「普通に美味い」って実はかなり良いよね
最近レッスンに関していくつかのトラブル(大したことではないのだけれど地味にメンタルを削られるやつ)が続いたので、「幸福のハードル」が随分下がっている。
今日などは生徒が
・ちゃんと練習してきてくれる
・ちゃんと時間通りにきてくれる
・ちゃんとお金を払ってくれる
・休む時は前日までに連絡してくれる
等々
としてくれたので「ありがてえ…普通にレッスンが進められるって実にありがてえ…」と感謝した。当たり前のことなのだけれど、当たり前ではなくなる時が多々あるので、実にありがたかった。
空き時間に久しぶりに池袋にある豚骨ラーメン屋に行った。
何十回と通った店だが、いつまで経っても名前が覚えられない店。今も失念してる。
レッスンで池袋に通うようになって今年で18年目。このラーメン屋は18年前からある。昔はラーメン一杯500円だったのだが、今は650円だ。値上げしたとは言えどもそれでも今でも安い方だと思う。
替え玉が一回無料なのと、激辛高菜が入れ放題(大好きなのでついつい入れ過ぎてしまう)なのがありがたい。
超絶ウマイかというとそこまでではないのだが、それでも足繁く通ってしまう。
ここで一つ気付いたことがあったのだが、私は「超絶ウマイものはそこまで好きじゃないのかもしれない」ということだ。
例えば、誰もが振り返るような超絶美人の人と一緒に暮らしていたら私は疲れてしまうんじゃないかというのと似ている気がする。
もちろん世の中には絶世の美女や絶世の美男子と暮らしている人もいるだろう。そしてきっと幸せに暮らしていることだろう。それはそれで良いのだ。
だが、私がその状況にあったら、あるいは私は疲れてしまうのではないかなとふと思ったのだ。
目ン玉が飛び出るぐらい美味いラーメンと、この「普通に美味い」豚骨ラーメンと、どちらかを自由に選ぶことが出来るとしたら私はこの豚骨ラーメンを選ぶのではないだろうかと思った。
普通に美味くて、替え玉も出来て、激辛高菜で味変も出来る。その「安心感」は「超絶ウマイ」に匹敵する価値観なのだ。
「美味い」や「上手い」や「強い」といったわかりやすい価値観だけで幸福は作られていない。そこにもっと色んな要素が絡み合って幸福は形作られている。その色んな要素の一つが「安心感」なのかもしれない。
わかりやすい価値観だけで世の中は出来ていない。
「普通に美味い」って、実はかなり良いよねという話である。
今日の演奏動画。
Sy Oliverの作曲した『Yes Indeed!』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。















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