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2025年5月 9日 (金)

「体育会系音楽教室」が嫌いという話

同業者(音楽講師)が「うちの教室は体育会系だから」と言っているのを聞いた時には「ふーん」と言ってそのまま何も言わないようにしている。自称「体育会系音楽教室」がキライだからだ。嫌いなものを目の前にした時は極力口をつぐんだ方が良いというのはこれまで生きてきた上での教訓だ。こうやってブログのネタにはするけれども。

嫌いな理由は大きく分けて二つだ。

一つは「そんなのおまえ全然体育会系じゃねえよ」というところだ。
小学中学高校大学とずっと柔道部で育った私はマジで生粋の体育会系育ちだ。強豪校にいたわけでは全然ないけれど、しっかりと「ちゃんとした体育会系」の中にいた。おまえ、音楽なんていう文化系の極みが体育会系名乗ってんじゃねえよ、乱取り5分10本やらすぞ?とついつい思ってしまう。
たとえば日サロで日焼けした日本人がアフリカの黒人の前に行って「おれって黒人だから」と言ったら黒人は「いや、お前は全然黒人じゃない」と言うだろう。そんな感じだ。

まあこの「全然体育会系じゃない」というのは「ちょっといけすかない」ぐらいのレベルの話なので大した話ではない。

もう一つの理由の方がもっと大きい。

自称「体育会系音楽教室」と言うことによって、教師が生徒に対して横柄であっても構わない、あるいは暴言を吐いても構わないというのが透けて見えるのが大嫌いなのだ。

そんなの音楽教育じゃない。

もちろん、甘やかせばいいなんていう話でもない。出来てもいないことに対して「すごいですねー、よく出来てますよー」なんて言うのは論外だ。だが、教師がその日の気分や機嫌によって生徒に対して不満をぶつけたり、自分の指導力不足を棚に上げて怒鳴り散らしたりしているのを見ると「おめーそれで体育会系気取ってんじゃねえよ、打ち込み500本やらすぞ?」と思ってしまう。

出来てない部分に対しては何が原因となって今出来ない状態になっているのかをつぶさに観察する必要があるし、以前に比べて進歩している部分に対しては何が理由で進歩したのかを見極めて伝える必要がある。今の状態から少しでも良くなるためには何を伝えたらいいのか、いつも考えなくてはいけない。

とは言っても、私も人間なので生徒があまりに横柄だったりすると「あーじゃーもーいい、勝手にやって」となることもたまにはある。そこは仕方ない。人間だもの。

こういった理由によって私は自称「体育会系音楽教室」があんまり好きではない。

私はがちがちの体育会系出身者だが、音楽の指導においてはなるべく理性的でありたい。

ちなみに「ま、最後は結局気合いと根性なんじゃないっすかねー」とはよく言う。がちがち体育会系やないか。

みんな、元立ちしようぜ。

今日の演奏動画。

Kenny Barronの作曲した『Magic Dance』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。

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