そこにはもともと価値がある
丸一日レッスンだった。
ピアノレッスンの中では基本的には「技術」と「知識」を伝えている。
自分がこれまでに技術や知識を培った経緯を参考にして、それが他人にも理解しやすいようにということに気を配って試行錯誤しながら20年近くやっている。
なのでレッスンの主目的は「上手くなってもらうこと」である。そこは間違いない。芸事のレッスンなのだから、その本筋を外してしまってはまずいと思っている。
だが、そうやって「上手くなった先」にあるものは何なのだろう、ということを今日のレッスンでは考えた。
技術や知識を得ることで人から賞賛される、言い換えればそこに自らの価値を見出すのであれば、それはおそらく私の本意ではない。
たゆまない鍛錬によって技術と知識を身につける。ピアノを弾くのが少しずつ上手くなっていく。
しかし、その人が「ピアノが上手いから」という理由でその人に価値があるわけではないのだ。その人には元々かけがえのない価値があるのだ。
修練の過程で自らの至らなさに気付く。自らの弱さや愚かさを自覚する。
そういったものを自分できちんと受け入れて、それでもまるごと自分を肯定して「私には価値があるのだ」ということを知って、そして自由になっていくことが私の目的なのではないかなということを考えさせられた。
今日気付いたことなのでまだ考えがまとまっていない。
とりあえずの備忘録としてここに書いておく。
今日の演奏動画。
Andy Gibsonの作曲した『The Hucklebuck』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。
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