人の好きなものを、その当人の前でdisらない
たまにこのブログを読んでくださっている方ならば、私が頻繁にそれに言及するのでご存知かも知れないが、私は立ち食いそばが好きだ。めちゃくちゃ好きだ。
もちろん普通の蕎麦屋で食べる普通の蕎麦も好きだが、立ち食いそばのあのお手軽かつジャンクな感じがたまらなく好きなのだ。
そのことを人に話した時に、ごくごくまれに「よくあんなの食べられるね、無理だわー」という反応が返ってくることがある。
「ま、貧乏なんでね。これぐらいの贅沢がぼくにはちょうどいいんですよ」なんて言ってその場は乗り切るが、心の中では「テメー、何原雄山気取りだよ?テメーは食うな。世の中の食べ物が立ち食いそばだけになってしまったとしてもテメーだけは食うな」と毒づいている。
この場合でいくと「立ち食いそばみたいなジャンクなものが食べられるほど自分は馬鹿舌ではない。自分は味がよくわかっている」という謎のアピールが話の背後に隠れている。
もちろん実際に立ち食いそばの味が苦手な人もいて一向に構わないのだが、それを好きな人の前で口にする必要はないし、そういうことを口にする人間の無意識にはこういった謎の「自分すごいアピール」が隠れていると考えるのが自然だろう。
言わなくていいのだ。「マク〇ナルド?あんな添加物まみれで油まみれのものよく食べられるね」とか「ラーメン〇郎?無理無理!」とか。そういうことは言わなくていい。特にそれを好きな人の前で言うのはものすごく野暮なのだということを我々は肝に銘じておいた方がいい。
ちなみに伏字にした上記の二つは私はどっちもそこまで特別に好きではないが、好きな人の気持ちは非常によくわかるし、何なら年に数回ぐらいは食べたくなる。あれはあれですごくいいものだ。
こういう構図の話というのは意外とそこかしこにある。
実は私たちの音楽の世界にもある。
これは取り分けリスナー(自分では演奏をしない人たち。いわゆる聴き専の方々)に多い印象なのだが、「え?そんなの好きなの?じゃあジャズはあんまり好きじゃないんだね」とか「あー、そっち系ねー、ちょっと苦手だわー」とか。
そういうのを聞いた瞬間に私の頭の中では「UDS、UDS」である。
U うるさい
D 黙れ
S 素人
である。
何べんも言う。何べんでも言ってやる。
「人が好きなものをその本人の前でdisるな」である。
あなたがそれを好きでないのは自由だ。それは誰にも邪魔されないあなたの権利だ。しかし、それを当人の前でdisるのは全く違う次元の話なのだ。
こういうことを踏まえていれば政治や宗教の話をしてもそれほど争いにならない。
あなたの宗教やあなたの政治信条は私とは違うがあなたがそれを信じることを最大限に尊重するし、私が違う宗教や違う政治信条を持つこともまた尊重されなくてはならない。
こういう前提のもとならば話になるのだが、いかんせんみんなすぐにdisりだす。あれはいかんなあといつも思う。
なぜこんな話を書いていたかと言うと、今日たまたま練習していた曲が「自称ジャズマニア」みたいな素人からたまに馬鹿にされがちな作曲家の曲だったのだが、これが非常に美しくて綺麗な曲で私にはドンピシャでハマった。
いやー最高じゃんと思いながら練習していた。
これに対して「え?そんなのやるの?ちょっと無理だわー」なんて言われたら「UDS」だけでは済まない。「KFKK」である。
K 利いた
F 風な
K 口を
K きくな
である。
もう一度今日のおさらいだ。
あなたが何を好きで何を嫌いでも一向に構わないが、それを好きな当人の前でdisるのは死ぬほど野暮である。
気を付けて生きていこう。
ちなみに「今日の演奏動画」の人が上述の「自称ジャズマニア」から馬鹿にされがちな人ではない。これは一週間ぐらい前に録ったやつだし、Thad Jonesを馬鹿にする人はあまり聞かない。
今日の演奏動画。
Thad Jonesの作曲した『Three And One』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。
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コメント
福島さんの、こう言う『実に真っ当」なところが大好きでーす!
投稿: kayo | 2023年8月12日 (土) 11時23分
kayoさん
ありがとうございます。嬉しいです。
投稿: 福島剛 | 2023年8月14日 (月) 07時26分