学問の背骨は国語かもしれない
色んな教科の中で一番大事なのって国語なのかもしれないなあと、そんなことを思った。
今日は一日レッスンの日だったのだが、その中で音楽理論の話になる場面が何回かあった。
みな一様に「理論難しいー」となるのだが、私からすれば「いや、すごいよ、こういうややこしい話を"聞ける"ようになってるじゃん」という感想だ。
一つ一つ語彙力を獲得していくことによって、謎の呪文のようだった音楽理論の話が「なんの話をしているのか」ということはわかるようになる。ちょっと前まではこんな話はちんぷんかんぷんだったはずなのに、それをまずは「聞ける」ようになった、それだけで結構すごいことだよ、という感想なのだ。
こういうことは多分全ての学問に共通する。
「わからない」ということの背景に「知らない」ということだけではなくて「何を聞かれているかがわからない」という段階があると思う。
で、この何を聞かれているかがわからないの背景にあるのは語彙力の不足とそこからくる読解力の不足なのだ。
ということは語彙力を獲得してそこから読解力を身につけることによって、知識を得ることの入り口に立つことができる。
そういう意味で語彙力を獲得することとそこから読解力を向上させること、つまり「国語力」を強化していくことは全ての学問の背骨になるんじゃないかなと思った。
文系の学問なんていらん、実学以外は学ぶべきではないなんて暴論を言う人も稀にいるが、様々な学問を理解するためにこそ国語はとても必要な学問なのではないかな。
そんなことを今日のレッスンの中で思った。
今日の演奏動画。
Harry Akstの作曲した『Travelin' Light』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。


























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