ペット
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猫
なつかない猫が、死んだ。
私が六年前に京都で拾った猫だ。
私が拾った当時、彼女は産まれたばかりの子猫で、なおかつ死にかけていた。野良猫が発する独特の「死に近い」臭いを発していた。
私は家に持ち帰り、看病をしたりミルクをあげたりしてみたが、彼女は一向に良くならなかった。彼女は私の家の至る所で糞尿を撒き散らし、ぐったりと頭を垂れていた。
今も昔も私は貧乏だ。当時も今と変わらず貧乏だったが、仕方ないと思い、私は身銭を切って彼女を病院に連れて行った。実際金は足りなかった。受付で「ツケには出来んのか!サカサに振ってもこれ以上出て来ねえぞ!」と私が怒鳴っていたら、近くにいた金持ちそうなオバハンが残りの金額を出してくれた。段ボールに入れて、バスタオルにくるめて私は彼女を病院へ連れて行った。死にかけていた彼女と私は同じぐらいみすぼらしかった。
彼女は当時の私の家で飼った。しばらくして私は自らの体の異変に気付いた。
喘息の発作がひどい。目が痒い。くしゃみが出る。
春だったので、私は花粉症と喘息の発作が同時に来たのだろうと思った。
違った。猫アレルギーだった。
私はそれ以上猫を飼えない事がわかった。
しかし、再び捨てる事は出来ない。私にも情が芽生えていたし、何より私は猫が好きなのだ。
困り果てた私は母親に電話をした。東京の実家で猫を一匹世話してやってくれやしないだろうか、と。
思いの外、話はとんとん拍子に進み、私のオフクロはわざわざ京都まで来ていささか嬉々とさえして彼女を連れて帰った。京都で産まれた京女の彼女は、東京で暮らし始めた。
年に数回東京へ帰る。その度、実家の彼女は「知らない人が来た!」とすごいスピードで逃げ惑っていた。私は君の命の恩人だぞ。もう少し可愛い顔をしたらどうだ、なついたりしたらどうだ、と私は思っていたが、彼女は私には一向になつかなかった。何たる恩知らず、と私はため息を着いたが、彼女はそれでも可愛かった。
死んだそうな。
気の動転したオフクロが電話をかけて来たので何を言っているかよくわからなかったが、かいつまんで聞く限り、おそらく彼女は階段から足を滑らせて転げ落ち、首の骨を折って死んだ。中島らもとほぼ同じ死に方だ。
鏡に映った自らの姿と戦っていたようなバカな猫に相応しい最期だ。
命の恩人の顔も忘れるようなバカな猫に相応しい最期だ。
なつかない猫が、死んだ。
私は思いの外、落ち込んでいる。
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