間に子供が出来て母親になったは良いものの、父親になるべきその男は放蕩し遊び歩いて家には金を入れない。いつの間にか男は家には帰らなくなり、母一人、子一人の生活が始まった。経済的にも困窮してきた。しかし自分は腕の中に抱えたこの子を育てると決めたのだ。女は、夜の街で働くことを決意した。

そんなストーリーを考えながら缶チューハイをぐびり。いつもより少し辛く感じるのは、そのチューハイが辛口だからではない。

冒頭に、「京成呑み」とは映画や小説などと同等に一つの文化なのだという話を書いたが、京成呑みの最大の滋味は、こうした無限に繰り広げられる様々な物語の享受なのである。

生きるという事はものすごくかっこ悪い事だ。そしてみっともない事だ。

失敗を繰り返し、誤解を繰り返す。

人を傷つけ、傷つけられる。

赦し、赦されていく。

そうして生きる人間が、どうしようもなく愛おしい。かっこ悪くて、みっともない人間ほど、優しくて、切ない。

そんな感覚を味わうのがこの「京成呑み」である。

女の元にはいつか父親から手紙が届くかもしれない。赦されない、赦す事は出来ない事は知っていて、なおも再び邂逅する「家族」の絵。

せづねえなあ。

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2011年12月 8日 (木)

立川談志さんのこと

先月の家元死去の報から暫らくがたって、私の中でも「家元の死」ということについては少しずつ整理がついて来たので、今日は家元こと立川談志さんの事を書く。

立川談志。立川流落語の家元。素晴らしい落語家の一人である。

しかしそういう事とは別に、私にとっては立川談志という人は極めて特別な存在だったのだ。ひょっとしたらその感覚というのは「信者」などと揶揄されるかも知れない。まあそれでも良いか、とは思っている。

若い頃の彼の芸も好きだ。談志の声は少々聴き取りづらい所もあるし、人物描写、取り分け女性の人物描写に関しては、若干画一的に過ぎるな、と感じる事もある。しかし、そういった幾つかの点を考慮に入れたとしても、若い時分の立川談志の噺というのは、どれもこれもが圧倒的である。

まずは圧倒的なリズム感だ。噺が音楽へ昇華される瞬間というのが、一席の中に何度もある。紡ぎ出される言葉達、そして合間に入る呼吸。まさに音符と休符の関係である。あんなにも「音楽的な」落語家というのを私は他に知らない。

そして一番私が談志の落語が好きな理由であるが、全編を貫く比類なき緊張感である。談志が高座にやってくる。座布団の上に座る。丁寧にお辞儀をしてから枕に入る。もうこの一連の流れの中に、「括目して見ざるをえない」という緊張感が漂っている。良い意味でも悪い意味でも、彼の噺はBGMになりえない。噺家が客に相応のテンションを求めるような、そしてそこに確固たる必然性があるような、そんな芸である。

年老いてからの彼の芸はどうかと言えば、評価が分かれる所であろうとは思う。声が出なくなったり若い頃にあったリズム感が失われたりで、老いた談志の芸はダメだ、とする見方もある。それに対して、私は「老いてからの談志こそが」との思いがある。

私は晩年の立川談志を聴くと、ビリー・ホリデイ、そしてバド・パウエルの晩年の演奏を思い出す。

三者とも、若い頃には「圧倒的名人芸」で鳴らした連中である。それが、ビリーやパウエルに至っては麻薬やアルコール(パウエルには精神疾患もあった)の影響で、談志は老いの影響で、若い頃のようには芸をまっとう出来なくなった。その晩年の演奏が、何よりも不思議と心を打つのである。

これは何も「技術的に拙くなった芸が素晴らしい」などと言っている訳ではない。例えば「バーチュオーソ(巨匠)」として知られたジャズピアニスト、オスカー・ピーターソンの晩年の演奏に関しては、私は聴くに耐えない。指がもつれるその様は、見ていて単純に痛々しい。「もう良いよ、ゆっくり休みなよオスカー」とつい思ってしまう。オスカー・ピーターソンをたまたま引き合いに出してはみたが、オスカーに限らず、この問題に関しては圧倒的大多数が「衰えた芸」で人の心を打つ事が困難である、という事である。やはり瑞々しく洗練された技術が芸を支える、それは疑いようの無い事実である。

先に挙げた立川談志、ビリー・ホリデイ、バド・パウエル。この三者に関しては、極めて稀有な例であると言って良い。「衰えた芸」と一言に出来ないような、得体の知れない「凄み」のようなものがそこにはある。或いは常識的な範囲内での技巧を失う事で、何か私には想像のつかないような技を彼らが体得したのかも知れない。その真意はわからないが、彼らの晩年の芸には共通して人の心を打つ凄みがある、と私は感じている。

