« 先生方の応援へ | トップページ | トレーニングとプロテインと朝ドラ »

2024年6月17日 (月)

90年代J-popのWowWow

昼に久しぶりにゆで太郎に行った。写真は撮り忘れた。今期はトッピング無料のクーポン券をもらい忘れてしまったので、若干貧しいゆで太郎ライフとなるがそれも仕方ない。

今日ゆで太郎で思ったこと。

ゆで太郎小岩店のBGMは大体有線放送だ。90年代のJ-popがかかっていることが多い。

この90年代のJ-popなのだが、ものすごい頻度で「WowWow」を言う。どの歌でもWowWowを言わなければならない決まりでもあるのかというぐらいWowWow言う。そこが気になると、蕎麦を食べながら「あ、またWowWow言った」とそればかりが気になってしまう。

正直に言えば、今の私の感覚から言えばWowWowは鬼ダサい。なんだよWowWowってと思う。

だが、この当時には多分それはそこまでダサくなかったし、みんながみんなWowWow言ってたわけだからWowWowにはそれなりの市民権があったのだ。

そしてもう一つ、ここが非常に重要なポイントなのだが、歌っている当人たちは多分WowWowをそれなりにイケてるものとして使用している。自分たちの歌を好き好んでダサくはしたくないはずだ。それがイケていると思っていたからこそWowWow言うわけだ。

その歌を歌っていた彼らは今になってWowWowをどう感じているのだろうか。やはり「ちょっとダサかったかな」と思っているのだろうか。

こういうことが非常にたくさんあるなと思うのだが、その時に「これはイケてる!」と思っていたことが時間が経つにつれて「いや、やっぱダサかった」となるということは往々にしてあると思うのだ。私もよくある。自分なりにこれはイケてると思ったことが後から考えてみればクソダサいということが。というかそういうことだらけだ。そういう風にして黒歴史というものはばんばん量産されていく。

でもさ、その時の自分がイケてると思ったことをやるのはとっても素敵なことじゃないか、とも思うのだ。たとえそれがあとから振り返った時に「クソダサいいいいいい!!!!あの時のおれ、死んでえええええ!!!!」となったとしても、その時に「これがカッコいいっしょ!!」という衝動に従うのはそんなに悪いことだとは思えないのだ。

そういうことに気付いてしまったので、これから私は90年代J-popのWowWowを聴いた時に、少し感傷的な気分でそれを聴くことになるだろう。

そういうのも良いじゃないかWowWow。


今日の演奏動画。

Henry Manciniの作曲した『Sunflower ~I Girasoli~』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。

|

« 先生方の応援へ | トップページ | トレーニングとプロテインと朝ドラ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 先生方の応援へ | トップページ | トレーニングとプロテインと朝ドラ »