作品が自分の手を離れたそのあとに
スポーツ選手が試合前に音楽を聴いて集中力や闘争心を高めているというのはよく見る光景だ。
その音楽のチョイスは人それぞれに色々あって面白い。
最近飲み屋で知り合った元自転車競技の選手だというある男性は、競技会前に中島みゆきの歌を聴いて集中力を高めていたと教えてくれて、「ぼくも中島みゆきは大好きですが、競技会前に聴いたらどよーんとしちゃいません?」と尋ねたら「心が落ち着いていく感じが良いんですよ」と教えてくれた。本当に人それぞれだなあと思った。
中島みゆきさんはおそらく(というか間違いなく)ご自身の素晴らしい楽曲を「自転車の競技会の前に聴いて選手の集中力を高めるため」には作られていない。色んな目的で楽曲を作るのだろうけれど、そういった目的のために作られていないのは間違いない。しかし、そのように利用する人もいる、ということである。
これが非常に面白い部分なのだ。
どんな作品も、作者の手を離れて一旦リスナー等の受け手に受け取られたら、受け取られた瞬間にそれは様々な場面で活用されることは避けがたいのである。
中島みゆきさんの楽曲と言えば「失恋した人間がその傷を見つめるため(ex: 『わかれうた』)」とか「人生はしょっぺえなあ」と思った時に聴く(ex: 『タクシードライバー』)とか、「青春18きっぷを使って鈍行列車の旅に出ている時に暗くなった寂しい駅のホームで聴く(ex: 『ホームにて』)」とかそういった用途で聴かれるのが一般的ではないだろうか。
一般的というか全て私の体験談なのだが。
さすがに自転車の競技会前に選手の集中力を高めるために聴かれているというのは想像の範囲外のような気もするが、これもこれでまた正しいのだ。
なぜこんなことを思ったかというと。
私も折に触れて様々な作品を発表する。最近は配信にて一曲ずつ発表することもあるが、数年前にはCDアルバムを二枚作っている。どちらもソロピアノでほぼ全曲オリジナル。私にとっては非常に思い出深い作品だ。
三年前に発表した【流転】というアルバムを、とある知り合いの女性が買ってくださった。そしてそれを家のリビングで聴いていたところ、その女性のご主人が「何聴いてるの?これ良いじゃん」と言ってくださったらしいのだ。
女性が「知り合いのピアニストが最近発表したアルバムだよ」と教えると、ご主人は「これ、自分でも買いたいからそのピアニストにお願いしてみて」とおっしゃったそうだ。そしてその女性は私に「夫が気に入ってしまったのでもう一枚買わせてください」と連絡をくださった。
後日その女性と話す機会があった時に女性は「ビックリした。夫は普段はピアノ音楽なんて全く聴かない人なのに。たまに聴いていても浜崎あゆみとかのJ-popばっかりで」と教えてくれて、私としてはそういう人に気に入って頂けたのもとても嬉しかったのだが。
ご主人は仕事帰りに車を海辺に停めて私のアルバムをカーステレオから流しながら海を見つつぼんやりするなどしてくれていたらしい。私としてはそういう風に私のアルバムを使ってくださるのは少々想定外のことだったのだが、とても嬉しい報告だった。
そしてつい先日のこと。そのご主人は最近定年退職をして、これからは数年間だけとある地方都市で単身赴任で働くということが決まっておりその為の荷造りをされていたそうだ。そしてその際に「あ、アレ持っていかなきゃ」と言って荷物の段ボールの上の方に私のアルバムをエアキャップで梱包して大事そうに入れてくださっていたそうだ。その女性と最近話したという共通の知人から聞いた。ちなみに浜崎あゆみのアルバムは荷物に入れていなかったらしい。
こんな嬉しいこともそうそうない。
私の作品を制作するにあたっては私なりの思いが色々とあったのだが、一度私の手を離れてしまえばそれがどのように扱われても構わない。もちろん気に食わない人もいるだろうが、それでもこうやって私の作品を大事にしてくださっている方がいるのは本当にありがたい。
知人の女性のご主人であるその男性が、これから見知らぬ地方都市で数年間働く時に、たまに私のCDをカーステレオから流してくれるのかなと思ったら、ちょっと泣きそうになるぐらいに嬉しい。
ちなみに私のCDはこちらから買えます。
https://fukushimatakeshi.amebaownd.com/pages/3725283/discography
amazonとかでも買えます。最後はどさくさ紛れに宣伝でした。
今日の演奏動画。
Paul Westonの作曲した『Amor En Paz ~Once I Loved~』をピアノとベースの「一人合奏」で弾いてみました。
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