以前一度このブログで紹介したことがあるが、思想家の吉本隆明氏の数年前の昭和女子大での講演を観た時にも同じような感慨を得た。壇上で指示表出と自己表出の話なんかをしている吉本さんを見ていると、言葉こそ聴き取りづらくたどたどしいものの、「今俺が目にしている光景はよくはわからないが何だかとんでもない光景だ」という事ははっきりとわかった。共通しているのは、神々しい「凄み」である。

談志の「芝浜」を映像で見た。ここ数年のものである。

CDなどで慣れ親しんだ若い頃の談志の「芝浜」とは違う。先に述べたように、言葉は遅くなり、聴き取りづらくなっている。しかし、圧倒的に感動した。

噺の終盤、大晦日の晩の夫婦のやり取りを観ていたら、涙が止まらなかった。それは恐らく、話に感動していたのではない。立川談志という、誰よりも深く落語を愛して、そして落語と正面から向き合った、真摯な一人の芸術家の姿に感動したのだ。

落語とは人間の業の肯定である、と談志は言った。私にはそれが今一つピンと来ていなかったのだが、その「芝浜」を観て、少しだけ合点がいった。ひょっとしたら談志が追い求めたものは、こういうものじゃなかったのだろうか、と。

あれほどの名人だ。自らが衰えている事の自覚など嫌というほどにあるだろう。それでも高座に上がって、全身全霊で芸を魅せる。諦めや舌打ち、そして想像もつかないほどの悔しさを心の奥底に追いやって。

彼を観る度に、私は少し背筋が伸びる。

芸とは。そんな事をもう一度自らに問い掛ける。

まだまだ答えは出ない。しかし私もどうやら芸事の世界に足を踏み入れてしまっている以上、芸の道から足を洗うか、或いは死ぬかでもしない限り、ひたすらに向き合わなくてはならない問題である。

立川談志が死ぬその直前まで、芸に執着していたという事を聞く。本当に落語が好きだったんだと思う。

ありがとうなんて言わない。合掌もしない。

立川談志さん。あなたという芸人が、俺は心から好きだ。

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2010年5月30日 (日)

手塚賞を受賞してしまいました

手塚賞を受賞してしまいました
漫画を描いてみたら、手塚賞を受賞してしまいました。あと、国民栄誉賞ももらいました。

ペンネームは、「糞山穴男」にしようと思います。

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2010年3月16日 (火)

吉本隆明さんのこと

「何もしない」と決めた一日。「何もしない」のもなかなかに難しい。

ここの所、肉体的・精神的に少々逼迫していた事もあってそういった日を設けたのだが、決して病気な訳でも何でもないので、「何もしない」という事にすぐに飽きる。もそもそと布団から這い出してきて、テレビで野球のオープン戦を見る。カープが負ける。

仕方なく飯を作る。納豆にはネギと芥子をうんと効かせると美味い。味噌汁の出汁はきちんと煮干でとると美味い。自作の遅い昼飯に満足する。

おもむろにパソコンの前に座って、ブログでも書こうかな、と。

実は珍しくきちんと書きたいトピックがあって。

吉本隆明という人の事。

つい先日、テレビでやっていた彼の特集を見て、私は大層心を動かされたのだ。

吉本隆明。詩人であり、文芸評論家であり、思想家である。戦後最大の、思想家である。ハルノ宵子、よしもとばななの父親という事もあり、最近では「ハルノやばななの父」という見方で見られる事も多いが、バカを言ってはいけない。正しい方向は「隆明→ハルノ、ばなな」であり、決してその逆ではない。多くの人間の思考に多大なる影響を与え続けており、現在御年83歳、いまだなお強い影響力を持つ思想家である。

テレビ番組の内容は、昭和女子大で行われた氏の講演を「ただ映したもの」であった。それが良かった。不必要な解説や編集を入れずに、彼の息遣いや表情、或いははみ出した鼻毛までをも、ただ、じっと映す。そこには独特な緊迫感があり、それだけで一つの作品として成り立つ。NHK教育テレビが放送していたのだが、NHKもたまには良い番組を作るじゃないか、と偉そうにも私などは感じた。過剰な演出や解説は、時として「面白さ」をぶち壊す事も少なくない。わかりやすい事「だけ」が面白い訳では決してないのである。

