依存症との向き合い方
昨日のニュースでギャンブル依存症のことが度々話題に上がっていた。
それを見ていて私は少々憂鬱な気持ちになった。
多分私は20代の頃はギャンブル依存症だったからだ。
一番よくやったのはパチスロと麻雀と競馬。今になってから「なぜあの20代の時にギャンブルなどに無駄な時間を遣わずにピアノの練習をしておらんかったんだ!だから今のおれはこんなにヘタクソなんだ!」と思う事も多々あるが、そうやって無駄な時間を過ごしていたのだから仕方がない。確かにギャンブルは楽しいことも少しはあるのだけれど、実態はものすごく高いレベルでの「時間の無駄」でしかない。すごく後悔しているが、本当に仕方がないとしか言いようがない。
今は、数年に一回ぐらいの頻度で年末の競馬の重賞レース「有馬記念」の馬券を1000円ぐらい買う程度なので、ギャンブル依存症の真っただ中ではないのかなという自覚がある。
ただしこれは全ての依存症に共通して言えることなのだが、依存症というものは基本的に完治はしない。アルコールや薬物などもそう。「(ギャンブルを)やらなかった今日」や「(アルコールを)飲まなかった今日」を積み重ねていくしかない。いつまたその泥濘にずぶずぶと引きずり込まれるかわからないという自覚は全ての依存症者に必要なのかもしれない。
私は20代の終わりぐらいから自分のギャンブル依存症を自覚し始めたので、自分なりに色々な対策を取った。まずは「現金を持たない」ということである。結婚した当初は嫁氏に有り金を全て渡していた。持っていたら使ってしまいそうだったからだ。これは結構効いた。ふらっと「あー暇だなーパチンコでもするかなー」と思っても金が無いので出来ないというのは良かった。
これは「ギャンブルをやりたい気持ち」を根本的に無くすというよりは「やりたくても出来ない環境を整える」という視点からの対策である。
では「ギャンブルをやりたい気持ち」をどうやって無くしていくかということだが、これは多分無くならない。ではどうしたら良いかということで考える一番の依存症対策であるが、「他の依存先を見つける」である。実際にはこれが私には最も効果があった。
他の依存先は、私の場合はもちろん音楽である。そこに依存することが出来たのは私にとっては非常に幸運だった。それが良いことなのか悪いことなのかはわからないけれど、少なくとも私の気持ちとしてはギャンブルに依存しているよりはずっと楽しい。
他にも魚釣りという依存先もあるし、ここ数年では何よりも柔道という最強の依存先がある。
ということで私は現在はギャンブルに依存していない代わりに音楽と柔道にどっぷりと依存している。
ギャンブルをやりたい気持ちがゼロにはなっていないけれど、それ以上にやりたいことが多すぎてギャンブルにかまっている暇がないという構図である。
人間は弱い。私には様々な依存症の人間の気持ちが少しぐらいはわかる。私も一種の依存症患者なのだ。
今は音楽の仕事の都合で柔道の稽古に行けない日々が続いているので、私の心の中にいる三井寿(みついひさし)くんが「安西先生…柔道が…したいです…」と毎日うなだれている。
安西先生、柔道がしたいです。
今日の演奏動画。
Wayne Shorterの作曲した『Infant Eyes』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。
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