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2024年2月 9日 (金)

【一億三千万人のための『歎異抄』】一旦読了

昨日のブログで書いていた高橋源一郎著の【一億三千万人のための『歎異抄』】、昨晩読了。

昨日も練習後に小一時間の散歩ののちに近所にある高級イタリアンバル(通称サイゼ)に行って読書を続けた。

赤ワインのデカンタの500mlを注文してしまったのだが、久しぶりに見るとその量に圧倒された。こんなに飲めんのかよ、と思った。

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飲んだけれども。

後半部分の高橋氏の解説、軽妙な語り口ながらも実に読みごたえがあった。とりわけ「後序」にある

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。さればそれほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」

「ユイエン。おれがこれから話すことは、ひどく奇妙に思えるかもしれない。というのも、おれは考えに考えたあげく、ついにこう思うようになったんだ。アミダが永遠に近いほど長く感じられ、そして立てたあのお誓いは、ただおれひとりのためのものだったんじゃないかって。アミダは、こんなにもたくさんの罪にまみれたおれを救ってくださろうとあの誓いをなさった。なんてありがたいことなんだろうって。おれにはそう思えるんだ」(【一億三千万人のための『歎異抄』】117~118頁)

と訳したことに言及したところで太宰治の作品に触れたあたりで「うわー!めっちゃわかる!」と膝を連打してしまった。

太宰治の作品を読んだ時に「気持ち悪い登場人物がいるなあ」と思う人間と「あれ?おれが描かれているぞ?」と思う人間がいるとしたら私は圧倒的に後者だ。普遍的な物語として書かれたはずの作品が、あたかも極めて個人的な自分の為の私小説に思えるという体験によって、この「ひとへに親鸞一人がためなりけり」という言葉を解説された時には「なるほど!そうか!」と唸った。

またこの「ひとへに親鸞一人がためなりけり」に関してはドストエフスキーも引き合いに出して「ひとりで神の前にたたずむ。ひとりで神と契約する」という解説した。これにも唸らさせられた。「みんな」なんていうものはいない。たくさんの「ひとり」がいるだけだ、と高橋氏は語った。

自分の中にこれまでになかった『歎異抄』への視点をいくつも得ることが出来た。非常に面白い読書だった。

もう一度細かい部分を含めて読み直してみようと思う。読みかけのドストエフスキーも早く読まなきゃなんだけど。

そうそう、今日あった嬉しかったこと。

朝のトレーニングを終えてコンビニにプロテインを買いに行ったら30%オフで買えた。

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業にまみれた罪深き私はこんなことでも嬉しくなるのである。

今日の演奏動画。

Vernon Dukeの作曲した『Autumn In New York』をベースの野々口毅さんとデュオで弾いてみました。


野々口毅さんのYouTubeチャンネルはこちら。
https://youtube.com/user/nyonyo30


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