吉本隆明氏の思想の根本には、「開かれてある事」というものが強くある。

それは、氏が戦時中に「皇国少年」としてその時代を過ごした経験から来ている。天皇礼賛、戦争賛美、という絵に描いたような皇国少年である。

氏が言うには、その皇国少年であった自分の背景には、「閉じられた世界」があったからだそうだ。内に対しても外に対しても閉じていた。だからこそ、ある種盲目的な皇国少年となった、と。そういう氏だからこそ、「閉じられた世界」の危険性を強く自覚しているし、「開かれてある事」の重要性を強く説いている。

今からおよそ20年ほど前の話であるが、氏の母校である都立化学工業高校に、中学生であった私は親父と二人で氏の講演を聞きに行った事がある。中学生の私にはいささか難しすぎる講演内容ではあったが、その時には「政府や企業はリコールに対して柔軟に応じるという開かれた姿勢を持つべきである」という事を言っていたのを覚えている。政府、或いは企業、そういった「集団」が閉じられているのは危険な事だ、と。それは上述したような氏の「開かれてある事」への指向の一環と考えれば納得がいく。

終戦による「転向」、その事をきっかけとして、氏の重厚なる思想は徐々に形成されていったのであろう。

今回の昭和女子大での講演について言えば、芸術論がその大半を占めた。

氏は自らの著作、『言語にとって美とはなにか』の中で、言語を大きく二つのベクトルに分けている。曰く、「自己表出」と「指示表出」である。

美しい花を見て、「あ、きれいだな」と思う。この時に脳裏で発された言葉は「自己表出」である。また、誰かに対して「ねえ、あの花はきれいだね」と言う、この言葉は「指示表出」である。

自己表出による「あ、きれいだな」という言葉は、誰か(他者)に伝えられる事を前提とされていないし、目的にもなりえない。それに対して、「ねえ、あの花はきれいだね」という言葉は、誰かに伝えられる事を目的とされている。つまり「内にある言葉」と「外に向かう言葉」という風に言い換えることも出来る。

この「自己表出」と「指示表出」という二つのあり方を用いて、氏は芸術論を展開した。

かなり端折って結論を言ってしまうと、「芸術(或いはその本質)とは自己表出である」というのが彼の意見となる。

つまり、本来的には芸術と言うものは外に向いていない、あくまでも内に向いたものなのだよ、という事だ。

もう一つ、彼が語っていた言葉を借りると、「優れた芸術というものは、それを見た人間に、(このものの良さはオレにしかわからない、オレこそがこの芸術の良さを十全に理解出来る)と思わせる事が出来る」と言っている。

なるほど、自己表出の顕現として芸術があるのであれば、それを見た人間(読み手、聴き手)の自己表出と何かのはずみにリンクした際には、そのような「独り占め感」が出て来るのは納得がいく。

そうやって出て来た自己表出的な芸術、それは、見事なほどに経済的な価値観とは結び付かない、と氏は続ける。わかりやすく言えば、「芸術なんて金にはなりゃあしないんですよ」と。

だから、それが良いじゃないか、というような事を氏は仰っていた。内にも外にももっと思考を「開いて」いって、もっと自由になりましょうよ、と。

そういった講演の内容、それ自体も大変にスリリングで興味深いものであった。だが、どうだろう、車椅子に座りながら、後半は天を仰ぐように、そして歌を歌うかのように朗々と語る氏の姿、それはまさに「切実に生きる人」の姿であった。

Yoshimoto

83歳にしてこの切実さである。現代を生きる思想界の巨人、そういった側面とは別に、「切実に思考し、生きる人間」として私の心を強く打った。

彼が話したように、この日講演をしたように、私も音楽がしたい、と思った。言葉に詰まっても、痰がからんでも、鼻毛がはみ出ていても。

だってその姿はあまりにも素晴らしかったから。

遥かに遠い頂ではあるのだけれど。

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2009年7月26日 (日)

無が在るという事

石田ゆり子という神がいるが、彼女が十代の若かりし頃には国体クラスの水泳選手だった事は有名過ぎる事実である。ジャイアント馬場がプロレスラーになる前には野球選手だったというのと同じくらい有名な話だ。ちなみに現在中日ドラゴンズの監督である落合博満氏の前職はプロボウリング選手である。明日使えるムダ知識を提供していくのも当ブログの大切な役割である。

さて、その神、石田ゆり子。彼女が元水泳選手だという話を知ってから、私はずっと水泳選手に対して美的採点基準はかなり甘い。取り分け石田ゆり子神が平泳ぎを専攻していたので、平泳ぐ女性は綺麗に見えて見えて仕方がなかった。平泳ぎとは神の泳ぎである。私はそう信じて疑わなかった。

水中で、両の掌(たなごころ)が胸元へ引き寄せられる。まるで何かのエネルギーをため込むかのように、躯は一瞬にして折り畳められ、そしてそれが刹那、炸裂するかのようにしなやかに伸びる。平泳ぎのフォルムは、他のどの泳法よりも美しい。少なくとも私はそう思う。

