踏ん張って生きる
昨日は高田馬場「Sunny Side」でボーカルの高原かなさんとのデュオライブだった。
昨年末のツアー以来一か月と少々間隔が空いた彼女とのライブだったのだが、一緒にやり始めた2年半前からこっち、これだけ(と言っても一か月ちょいだけど)間隔が空いたこともなかったので「そろそろ一緒に演奏してえな」という気持ちが高まっていた。
軽くリハをしてからライブが始まって一曲目の『Love You Madly (Duke Ellington)』をやり始めてすぐに「そうそう、これこれ」と一気に楽しくなった。余計な虚栄心や少しの恐怖から解き放たれて、ひたすらに目の前にある音楽を美しくしよう、ひたすらにスイングしようという時間は音楽というものに関わっている中でも最も幸せな時間の一つだ。
昨日はもう一つ、とても心に残ったことがあって。
「Sunny Side」への出演は非常に久しぶりだった。以前はちょこちょこ出させていただいていたのだけれど、別に特に理由があるわけではないが数年の時間が空いてしまった。
昨日の前に最後に出演したのは、もはやいつだかもよく覚えていないけれどコロナ禍の前のことだったのは間違いない。
コロナ感染症を巡る2020年初頭から現在にいたるまでの数年間は、我々ミュージシャンにとってはものすごく大きな影響を及ぼされた数年間だった。それが「もはや終息した」と言い切れるかどうかは意見の分かれるところだと思うのでここでは言及しないけれども、私ももちろん大きな変化に飲み込まれた。悪かったことも数えきれないくらいあるし、良かったことも少しはある。音楽家としての原点にもう一度立ち戻れたというのが一番良かったことなのだけれど。
多くのミュージシャンが廃業を余儀なくされ、多くの店が苦渋の選択として閉店を決断した。
その選択はとても勇気のあることであり、そういった決断を私は支持する。
私はと言えばもうしょうがねえやと思って諦めて「音楽家であり続けること」を選んだ。他に何も出来ないんだもの。バイトをしても何をしてでも良いから、みっともなくとも死ぬまで音楽にしがみつく決断をした。きっと生涯「売れる」ことはないだろうけれど、毎日鍛錬を積み重ねて音楽家としてあり続けていく。非常に自分勝手なのだけれど、もう仕方ない。
そして「Sunny Side」もまた、コロナ禍の苦しい時間を過ごしながらも店として存在し続けた。
その期間にお会いすることはなかったけれども、久しぶりに訪れて「ああ、この店も必死に踏ん張って来たんだ」と思った。
お店の細部にそういう部分はいくらでも見て取れた。
清潔に掃除された店内や玄関、トイレ。客をもてなすホスピタリティ。集客の為に店内に貼られたライブのポスターやチラシ。
「良い時間を提供するんだ、良い音楽を提供するんだ」という矜持がそこにはあった。意気に感じないはずはなかった。
コロナ禍以降(あるいはその前からも)、音楽家として生きていくのが多くの音楽家にとってなかなかに困難であるのと同様に、音楽を提供する店が存在し続けるのにも多くの困難がある。それでも前を向きながら踏ん張っている姿を見ると「根性だな」と思った。
そう、必死に知恵を絞って、最後は根性なのだ。
そういうものを目の当たりにした時に「人間は美しいのかもしれない」とふと思う時がある。昨日がそんな時だった。
幸いなことに「Sunny Side」での次回のライブも決まった。6月25日(水)、もちろん高原かなさんとだ。
是非観に来ていただいて「良い時間」を過ごしていただきたい。
高原さんとは来週もライブがある。こちらはいつもの立川「Jesse James」にて。
2月11日(火祝) 東京立川 Jesse James
042-525-7188
http://jessejames-tachikawa.music.coocan.jp/
vocal:高原かな piano:福島剛
14:00~start music charge:2600円
良い音楽がしたい。本当に心からそう思う。
今日の演奏動画。
Nat Ayerの作曲した『Oh, You Beautiful Doll』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。
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