大学受験の思い出〜野球部を許さない〜
受験シーズン真っ盛りということで大学受験の思い出を一つ。ふと思い出したやつを。
高校を卒業してから、私は京都府立大学という京都府民以外はほとんど知らないような小さな公立大学に進学した。1998年に現役で合格したのだが、卒業したのは2007年なので9年もかかって卒業した。たかだか大学の卒業に9年もかけているバカにはこれまでにもほとんど会ったことはない。ホームラン級のバカである。それはさておき。
高校までは東京に住んでいたのだが、受験は京都までわざわざ行った。高校三年生の頃に高野悦子さんという人の書いた『二十歳の原点』という本を読んで「京都で大学生活をするのも悪くないかも」と思った。この本には京都の立命館大学で学生運動の波に揉まれて二十歳で自ら命を絶ってしまった作者の人生が描かれているのだ。それはさておき。
受験会場はのちに母校となる京都府立大学ではなく、京都市の北西部にある佛教大学というところだった。実は試験を終えた後の手応えはそこまで悪くなかった。「これ多分受かったな」と思った。
問題はその後である。
当時はインターネットなどが現在のように普及しておらず、合格発表は学内に掲示される掲示板を直に見に行くという選択肢しかなかった。
受験が終わって東京に戻り、再び合格発表を見る為だけに京都に行くというのは現実的に無理だった。
佛教大学の受験会場の前に、京都府立大学の野球部の連中がいた。
曰く、合否結果を電報で送るサービスをやるよ、とのこと。
確か2000円くらい取られたと思うが、再び京都まで合格発表を見に来るのは不可能なので渋々そのサービスに申し込んだ。
その際のことを妙にはっきり覚えているのだが、合格の場合には「カモノカワラニサクラサク(賀茂の河原に桜咲く)」、不合格の場合には「ヒエイノヤマユキフカシ(比叡の山雪深し)」と送られてくるよ、と教えられた。
ほほう、さすがは京都。なかなかの京風情ではないかと思った。
数週間後、私の実家に送られてきた電報には「比叡の山雪深し」とあった。
くそ不合格じゃねえか、手応えあったのによ、と思ったが、東京の私立大学に一つ受かっていたので気持ちをそちらに切り替えた。
3月も終わりに差し掛かろうという頃に、京都府立大学から何やら分厚い封筒が送られて来た。
「すみません、受かってました。入学に必要な書類送るんですオナシャス」とのことだった。
おい!野球部!
受かってんじゃねえか!比叡の山の雪は溶けて賀茂の河原に桜が咲いてんじゃねえか!ふざけんな!
と、そこまで怒るわけではないが、「ちゃんとやれよ野球部」とは思った。
結局その日の内に東京の私立に行くか京都府立大学に行くかのコイントスをして京都府立大学に行くことに決めた。
そこから急いで母親と共に京都へ行ってアパートを決めたりとバタバタしたことを覚えている。
入学してからすぐに極度の怠惰癖を発揮して全然学校へきちんと行かなくなったのだが、そんな私の家の電話に毎日モーニングコールをしてくれる奇特な女子がクラスメートにいた。「あの子ひょっとしたらおれのこと好きなのかな」、私がそう思っても不思議ではない。
ところがその女子はなぜか野球部のマネージャーをしており、野球部の男と付き合っているらしいということを人づてに聞いて、何もせずに失恋した。
じゃあ毎日モーニングコールしてくんな!
もちろん私はそこから余計に学校に行かなくなった。
ということで受験のことを思い出すと私は「野球部を許さない」ということを思い出す。
野球部を許さない。
今日の演奏動画。
Eddie SeilerとSol MarcusとBennie Benjaminの作曲した『I Don't Want To Set The World On Fire』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。
最近のコメント