いや、思っていた。

平泳ぎは美しい。これは間違いのない事実である。

では何故私が「思っていた」と過去形にして語らねばならないのか。この苦渋の言葉を絞り出さねばならないのか。重要なのはこの点だ。

私は平泳ぎよりも美しい泳法を発見した。

そう言う事も出来る。

そう言えなくもある。

真実と虚構は常に背中合わせだ。

結論から先に言おう。

平泳ぎよりも美しい泳法。それは「泳げない」という在り方である。

このコペルニクス的転回に至った時、私は一種の解脱に似た境地を味わった。

無というものが在る。この形而上学的認識。日々を哲学しながら生きる、深遠な私ならではの認識である。

美しく平泳ぐ女性を凌駕するのは、泳げない女性に外ならない。私ぐらい思慮深い人間ともなれば、これぐらいの結論に至れるのである。羨望の眼差しで私を見る事を躊躇わなくて良い。間違っても「あ、フクシマがついにガチに狂いだした」などと思ってはいけない。

今、私は「泳げない女性」を愛でようという、岩よりも固い決意と共に在る。

夏も盛りに入る。海に遊びに行くのも良いだろう。プールに泳ぎに行くのも良いだろう。

だが、泳げない貴女は、誰よりも美しい。大丈夫だ、水着にならなくて良い。そもそも海は泳ぎに行く所ではない。魚釣りをしに行く所だ。共に魚を釣ろう。美味い酒を呑もう。

いやね、最近「泳げない女性って超良いな」と思ったのですけれど、それを大仰に書いてみました。

早く死ねば良いのに。

そうそう、昨日のピアノトリオのライブはむちゃくちゃ愉しかったです。花火に行かずにご来場頂きました皆様方、ありがとうございました。次回は10月17日です。

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2009年5月 8日 (金)

絵島という女の見た景色

先日、歴史上の謎に迫るという主旨の番組がやっていて、偶々見た。

八代将軍吉宗の将軍就任について、二つの説を出し、どちらの節が有力かという事を視聴者に問う、という番組であった。

二つの説とは、

・大奥の権力争い説

・吉宗の母親の陰謀説

の両説であった。

先に挙げた、大奥の権力争い説の中で、キーマンとして登場する絵島という女がいるが、この女の生涯に、私は大変な興味を惹かれた。少し、その事を暇つぶしがてら書いてみたい。

吉宗の先代の将軍であった家継は、四歳の幼さであった。先々代の死により、急遽据えられた将軍であったのだ。

幼い将軍が擁立された折には、実質的な政治を担当する後見人が必要となる。その後見人の候補となったのが、徳川御三家であった吉宗と、同じく御三家の尾張の藩主(名前失念)であった。つまり、家継が将軍ではあるものの、実際的な政治を行うのはそのいずれか、という事だったのだ。

その覇権争いに一枚も二枚も噛んでいたのが、大奥の存在であった、というのだ。

当時の大奥が抱えていた女性の数は、約三千人だったという。物凄い大所帯だ。

そしてそれだけの数が集まれば、大奥の中でも権力争いが起きる。当時の大奥は、月光院という女性と天英院という女性の二派真っ二つに分かれていた、というのだ。

そしてこの月光院と親密に結びついていたのが先に挙げた尾張藩主、そして天英院と結びついていたのが吉宗だったという。将軍世継ぎ問題は、即ち大奥の覇権争いにも通じていた、という事になるのだ。

当初、尾張と結び付いた月光院派がこの覇権争いを優位に進めていた。将軍の後見人にも、尾張藩主が就任するような流れがあったという。

その流れを一変させたのが、絵島という女の起こしたスキャンダルであった。

絵島という女は、月光院派のナンバー2であった女だ。この女が、歴史を変えるようなスキャンダルを起こした。

絵島は元々芝居が好きで、しばしば大奥を出て観劇に出掛けていた。これ自体は何ら問題のある事ではない。

ある日、いつものように絵島が観劇に訪れた所、その一座の看板役者である生島某という男と行きずりで一度の密通をしてしまった、というのだ。無論その真相は定かではない。相反する天英院派の策略であり、デマであったという可能性も十分にありうるのだから。しかし、これが大問題となる。

