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2024年2月23日 (金)

こだわりがないものとあるもの

朝テレビを見ていたら「あなたの家のこだわりは?」というトピックをやっていて、人それぞれに自分の住む家に対するこだわりが色々とあって面白いなあと思ったのだが、自分のことを考えてみると私は「住居」に関するこだわりはほとんどない。

窓がどの方角を向いていても構わないし間取りがどうでも構わない。屋根があって雨風が凌げて寝られればそれで良いというぐらいのこだわりの無さだ。

だからといって住居に対して様々なこだわりを持つ人のことを理解不能だと言いたいわけでは決してない。人が様々なことにこだわりを持つのは良いことだと思っている。ただし私は単純に住居に対してほとんど何のこだわりが無いというだけだ。色んな人がいて良いのだ。

朝の筋トレを終えてプロテインを飲みながらその番組を見ていたのだが、そういえば今からは信じ難いが、私は若い頃には食に関するこだわりも薄かった。薄かったと言えども多少はあったのだが、「食べること」を生活の中でのいくつかの最重要ファクターとして捉えている今からすれば格段に薄かった。

原因は眼の前のプロテインにあった。

若い頃はずっと柔道をしていた(今もしているが)ので、どこかで食事のことを「身体を作る為の行為」と考えている部分があった。タンパク質が何グラム入っているのだろうかとか、カロリーは何キロカロリーだろうかとかそういうことを考えながら食事をしていた。栄養素が大事な問題であり、美味いかそうでないかという問題はその次に来てしまっていた。なので今と同様にプロテインもよく飲んでいたし、食事は身体に必要な栄養を摂るための「手段」であったのだ。

無論今は違う。美味ければ50000キロカロリーだろうが何だろうが喜んで喰らう。駄菓子の「キャベツさん太郎」を食べながら缶チューハイも呑む。だって好きなんだもん。

こういったこだわりに関することは、おそらくその人の優先順位なのだろう。何を優先するのかによってこだわりは変わってくる。私が住居や衣服に対してずっと何のこだわりも持たずに暮らしているのは、私がそういったものを優先して考えていないからだ。


となると当然、それ以外の「自分が優先順位を高く考えているもの」についてはこだわりの度合いが強くなってしまう。
私の趣味である魚釣りや柔道、そして生業である音楽に関しては言わずもがなにこだわりが強い。

魚釣りでは未だに仕掛けを自作するし、活け〆や神経〆等の魚の持ち帰り方には他人からちょっと引かれるぐらいの執着を見せる。
柔道や音楽に対するこだわりは話し始めるとキリがないから割愛する。

多分住居にこだわりのある人が、ものが散らかりまくっていて乱雑極まりない私の家を見たら発狂するだろう。
それと同じくらい、私も釣り場で魚を乱雑に扱っている人を見ると発狂しそうになるのだ。「早く脳〆してエラを切ってから潮氷にぶち込んで!!」と叫びたくなるが、何とか我慢して黙っている。みんながみんな私と同じこだわりを有しているわけではないのだ。

それでもせめて氷〆(魚を氷水に入れて冷水により凍死させること)ぐらいはしてほしいなあと思うにつけ、ということは私も散らかりまくった家を少しは片付けなくてはならないなと思う。

今度の休みの日には少し片付けをしようかなと思うのだが、多分やらない。休みの日は「よし今日は朝に柔道のトレーニングやったらそのあとは一日ずっとピアノの練習やるぞ」となるのが常なので、片付けは後回しになる。

なるほど優先順位とはこういうことなのだと自分で納得する。


今日の演奏動画。

Duke Ellingtonの作曲した『Tne Mooche』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。

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