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2023年9月27日 (水)

「国別メダル数」に何の意味があるのだろうか

先日の日曜日から開幕しているスポーツのアジア大会をちょこちょこ見ている。

と言ってもほぼ柔道しか見ていない。他の競技に興味が無い訳では無いのだが、ここの所仕事も練習もちょっと忙しいのでその合間を縫って見るとなると柔道を見るのだけで精一杯だ。

しかもリアルタイムで見るのはなかなか難しいので、録画しておいて柔道の試合の部分だけ見る。他は全て早送りで飛ばす。柔道以外の競技に出場されている選手達には少々申し訳ない気持ちもある。

観戦の主な目的は勉強だ。一流選手達の技や組手などを何度も見ることで、その動きのイメージを頭に焼き付ける。私自身は軽量級であるので軽量級〜中量級の試合が非常に参考になる。アジア大会にまで出場出来る選手たちの動きは本当に素晴らしい。

もちろん日本代表の選手を応援している気持ちも十分にある。我々の日本柔道(私などはそのピラミッドの一番下の方に所属しているだけだが)の代表として活躍している選手達を応援するのはそれほど不自然なことではないと思う。

そういう了見でアジア大会を見ているからかも知れないが、ものすごく気になることが一つある。ニュースで度々報じられる「国別のメダル数」というものだ。あれは何のために報じているのだろうか。

中国はこれだけのメダルを獲得している、韓国は◯◯個、次いで日本は◯◯個という具合に。

「それがどうした?」というのが私の正直な気持ちで、選手同士、あるいはチーム同士で試合をした時にその勝ち負けによる優劣はあるだろうが、国別のメダル数を比べることに何の意味があるのだろうかと思って不思議でしょうがない。

仮に「ウチの国はこんなにメダルをたくさん獲っている!ウチの国はとても優秀だ!」ということで自尊心を満たすのだとすればそれは明らかに違うだろと思う。優秀なのはメダルを獲得するまで努力を重ねた選手であり、「同じ国に所属しているだけの何の努力も積み重ねていない人間」には何ら関係ない。

どこの国のどの選手達も血の滲むような努力を重ねて晴れの舞台に立っている。そしてその積み重ねた努力によって培った矜持のぶつかり合いこそがスポーツの醍醐味だ。

スポーツ選手たちに自国の優越性を投影することはとても下品なことなのではないかなと、スポーツニュースの「国別メダル数」を見て思った。

選手たちを国の為に戦わせるな。選手は選手のために戦わせろ、と私は思う。


今日の演奏動画。

Ivan Linsの作曲した『Septembro ~Brazilian Wedding Song~』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。

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