『Charleston』にまつわる思い出
26歳から音楽を飯の種にしているので今年で19年目だ。
若い頃には「音楽で食ってくとかそんなん絶対無理ってみんな言うけどやってみなきゃわかんねーじゃん、ひょっとしたらおれには音楽の才能あるかも知れないし」と思っていたが、途中で「やっぱ才能無いっぽい」と思うに至り、今では私には音楽の才能などは皆無であることはハッキリと自分で認めている。才能なんて無くても良いのだ。ヘタクソにはヘタクソなりの努力の仕方というものがある。今ではそう開き直っている。
私は今もピアノがヘタクソだが、若い頃は更に輪をかけてヘタクソだった。よくそれでやってこれたなと思うが、なぜやってこれたのかは自分でもわからない。諦めが異常に悪かったからかも知れない。或いは若い頃に柔道で培った何度投げられても立ち上がるスピリッツで、何度仕事をクビになっても「くっそー今に見とけやボケが!」と這い上がってきたからかも知れない。わからないけれど。
いつものYouTube用に昨日録音した「Charleston」という曲は、今よりも更にヘタクソだったその若い頃から練習していた曲だ。数週間かけて練習していたのだが、ぼちぼち録っても良いかなと自分で思えるようになったので録ってみた。ハッキリ言って難しかった。
もちろん若い頃に比べれば今の方が高いクウォリティで弾けるのだが、練習しながら「なんであのヘタクソな頃のおれにこの曲が弾けたんだ?」と不思議に思った。これ結構難しいよなー、あんなヘタクソなおれに弾けるはずがないんだけどなー、と。
でも実際に「きちんと弾けているか」ということを別にすれば若い頃からこの曲をよく弾いていたし、それはしっかりと身体の記憶として残っていた。マジでどうやって弾いてたんだろう。
今はもう一曲、この「Charleston」の作曲者であるピアニストJames P. Johnsonの曲を練習中だが、鬼のように難しくてまだ全然弾けない。でもこれもゆっくり少しずつ練習したら必ず弾けるようになることもわかっている。
そういえばずっとこうやってやってきたのかもな。若い頃もこうやって「ゆっくり少しずつ練習したら絶対弾ける、なぜならおれは天才だから」と思って練習していたのかも知れない。
「身の程を弁えない」ということに関してはひょっとしたら私は天才なのかもしれない。
今日の演奏動画。
James P. Johnsonの作曲した『Charleston』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。
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