人生は麻雀と同じぐらいには面白い
最近は時間がなくてごくごくたまに、一年に一回やるかやらないかぐらいになってしまったが、学生の頃に最も夢中になっていた遊びは音楽以外で言えばおそらく麻雀である。一週間の内に六日はやっていた。いや、七日やっていたかも知れない。実に高い頻度で麻雀をやっていた。今でもたまに麻雀をやるととても楽しい。ゲームとして非常に「よく出来た」ゲームだと思うのだ。
麻雀というのは四人で卓を囲んで30分〜1時間に一回ほどの頻度で一位から四位までを決めていく。これを延々と繰り返す。
で、私の中に法則があって、一日をトータルして勝つ時というのは、順位が奇数の順位、つまり一位と三位に偏る時であり、偶数順位の二位と四位に偏りがある時はトータルでいけば負ける可能性が高い。
なので序盤で二位が連続していて数字上はプラスになっている時でも私は「あ、こりゃ悪い流れだな」と思うし、反対に三位が連続して数字がマイナスになっていても「お、こりゃ良い流れかも」と考える。大体この予想は当たる。
麻雀の順位、一位から四位の内、一位と二位は大体がプラス収益になる。もちろん一位はプラス幅が大きく二位は小さい。
そして三位と四位がマイナス損益になるわけだが、これもやはり三位の方がマイナス幅が小さく四位の方が大きい。
麻雀というゲームは運の要素が大きく絡む以上、毎回勝つというのは不可能なのだ。将棋などのゲームと圧倒的に違うのはここで、仮に私が羽生善治名人と将棋を指したら、ものすごいハンディキャップをもらったとしても私は確実に羽生名人に負けるが、たった一回の勝負に限定すれば私と麻雀のトッププロが麻雀をしても私に勝つ可能性は十分にある。多分10%ぐらいはある。とにかく実力が拮抗していようとそうでなかろうと、毎回勝つ事は不可能なのだ。毎回負ける事も同様に不可能である。
そうした時に、一つの必勝法とでも言える真理は、「勝つ時に大きく勝って負ける時に小さく負ける」というのがそれである。
という事から、二位よりも三位の方が浮き上がる目がある理由は、二位というのは「一位になって大きく勝つチャンスだったのに勝ち切れずに二位に甘んじてしまったパターン」である事が多く、三位というのは「四位になって大きく負けそうだった所をこらえて傷を最小限にしたパターン」である事が多いからだ。
一位がずば抜けていて二位以下が拮抗している時にはやはり二位に価値がある。この場合は「勝ち切れなかったパターン」には当て嵌まらない。
ずっと悪い流れで勝ち運が巡ってこずにつらい展開が続く時にじっと耐えて被害を最小限に食い止める技術、そしてその我慢の精神は、「調子の良い時にその流れを損なわずに一気に勝ち切る事」と同等かあるいはそれ以上に価値のある事なのだ。
これが口で言うのは簡単だが、実に難しい。とりわけ私は三位を取るのが下手である。
一位は結構簡単なのだ。調子の良い時にイケイケドンドンで攻めまくっていれば一位は取れる。それは性格にも由来するのかも知れない。しかし三位が取れない。私の悪い所で、ツキの落ちてきた時、その流れを見極め切れずに調子の良い時のイメージで攻めてしまい、傷口を広げていくという事が少なくない。要するに私は麻雀が下手なのである。
大学時代の先輩であり友人である某氏の名言の一つに「麻雀は人生と同じぐらい面白いのではない、人生は麻雀と同じぐらいには面白い」というものがある。これは賛否は別にして、私の心にぐっと来た。こうして麻雀の事を書いていると確かに人生は麻雀に似ている、と思うのである。
やはり大事なのは「勝つ時にしっかり勝つ事」と「負ける時に小さく負ける事」だ。
流れの巡って来ない時、ツキの無い時にじっと我慢が出来る、或いは傷口を広げない為の工夫に砕身出来る人間が強い人間なのだと思う。
今日はそんな「じっと耐える人の顔」を昼間に見て来た。それはすごく強い人間の顔で、とても美しい顔だと思った。
好況を乗り切る事と同じかそれ以上に、苦境を堪えるのは大事な事なのだ。
心の底からそう思った。
最近のコメント