テレビ

2013年9月19日 (木)

北三陸鉄道の復活

今日は既にブログを更新済みだが、もう一つだけ言わせてもらいたい事がある。

本日の「あまちゃん」であるが、何なんだ、あのだいきっつぁんのスピーチは!

途中から視界が潤んでまともに見られなかったではないか!

目から汗のようなものがびゃーびゃー噴出してしまった!

けしからん!

じぇじぇじぇ!

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2010年8月29日 (日)

街を巡りたい

ついつい見てしまう好きなテレビ番組がある。

12ch、テレビ東京で放送している「アド街ック天国」だ。

恐らくは東京限定の放送だと思う。毎回東京のある街にスポットを当てて、その街の名物ランキング30を紹介するという、完全に地元密着型の番組だ。

ちなみに昨日の放送では浅草が特集されていた。ランキング二位が仲見世通りでランキング一位が雷門というあまりのベタさには若干閉口したが。ラーメン屋が「ウチの売り上げNo.1はラーメンです!」って言うようなもんだろ、それじゃ。みんな知ってるよ。

嘗ては我が街小岩も取り上げられた事がある。よく知った店がランキングに軒を連ねた。

さて、この「アド街」であるが、私は今激しく「アド街ごっこ」がしたい!

朝からどこかの街に行き、その街の商店街を一日をかけてじっくりと堪能する。甘味処に定食屋、職人の店に、居酒屋。そういった店や名所をだらだらと巡る。そんな事がしたいのだ。

行ってみたい街は、どこだろう。

ぱっと五つほど挙げるのであれば、立石、千住、赤羽、亀戸、神田、あたりだろうか。

近い内に是非やりたい。

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2010年6月25日 (金)

明日はテレビを観てもらいたい

博多から東京に戻ってきた。

我が家の事情でバタバタとしていたせいもあって、随分と世間から隔離されていたような気すらする。世間が騒いでいたサッカー日本代表の話も「今はちょっとそれどころではない」というような感じであまり関係なかった。決勝トーナメントはゆっくり見れると良いのだけれど。

明日には素晴らしいテレビ番組がある。

明日6月26日(土)、BS2において夜20:00から、ピアニスト、アブドゥラー・イブラヒムのドキュメンタリー番組が放送を予定されている。

南アフリカが産んだ孤高のピアニスト。彼が奏でる音楽は、恐らくは「世界で最も美しい音楽」の一つだ。

煌めく旋律に、大地のリズム。

これは見逃せない。一週間ほど前には、自分のピアノの生徒に一斉送信メールで「観なさい」とまで送ってしまった。

困った先生だ。

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2006年4月17日 (月)

実録!

「実録!お水の花道!」みたいな番組が好きだ。好きだ、というよりもやっているとついつい見てしまう。やはり好きなのか・・・今日も家に帰ってきたらホストの密着番組がやっていた。ついつい見てしまった。いやあ、すごいねえ、と思いながら。

すごく他人事で見てしまうのだけれど、嵌っていってる客もさることながら、それに対して野心を燃やし売上を上げていくホストやホステス達の御伽噺のようなサクセスストーリーは、何だか不健全だなあと思いながらも、見てはいけないようなシーンを見ている楽しさで見続けてしまう。

「ホストに使う客の金は、客の寂しさのバロメーター」みたいな安っぽいナレーションも好きだ。

見ながら色々考えて、一つ至った結論は、「この手の番組は東スポやフライデー的な面白さがある」という事だ。即ち、これを楽しく見れる私の神経は、やはり低俗だという事になるのだろう。いやあ、すいません。でも、東スポ面白いですよねえ。大きなニュースがあっても、平気で一面はプロレスだったりするもんなあ。

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2006年4月 3日 (月)

喋っているのは誰だ?

インターネットもない、携帯電話もない生活は、いささかの不便とそれなりの解放感を私にもたらしてくれる。このブログの更新が滞りがちになるのは、それを考えると致し方ない。

3月30日に京都に戻って来てから、30日、31日、4月1日と三日連続のライブであった。ライブは毎日やっても楽しい。楽しいだけではいけない、それはわかっているつもりだ。けれど、私自身が楽しくないのであれば、間違いなくお客さんも楽しくなかろう。そう思わないとやっていけない。

