上々の旅立ち
京都へ向かうバスは8時10分に東京駅を出発する予定だったから、7時55分までにバス停にいれば良かった。10分前だと少々ギリギリ過ぎるし、かと言って30分も前に着いても特にやることがなくて暇なので15分ぐらい前に着くのがベスト、というのがこれまでの経験から導き出されたベストアンサーだった。
ということは、我が家から東京駅までは1時間もかからないので7時ジャストぐらいに家を出れば、多少電車に遅延などがあっても余裕で間に合う計算だったのだが、私は朝の6時30分には家を出たかった。日暮里の「一由そば」に立ち寄りたかったからだ。
これも私の豊富な貧乏旅行経験に基づく二手三手先まで読んだ推察なのだ。
昼のバスは一旦乗り込んでしまうと京都到着までまともにメシが食えない。途中サービスエリアなどに立ち寄る時間もあるが、再集合の時間までがタイトな上、サービスエリアの物価はスイスぐらい高いのでそこでメシを食べるのは憚られる。なにせ吉野家の牛丼の並盛が600円もするような世界である。私のようなド底辺様などお呼びでない。
ということでバスに乗り込む前に何かを食べておかなくてはバスの乗車中にずっとランニングシャツと短パン姿で「ぼ、ぼくは、お、おなかがすいたんだな」と呟く羽目になってしまい、周囲から「何下清だよ!」と冷ややかにツッコまれるのは請け合いだったので「朝めしはマスト」というのが定跡だった。
さてそれではどこで朝めしを、となるわけだが、バスの発着駅である東京駅で朝めし、というのは悪手である。確かに何はなくとも一旦東京駅に到着しておきたい気持ちは私にもあるのだが、その次の一手が指しにくい。何せ東京駅である。物価がシンガポールぐらい高い。唯一、バス停のすぐ近くにマクドナルドがあるのが救いなのだが、朝めしにマクドナルドというのはそれほど心が躍らない。
ということで導き出された最善手が「京成からJRに乗り換える際の日暮里駅で途中下車して一由そばでたぬきそば320円を食べる」であった。
もちろんリスクは伴う。一由そばは日暮里駅の改札を出てから徒歩5分ぐらいのところにあり、なおかつ人気店なので必ず行列待ちをしなくてはならない。この日暮里駅からの移動時間と行列待ちの時間を考慮に入れると確実に30分は多めに見ておかなくてはならなかったので、私は7時ではなくその30分前の6時30分に家を出ておきたかった。
結論から言えば、私は6時40分に家を出た。眠くてダラダラしていたからだ。
この10分はあるいは致命的な傷になる可能性があった。
もしも電車が遅延したら。もしも一由そばの行列がいつにも増してハードだったら。もしも突如トイレに駆け込みたくなって途中の駅で下車したら。
そんないくつもの「if」が私の頭を駆け巡り、
「ここは無難に一旦東京駅まで行ってしまってマクドナルドで手を打つか?」
「いやいや、ここはやはり初志貫徹で日暮里一由そばだろ」
「あるいは浅草橋の立ち食いそば“ひさご”という手もあるぞ」
などと様々な考えが交錯したのだが、結局私は初志貫徹の日暮里一由そばをチョイスした。大丈夫、きっといける、天は私を味方する、と強く信じて日暮里駅を降りた。
一由そばには予想通り行列が出来ていた。私は即座に行列の人数を確認した。1、2、3…6人か。6人の行列は想定内だ。おそらく5分とかからない。これはいける、と踏んだ。
行列に並びながらスムーズな注文をする為に財布からあらかじめ320円を取り出しておいた。
行列の前の人たちが注文を済ませている間にも私の後ろに人が数人並び、そしてそばを食べ終わった人たちが店を出ていく。まさに人が「回転」していた。
予想通り5分ほどで私の注文の順番になった。注文に淀みはない。
「暖かいそば普通盛りとたぬきをお願いします」
その注文から20秒ほどでたぬきそばが目の前に置かれる。お金を渡す。お釣りはない。ああ、全てゼーレのシナリオ通りだ。
ということでやってきたたぬきそば320円がこれだ。
以前にもこのブログで紹介したことがあるが、一由そばのたぬきは天かすではなく「天ぷらの切れっぱし」であるので、ゲソやら紅しょうがやらゴボウやらの様々な味がする。マジで美味い。
しかし私に許された時間には限りがあった。一口一口の咀嚼の喜びを噛み締めながら啜りたいところではあったが、それよりもスピード命!と自分に言い聞かせて5分かけずに完食した。美味かった。
ごちそうさまでしたと告げつつ食器を食器棚に下げて足早に店を出た。この時点で7時30分を少々回ったところ。まだ私の勝利は確定していなかった。
急いで日暮里駅まで戻り、そこから山手線に乗り込んだ。日暮里駅から東京駅までは所要時間12分、7時35分に乗り込んだ電車は何の問題も無ければ7時47分に東京駅に着く。そしてそこからノーミスでバス停まで辿り着ければおそらく7時55分にバス停到着、当初の予定していた時刻とぴったり同じだ。
山手線は特に遅延することもなく東京駅に到着し、私は間違いを冒さないように慎重に八重洲南口に向かう階段を降りた。
バス停に着いた。時刻を見た。7時55分だった。
勝利した、私は賭けに買ったのだ、と深い溜息をついた。
最寄りの自販機でお茶を買っていると、程無くして私の乗るバスが停留所に到着し、私は無事に座席に沈み込むことが出来た。あとはもうこの座席に8時間ほど座っていれば京都まで連れていってもらえる。私は安堵した。
一つ目の休憩場所である足柄サービスエリアに着いた時に、いつも目にする超高級吉野家が視界に入ったが「私は今そこまで腹が減っていないのでここのご厄介にならずに済むのだよ」という余裕の心持ちでそこを一瞥した。
足柄サービスエリアからは富士山がとても綺麗に見えた。
上々の旅立ちだ。私は心の中でそう呟いた。
バスは現在名古屋の少し東側を走行中。あと二時間前後で京都に到着する。
今日から演奏ツアーが始まる。
初日はこのライブ。
学生の頃からお世話になっているベースの矢野さんと、これまた20年近くずっと一緒にやらせてもらっているボーカルののりちゃんと伏見「レミューズカフェ」で。後半はセッション。来るべし!
今日の演奏動画。
Bob Mintzerの作曲した『Bop Boy』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。
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