おれとスタバ
ものすごく好きなもの、あるいは生活の中でほぼ欠かせないものの一つにコーヒーがある。
毎日コーヒーを飲む。
そこまでのものなので強いこだわりがあるかと言えば、実はほとんどない。ありとあらゆるコーヒーが好きなので、コンビニで売っているコーヒーも好きだしインスタントコーヒーも好きだし何なら缶コーヒーも好きだ。甘いのはあんまり好きじゃないけれど。
もちろんちょっと高級な「良いコーヒー」が嫌いなわけもなく、それは当たり前に大好きだ。
こういうのに似たものでは魚がある。私はたまに魚釣りに行くので、その時に自分できちんと下処理や熟成を施した魚というのは別次元で美味いのだが、だからといってスーパーで売っているような刺身なんて食べられないなんてことは全然ない。あれはあれで非常に美味い。それぐらい私は魚が好きなのだ。
コーヒーの話に戻るが、どんなコーヒーをも愛する私が唯一避けてきたコーヒーショップがある。
スターバックスコーヒー、そう、「スタバ」である。
スタバには若い頃に何度か行ったことがある。コーヒーを購入して飲んで、「お、ちょっとお高いけどめちゃウマい」と思ったことを覚えている。
ではなぜ私がスタバを避けるようになったかといえば、そのおシャンぶりである。
スーツを着たエリートサラリーマンがマックブックエアーをカタカタとやりながらのスタバ、ハイソな奥様が傍らにやたらと高価そうな犬を連れてのスタバ。
そんなイメージが私の中に強くあり、私のようなおシャンティの欠片も存在しない人間にはスタバに立ち入る権利を許されていない。そのように考えるようになったのだ。
ところが先日、知人よりスタバカードなるものをいただいた。これである。
このカードを持っていけばスタバでコーヒーが買えるとのこと。更にこのカードにデポジットされている金額が無くなったら現金をチャージすることで電子マネーとして使えるという代物だ。
「ここは一つ、スタバに行ってみるか…」と私が思ったのも無理のない話である。
ということで行ってみた。
修羅の街小岩にも今ではスタバがあるのだ。
注文の時点で完全にキョドる私。メニューを見せられても何が何やらわからないし、そもそも老眼で小さい字がよく見えない。
「あの…本日のコーヒーみたいなのってありませんでしたっけ…?」とおそるおそる店員に聞いてみると、若い爽やかな男の店員が「ございますよ!」と別のプレートを見せてくれた。
「それを一つください」と言うと「サイズはどうしますか?」と聞かれた。そういやスタバのサイズの呼び方はやたらとクセが強かったよな、トールとかグランデとか、よくわかんねえんだよな、中くらいのやつが良いんだけど…と私がまごまごしていると、店員が実際のカップを並べて「この4種類です」と教えてくれた。親切である。そしてその店員には「こいつ初心者だな」というのはすでにバレていた。私は中くらいの大きさのカップを指さして「これでお願いします」と伝えた。
本日のコーヒーを中くらいのサイズで注文することに成功した私は、お会計の段になって「このカード使えますか」と先ほどのスタバカードを差し出したら無事に使えた。
コーヒーは一杯412円だったのだが、カードからその金額を差し引いた時にまだ588円の残高があった。元々1000円入っていたみたいだ。
コーヒー一杯412円かー、さすがスタバだなーと思いながらそそくさと店内を後にして、すぐ近くにある喫煙所に向かった。スタバはものすごくおシャンだが、喫煙所にはおシャン要素は皆無だ。
タバコを一服しながらスタバのコーヒーを一口頂いたが、当たり前にめっちゃ美味かった。さすがスタバ。
スタバカードをプレゼントしてくれたSさんに感謝すると同時に「あと500円ちょっと残ってるからもっかいどっかでスタバ行こっと」と思った。
私のような下等な人間でもスタバでコーヒーが買えた。
輝かしい第一歩である。
今日の演奏動画。
McCoy Tynerの作曲した『Aisha』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。
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