宣伝効果の本質について
広告とかコマーシャルということについてふと考えることがあった。
私はビールはサッポロと決めているフシがあるのだが、これはサッポロのビールが好きなのはもちろんのことなのだが、普段から非常にお世話になっている方の甥っ子がサッポロ社に入社したことをきっかけに「よし、今後はビールは極力サッポロしか飲まない!」と宣言したのも理由としては大きい。
そしてそれ以来私は自分でビールを買う時には必ずサッポロのビールを買うようにしている。
これは一種の宣伝効果と同じなのではないだろうかと思ったのと同時に、宣伝効果の本質的な部分はこういうところにあるのかもしれないと思った。
例えば野球少年たちが「モノの良し悪し」は置いておいて、大谷翔平選手と同じシューズを履いてみたいという願望を持つのは想像に難くない。憧れの人と同じものを身につけてみたいというのは至極真っ当な願望だ。
だからこそシューズメーカーなどは大谷翔平選手に金銭を支払って広告塔になってもらう。それによって売上の確実な上昇が見込めるからだ。
大谷選手の例は「ものすごく規模が大きいレベルでの宣伝効果」であるが、私のサッポロビールに関しては「規模は小さいけれど着実な宣伝効果」だとも言える。
サッポロとキリンとアサヒと、本音を言えば全部好きなのだけれど「まーその中でいったら義理もあるしサッポロだな」というのは広告塔を介さない宣伝効果の一つなのだ。
最近ではそれに似たようなことがあって、コンビニで売っているコーヒーが好きなのでよく買うのだが、最近の私はセブンイレブン一択である。親しい方がセブンイレブンと関わりがあるということを聞いたからだ。
これもビールと同様にファミリーマートのコーヒーもローソンのコーヒーもミニストップのコーヒーも全て好きなのだが「まーここはセブンっしょ」という塩梅である。
これもまた広告塔を介さない宣伝効果の一つだ。
というか私はこういう広告塔を介さない宣伝効果に弱いのかもしれないと気付いた。
うん、多分弱い。
今日の演奏動画。
Burton Laneの作曲した『How Are Things In Glocca Morra』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。
| 固定リンク
コメント