吉本隆明さんの訃報
拙いながらも、音楽をする時に心がけている事が二つあって、一つは「よく考えながらやろう」という事。勿論、聴いて→感じて→それを考えて、という行程もそこには含まれる事が多いのだけれど、とにかくまずは「考えてやってみよう」という事。出たとこ勝負になる事もある。けれどそれは、色々考えた時に「今は出たとこ勝負にした方が良いんじゃないか」という判断をした時。全ての時がそうな訳ではない。
「よく考えながらやろう」というのが一つの指針。それともう一つ。「なるべく、出来るならば100%、嘘はナシでいこう」という事。思った事を出来る限り正直に音として出す。きちんと実感を伴わせて、それから変にカッコつけたりせずに。
これはやはりなかなかに難しくて、ついつい余計な所でカッコつけたりする。余計な音を出してしまったり、或いは逆に余計な沈黙を作って思慮深そうなフリをしてみたり。
そういう事ではなくて、本当に嘘の無い音というのを出せるように、そうやって音楽と向き合えるように、というのが私の一つの理想だ。今後どういう風に変わっていくのかはわからないけれど、おそらくこの二点に関しては変わらないのではないかな、という風に思っている。
そうやって音楽と向き合おうと思うに至ったというか、きっかけとなったのは、吉本隆明という人のせいだ。
吉本隆明。思想家だとか詩人だとか評論家だとか色んな肩書きがあるが、私にとっては「ものすごく一生懸命考えて、そしてものすごく正直で嘘のないオッサン」である。
何回かこのブログでも彼の事を書いている。
一つはコチラ。
音楽を始めるずっと前から、私は彼の著作群に触れていた。そもそも音楽を始めたのが私の場合は遅かったから。中高生から20代の前半ぐらいまで、彼の著作を色々と読んだ。『共同幻想論』だとか『言語にとって美とは何か』だとか言ったようなイカついタイトルの著作も多くて、そういうのは背伸びして読んだりもしたけれど、勿論内容は一割も頭に入ってこなかった。何故なら難しかったから。それでも読んだ。とりあえず最後まで、と思いながら我慢して読んだ事も少なくなかった。
私は市井のしがない音楽家であるから、彼の事について詳しく何かを述べる術は持たない。そういうのは評論家とか文芸家とかそういう連中に任せておいたら良い。だからこのブログのコメント欄などに「吉本の思想は既に終わっていて」だとか「原発推進のボケ老人」などと書き込まれたとしても華麗にスルーさせてもらう。そういう議論はもうちょっと高尚な所でやってくれ。知った事ではない。
ただ、彼は私にとって特別な人の一人である事は間違いない。「真摯に思考して、徹底して正直である」という事は、すごくファンキーでヒップな事であるように私は思うのだ。
音楽を始めてから、その彼の真摯で正直な態度というのは、私にとって完全に一つの指針となった。ああ、そんな風におれも音楽に向き合おう、そう思った。
その吉本隆明が、今日、死んだそうだ。
87歳。年齢を考えたら仕方の無い事なのかも知れない。
けれど、やっぱり何かぽっかりと穴があいたような感じがあって、今はまだ「吉本隆明が死んだ」という実感が湧かない。
我が家の親父が彼の大ファンであるので、実家に行けば彼の著作や映像などは幾らでもある。これからゆっくり、彼の思考に触れていこうと思う。
吉本さん。
お疲れ様でした。
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