昨夜見たテレビ番組について少し。

「爆笑問題のススメ」という日本テレビの番組。お笑いコンビの爆笑問題の二人と、タレントの眞鍋かをりがホスト役となり、毎回文筆業に関わる人々をゲストに招いて会話を繰り広げるという趣旨の番組だ。私が個人的に一番印象に残っているのは、故中島らも氏を招いた回だ。若干躁気味なテンションであったらも氏の支離滅裂な言動(ex:「殺したい奴がいるので300万円を俺にくれ」etc.)に、パーソナリティ達がドン引きしているのを見て私はゲラゲラ笑っていた。自作の歌「いいんだぜ」を歌った際には、その歌詞のあまりに過激な言葉遣いに、放送禁止コードを表す「ピー」が乱発されていたのに私は納得がいかなかったのも覚えている。らも氏は、きっとそうなる事をわかっていて歌ったのだろうな。愛情の表現の仕方を制限するのは、本当にナンセンスだ。筒井康隆や中島らものようなブラックユーモアのセンスの持ち主たちは、私たちの想像以上に余計な戦いを強いられているのかもしれない。

この「爆笑問題のススメ」、私は悪く言うつもりはない。そもそもらも氏の扱いに関しては、この番組の責任ではなく、究極的な所、テレビというメディアの持つ矛盾性がそもそもの問題なのだ。立川談志氏がテレビに出る時などは、家元はいつも意図的にそのテレビというメディアの矛盾点を突く。それを笑いにすら変えてしまうのが、家元の素晴らしい点でもあるのだが。いずれにせよ、私はこの「爆笑問題のススメ」を毎回楽しく見ていたのだ。以前にも少し書いたことがあるが、日曜日の夜は「情熱大陸」、「世界遺産」、「NNNドキュメント」、「爆笑問題のススメ」、と面白い番組が集中して放送されるので、私は毎週楽しみにしているのだから。踊らされているんだぜ。

その「爆笑問題のススメ」が、昨日で最終回であった。最終回のゲストは、何とこれまでホストを務めていた太田光、爆笑問題の「大きい方」だ。テーマは「私の人生を変えた3冊の本」、ほう、一体どんな本を挙げるのか、と私は見守った。

驚愕であった。太田光が挙げた3冊の本は、「晩年(太宰治)」、「銀河鉄道の夜(宮澤賢治)」、「フラニーとゾーイー(J.D.サリンジャー)」である。私が仮に3冊挙げるとするならば、これと全く同じになる可能性は薄いにしても、上記3冊の本はどれかしら入るであろう。おこがましいのを承知で書くが、太田光と私の感性は驚くほど似ていたのだ。

太宰治の「人間失格」を読んだ時、読者は大雑把に二つの種類に分けられるという。一つは、主人公の葉蔵、或いは作者である太宰に嫌悪感を抱くタイプ、もう一つは「ここに描かれているのは自分だ」と感じるタイプである、と。私は後者であった。そして太田もそうであったと言う。賢治の「銀河鉄道の夜」やサリンジャーの「フラニーとゾーイー」に関する解釈や認識を、かなりの熱を込めて語る太田光を見ながら、私は何とも奇妙な感覚に襲われた。太田の口から発せられている筈の言葉は、まるでブラウン管越しの「こちら側」にいる私の口から発せられている言葉のように感じられたのだ。

今喋っているのは誰だ?

本当に奇妙な事に、私はそう思ったのだ。「テレビは下らん!」と思いながら、抗えない力によりついついテレビを見てしまう私である。本当は好きなんだろうな。長年テレビを見てきて、昨夜のような体験は初めてであった。

最後に太田が自分にとって一番特別な本を挙げた。「タイタンの妖女」、カート・ヴォネガットというアメリカの作家の作品だ。私はこの作品を読んだ事がなかった。にも関わらず、その本に私は魅かれた。我が家の本棚の中から「アメリカ文学史」のような本を引っ張り出してきて調べてみると、SF小説であるという。何かの宿命のように出会う本というのは、人生の中でそんなに多くはないだろう。しかし或いはこの「タイタンの妖女」は、私に宿命を感じさせるやも知れない、そんな事をふと思った。

私が宿命的に出会った本の一つに、坂口安吾の「桜の森の満開の下」という小説がある。よく勘違いしている人がいるが、桜の木の下に死体が埋まっているという話は梶井基次郎の「桜の木の下で」だ。安吾は、桜の木の下に来ると気が狂ってしまう、という話だ。この小説の事を、ほんのり開花し始めた加茂川の桜を見ながら、思った。

大分話にまとまりを欠いたが、今日は何日かぶりに更新したので、満足しています。それではまた。

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