大奥の女性というのは、将軍家に尽くす為の女性集団なのだ。その女性が、将軍以外の男と不義密通となれば、まさに職務に反する大罪であった。

結局、この絵島生島事件をきっかけに月光院派約1500名は大奥を追われ、大奥の覇権争いには天英院派が勝利、世継ぎ問題も吉宗、という事で決着が着いた。

さて、私が非常に強い興味を惹かれたのは、「その後の絵島」についてであった。

絵島はその責任を問われ、長野県伊那市高遠村という所に幽閉された。三十歳を少し過ぎた所であったという。

この幽閉されていた屋敷が現存しており、テレビではその部屋を映し出していたが、その部屋を見た刹那、私はある戦慄を覚える事となった。

屋敷の外は鉄杭で固められ、窓には強固な格子が嵌められ、決して中からは脱出出来ない仕組みになっている。外には常駐の見張りもいる。絵島に与えられた空間は、六畳ばかりの「何もない空間」だったのだ。

一日に食事は一度、一汁一菜の質素なもの。それ以外は、見事に「何もない」という。

ただ、庭の景色を眺めながら、日々は過ぎていく。何もない日々が、ただ、過ぎていく。絵島は、六十歳過ぎで没するまで、三十年以上もの時を、そのように「ただ過ごしていた」というのだ。

それを考えた時に、私は恐怖に震えた。或いは、死よりも過酷な日々だったのではないだろうか。生きながらにして、完全に他者との関わりを断絶され、同じ景色を同じ所から只管に眺めるという人生。選択肢は、ない。

絵島はその格子の向こうに何を見ていたのだろうか。私はそれを思うと胸が締め付けられた。いくら人生において「諦める事」が大事だったにしても、どれほど諦めればそこまで過酷なほど退屈な日々に自らを組み込んでいけるのだろうか。私は、そう思った。

私も、様々な物事を諦めながら、それでも必死に前を向いて何とか生きている。それは私が私自身の人生に「まだ退屈していない」証拠だとも思っている。

いつかはカープも優勝出来るかも知れないし、いつかは私にも本当のブルーズが奏でられるかも知れない。魚釣りだって愉しいし、酒はいつも美味い。生きていればまたいつか君に会えるかも知れない。

或いはいつか。そんな「希望」にすがりながら、何とか生きている。お陰であまり人生には退屈せずにすんでいる。

絵島はどうだったのだろう。

何を思って死んだのだろう。

拳の中で、爪が、刺さった。

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2008年8月 9日 (土)

オンリーワンでありナンバーワン

昨日の広島カープ対阪神タイガース戦、その戦いをもって我々カープは4連勝、タイガースは実に4連敗、結果、赤ヘル軍団は4位へと上がった。ちなみに「赤ヘル」の「赤」は勿論「赤軍派」の赤であるし、「ヘル」は「地獄(hell)」、ではなく性病ヘルペスの「ヘル」に間違いない。つまり赤ヘル軍団というのは過激派の隠語なのだ。ご理解いただけるだろうか。ご理解いただけたこれを読んでいる諸氏は、今後一切カープ以外の球団を応援する事を禁じる。宜しいだろうか。

さて、このガイキチ度300パーセントの文章は何の枕かと言えば、「順位」というものに関する枕である。カープは現在4位である。そこから派生する本日の福島劇場。うんざりしながら読み進めていただきたい。

私たちの人生には、好むと好まざるとに関わらず、「順位」というものがほぼ必ずと言って良いほど附いて回る。中学生からの定期テスト。体育大会。優劣は明確に数字として表され、勝つ者と負ける者とに二分される。就職活動、生涯年収、そういったものも一種の順位だと考えても差し支えないだろう。一頃昔、「ナンバーワンにならなくても良い、元々特別なオンリーワン」などという愉快な珍フレーズが世間を賑わした事があったが、それは常に順位、つまりナンバーワンを意識してしまうという人間の心理の裏返しだと言っても過言ではない。我々が常日頃から順位というものを身近に感じていなかったとしたら、上記の文言は決して一世風靡セピアすることはなかっただろう。あ、セピアは余計だ。

そして、それは全くもって容易くない事をも本能的に知っているのだ。

反感を買う事を承知で乱暴に言えば、私たち(敢えて一人称複数形を用いたい)は心の底ではどこかで「ナンバーワンになりたい」と思っている。他人を押しのけてでも自分が認められたい、誰よりも高い頂に立ちたい、と思っているのだ。それは、私は決して特別な感情だとは思わない。人が人として生きていく上での、拭いがたいカルマの一つのような気すらしている。原罪。或いは大袈裟に言えばそうなるのかも知れない。「認められたい」という欲求は、非常に深いところから来ていると私は感じる。

「ナンバーワンよりオンリーワン」という文言。この文言自体は、私は賞賛に値するものだと感じている。しかし、いかんせん使いようだ、どこかでそんなひねくれた事を考えてしまう。

