「売れたい」という気持ち
音楽の世界は芸能の世界でもあるので「売れてる」とか「売れてない」という価値観は確かにある。
私はと言えば、完全無欠に売れていない。どこからどう見ても売れていない。売れっ子の反意語って何つーんだ、「売れてないっ子」でいいのか。純度100%混じりっけなしの「売れてないっ子」である。
なので私が言うと単なる負け惜しみになるのが少々恥ずかしいのだが、実はこれまでの20年近い音楽家人生において「売れたい」と思ったことは一度もなかった。
そういう世界線があるということは身近にいる「売れている」人たちを見て知っていたが、それは私にはものすごく縁遠い世界だし完全に他人事だと思っていた。そしてそこに行きたいと思ったこともなかった。地道に毎日積み重ねながら、死ぬまでにほんの少しで良いから自分の理想とする音楽に近づけるのであれば、それこそが望みだった。それ以外の望みはほとんどなかった。
だが、昨日ふとしたことで「売れたい」という気持ちが脳裏をよぎった。人生で初めてのことだった。
私の音楽家生活は実にたくさんの人に支えられながら成り立っている。多くのお客さんや生徒さん、応援してくれるお店の方々、切磋琢磨してくれる素晴らしい音楽仲間たち。数え上げればキリがない。
「売れたい」なんていう気持ちが初めて頭を掠めたのは、昨日のセッションに参加してくれたとある私の生徒さんが私のライブのチラシを他のお客さんに配ってくれているのを目にした時のことである。
そのような気を遣わせてしまって悪いなと思ったから「売れたい」と思ったわけではない。
そういう風に私のことを愛してくれて応援してくれている方々が、私が何かの間違いで「売れた」時に「ワシは初めから目ぇかけとったんや」とドヤる顔が見てみたいと思ったのだ。
「ワシにはわかってたんや」、なんなら「あいつはワシが支えて育てた」、そこまで言ってもらっても構わない。
そうやって私のことを愛してくれている、そして私が愛する人々がドヤるところを見てみたい。そういう気持ちから「売れたい」なんていう気持ちが去来した。
どうやら当分売れそうにはないけれど、もしも万が一、億が一、兆が一売れることがあったら、今私を応援してくれている人たちは盛大にドヤってほしい。
その姿を見てみたいという欲求は私の中に確かにある。
今日の演奏動画。
Abbey Lincolnの作曲した『Story Of My Father』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。
| 固定リンク
コメント
店の前の黒山の、チケットが手に入らなかった人だかりを横目に店に入る。嫉妬と羨望の眼差しの乱射を受けながら、チミたちとはファン歴が違うんじゃよフッフッフッ。
なんて、いいっすな。
投稿: | 2024年10月 1日 (火) 23時15分
そう。その姿を見たいんですよ。
だから柄にもなく「売れたい」なんて一瞬思っちゃいました。
投稿: 福島剛 | 2024年10月 1日 (火) 23時33分