「ナンバーワンになれなかったから、仕方ないからオンリーワンを目指す」

このような心構えは既に凡庸の極みであると言って良い。つまり、オンリーワンという言葉の指す所が「非凡」に近いものであるならば、その凡庸な心構えを抱いた時点で既に決定的な矛盾が生じてしまうのである。語弊を恐れずに言えば、それは単なる「負け惜しみ」に堕してしまうのだ。

本当のオンリーワンはもっと高い極みにある。

オンリーワンでありながら、ナンバーワンになった人間が最近いる。そもそもこの二つは相反する概念ではないのだ。

誰か。

それは、江頭2:50というお笑い芸人である。

彼をモチーフにした動画が、かの有名動画サイトyoutubeで、アクセス数としてナンバーワンになったという事なのだ。

その動画、以下のものである。

「godegashira.flv」をダウンロード

さて、正しく見れたであろうか。見れなかった方は、以下のURLをご参照いただきたい。

http://jp.youtube.com/watch?v=6OKsbaVSblE

私は常々、江頭2:50の事を「エガ神」と呼び神格化してきた。そのエガ神を讃えた動画が上記の動画である。

えーがえーがえが酒屋の子、とリズミカルに歌っている。タイトルはまさしく、「崖っぷちのエガ」である。神の動画なのである。

エガ神はオンリーワンのお笑い芸人として孤高の道を歩んでいるとばかり思っていたが、やはりナンバーワンになったか、と私も万感迫る思いだ。エガ神よ、栄光あれ。

さて、昨日錦糸町アーリーバードにてソロピアノ演奏を行ってきたが(愉しかった)、急遽明日、10日もやる事になりました。

「10日暇?」

「あ、暇です」

「やってくれない?」

「あ、喜んで」

みたいな流れであっさり決まりました。という事で見に来た人はインドの永住権がもらえるとかもらえないとか、そんな話ですよ。来ると良いと思いますよ。

8月10日(日)東京錦糸町 Early Bird
tel 03-3829-4770
http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
pf:福島剛
えーがえーがえが酒屋の子~
20:00~start music charge:2500円(1ドリンク・おつまみ付)

ちなみに私がこれまでに書いたエガ神にまつわる文章は以下。
http://whatdisay.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/11_01bc.html
http://whatdisay.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_7a19.html

お暇ならば過去ログとしてどうぞ。

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2008年7月23日 (水)

秘されたもの

夏である。

俄かに蝉も鳴き始めた。木立の翳りの中で風を頬に感じる時、私は夏に包まれている実感を覚える。

元来あまり得意な季節ではない。が、先のような光景に加えて、夏のもたらす何とも言い難い郷愁は、私を奇妙に心地好い気分にさせる。

少年時代、丁度今時分に訪れる夏休みの到来は、幼い私の心を確かに躍らせた。学校から出された幾ばくかの宿題、そんなものには目もくれずに、区民プールだの近所の川だの公園だのに赴き、日が暮れるまで遊んだ。暑さでどうしようもない時は、友人の家や私の家でファミコンに興じた。今時の子供達と、やっている事は大差はない。夏休みの到来が嘗ての私の心を魅了したように、今の子供達もきっと今は全てを忘れて遊び惚けているのだろう。

そんな事を考えていると、妙な郷愁に駆られる。子供の頃に戻りたいとは思わない。けれど、その頃に感じた夏への期待、そんなものは今一度感じてみたいと思う。恐らくそれすら不可能なのは明白なのだが。

Everything must change.

変わらざるものなど何一つない。何れにせよ、街も私も変わりすぎた。

さて、夏である。私も仕事で日々街に出るが、人々の装いも俄然夏の様相を呈してきている。

「夏はおなご達が薄着になりますさかい、たまりませんなあ!うひょひょ!」

何処からかそんな声が聞こえてくる。

確かにそういった文言に対して、面と向かって反論する術を私は持たない。街中を歩く若い雌。恐らく磯野ワカメに心酔しているからだろうが、「それを腰に巻くことで何かが隠れているのかい?」と問いただしたくなる程のミニスカートを身につけているのをしばしば目にする。最早ミニスカートとは名ばかり、或いはそれは単なる布の切れ端ではあるまいか、と考えてしまうほどの代物も時には視界に入る。私は死んだ魚のような眼でそれを見つめる。また、その魔界の中にあるデルタ地帯をも。バミューダトライアングル!脳裏でそんな単語が太文字で浮かぶ。特に意味はない。ただそこにあるものを私は見つめているだけだ。そこにあるバミューダトライアングルは物質であり空間である。それを一次的な物だと考えれば、それを見つめる私の精神や意識は二次的であり、つまり私は唯物論的な価値観の中でそれを見つめている事になる。

いい加減な事ばかり書きすぎて、私自身も何を書いているのかさっぱりわからなくなってきた。少し話を戻そう。薄着の話である。

上述のように、私もそれ(布の切れ端)を批判する立場ではない。仮に往年の森高千里女史が眼前に現れて、そのミニスカートから覗く二本の脚を好きなだけ見つめて良いと言われれば、それは確かにやぶさかではない。寧ろ積極的に見つめていくだろう。さしもの私も非実力派宣言してしまいかねない、という事だ。

しかし、である。私は折角の日本人なのだ。日本人には日本人の美的感覚というものがあるだろう。私はそれを愛でていたい。私は貝になりたい。

秘すれば花、秘せずは花ならざる

世阿弥の「風姿花伝」の中の言葉である。当ブログでも度々紹介した記憶がある。

隠すからこそ良いのではないか。隠さないものなど何が良いのか。

誤解を恐れずに世阿弥の言葉を解説するならば、そのようになる。

包み隠さない、そのままの姿もまた良いかも知れぬ。しかし、隠してこその花ではないか。そう考えた時に、浮かんでくる選択肢は、ロングスカートである。足首がやっと見える程度のロングスカート、その趣を考えて頂きたい。

嘗て清少納言は自身の著作「枕草子」の冒頭で「春はあけぼの」と語った。「やうやう白くなりゆく。やまぎは少し明かりて紫だちたる雲の細くたなびきたる」と続くのであったろうか。虚覚えであるがゆえに間違いがあれば御容赦頂きたいが、確かその後には「夏はロングスカート」と続いた筈である。私の記憶が確かならば。

そうなのである、「夏はロングスカート」なのである。秘すれば花、の精神を体現するロングスカートを私は賛美したい。

印象派から象徴主義へと続いた芸術の流れを考えれば、この問題提起に対する理解を深める手伝いとなるかも知れない。光の美しさを表した印象派、それに対して物質主義や実利的なブルジョア主義を批判した象徴主義。朝を描いたのが印象派だとすれば、黄昏を描いたのが象徴主義である。ロングスカートとは極めて象徴主義的ですらあるのだ。世阿弥の言う神秘主義をも内包しつつ、精神性に重きを置く象徴主義を具現化するロングスカート、最早至高の芸術であると評さずにはいられない。

日本のロングスカート界には偉人がいる。幸いな事にまだご存命であるが。石田ゆり子(Yuriko Ishida ,1969〜)氏である。

現在パソコンからこの文章を書いているのであれば、そのご尊顔をここに添付もしたいのであるが、生憎現在は携帯電話から書いているため、それも叶わない。あくまで読者諸氏の各自の想像力に委ねる事となるが、氏が夏の黄昏の中でロングスカートをはためかせている風景をご想像頂きたい。全盛期のマイク・タイソンのパンチ力を10だとすれば、12ほどの破壊力がそこにはある。つまりまともに喰らえば即死、というレベルである。意識をまともに保つ事は許されず、半ば強制的に視界は歪む。恐らくPS3を発売日に買いに行った輩も「これ、綺麗ってレベルじゃねえぞ!」と怒号を上げるに違いない。あまつさえ柳沢某氏は「急にボールが来たので(QBK)」と呟く事だろう。

はためくロングスカート。ちらと見える足首。そしてその奥に潜む、秘しているからこその「花」。これぞ日本の侘び寂びを生かした美である。異論は認めない。

更に私の好みだけを語らせて頂くならば、そのロングスカートから覗いた足先には、いささか薄汚れたスニーカー、これが鎮座していれば完全体である。但しこれはいささかマニアックな嗜好である事も自覚しているので、共感は求めない。

ロングスカートの素晴らしさ、ご理解頂けたであろうか。

本当は今週末、土曜日のライブの告知をしようと思っていたのに。

26日土曜日、隅田川花火の傍らで亀沢アーリーバードでピアノソロのライブやっていますからね。21時スタート、来て下さいね。

明日きちんとライブ告知書こうっと…

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2008年3月21日 (金)

1クールのレギュラーよりも1回の伝説

Egashira_3 前回に引続き、今回も江頭2:50(えがしらにじごじゅっぷん)に関する考察である。

前回、いささか酔狂に過ぎると感じていたが、私なりの「江頭=太宰論」というものをぶちまけてみた。恐らく大学の文学部のレポートなどで、「太宰治について原稿用紙5枚程度で自由に論じなさい」という課題に対して先ごろの文章を提出したならば、優良可の三段階で「可」でももらえれば良い所、という出来だろう。所詮は詭弁に過ぎない。私は読み返してそう感じた。

そして今一度、私はこの江頭2:50というお笑い芸人の生き様と対峙する事を選択した。いや、今日は一つの「偉人伝」として江頭2:50にまつわる文章を書こうと私は考えている。

今日は、以後、江頭2:50の事を「エガ神」と表記する、という断りを先に入れておかねばなるまい。

エガ神の弱さ、脆さは、前回太宰治との比較で書いた。エガ神は臆病であり、脆弱だ。だが、キリストや仏陀、或いは親鸞がそうだったように、エガ神は自らの弱さや汚さを、透徹とした真っ直ぐな視線によって自覚しつくしている。腐臭の漂うが如くの自己憐憫などとは到底かけ離れた、それはまさしく「神の視点」とでも呼びたくなるほどの自己認識である。

「私は弱い」

こういう認識に、自己憐憫はつきものだ。反対の「私は強い」という認識も全く同質の自己憐憫を孕むケースが多いが、我々は自分の中にある「人間としての本質的な弱さ」を見つめる時に、どうしても「我が身可愛や」といった視線で自己を見つめがちだ。弱い自分が可愛そう。弱い自分に酔ってる自分が好き、といった具合に。自分を参考にして書いているのだが、我ながら本当に腐臭を嗅ぐが如き尋常ではない臭さだ。そのぬるい視線は、決して透徹とはしていない。そこが、我々凡人とエガ神との差だ。

エガ神の珠玉の名言を幾つか紹介したい。それはまさしく、神の御言葉である。

「気持ち悪いって言われることには慣れたけど、たまに死ねって言われるんだ。 俺は言ってやりたいよ。こんな人生死んだも同然だってね。」 - 江頭250

この御言葉において、エガ神が表現しているのは、諦観と自尊の関係性である。

人から蔑まれるのにも慣れた。自分が芸をすれば、人々は悲鳴を上げ、「見識者」と呼ばれる訳の分からない人間たちが、自分をまるで「恥の権化」であるかのように虚仮下ろす。それでも構わない。―――そういった諦観。

その一方で、最早恥も外聞もない。死んだも同然、常に決死の覚悟で芸に臨んでいるのだ。「死ね」などと言われるまでも無い、既に俺は死んでいるのだ。―――という自尊。

これはエガ神の芸に対する姿勢を端的に表すばかりでなく、現代社会にはびこる「いじめ」を代表例とする「多数が少数を叩く」という病理の、一つの解決策であるとすら私は感じている。つまり、いじめの一つの解決策として(無論万能な解決策などではないが)。まず諦める、けれど自尊を失わない。こういった精神状態というのは、状況打破の糸口となるのではないだろうか。

続いてもう一つの名言である。

「目の前で悲しんでいる人を見つけたら何とかして笑わせたい。 そのためなら警察につかまってもいい。寿命が縮まってもいい」 - 江頭250

私はこの言葉を読んで、正直に言うと、胸の奥がかあっと熱くなった。目の奥の方に、少しだけ涙が湧き出した。それほどまでに私はエガ神のこの言葉に心を強く打たれた。

マザー・テレサにも引けを取らないほどの、比類なき慈愛の心である。私はエガ神の上記の発言に対して、お笑い芸人としてのプライド、つまり芸に対するプライド以上に、その慈愛の心を見た。

こういった優しさ(言葉にすると極めて陳腐に堕すが)から、エガ神の1クールのレギュラーよりも1回の伝説」という稀有なポリシーが生み出されている。そう思うと、賞賛の念を禁じ得ない。

自身へと翻る。

比肩して考える事すら憚れるが、私は、未熟である。

私は、まだ心のどこかで「1クールのレギュラー」を欲している。それは私の立つ音楽というフィールドにおいて、そうだ。「店や共演者に気に入られたい」、「客に広く受けたい」。そういった拭き残して尻にこびりついた糞のような心持ちの為に、私は私の芸に対してまだまだ真摯になれずにいるのではないだろうか。そんな芸を見て喜ぶ人間が何処にいるというのか。私はエガ神の上記の言葉を読んで、姿勢を正したくなった。そして、自らのそういった保身を恥じた。

エガ神の御言葉の中で、私が取り分けて好きなものは、以下の一文である。最後に紹介する。

「生まれた時から目が見えない人に、空の青さを伝えるとき何て言えばいいんだ? こんな簡単なことさえ言葉に出来ない俺は芸人失格だよ」 - 江頭250

芸というものの本質を抉った、痛快で深遠なる御言葉である。私もまた、エガ神のように、芸に対して真摯な姿勢を保ち続けたい。徒然に、そんな事を考えるのだ。

エガ神こと江頭2:50。まさしく彼は、「芸の権化」なのかもしれない。

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