坊主vs長髪
午前中からレッスンの為に出かけていた。
今日のレッスンは千駄ヶ谷だったのだけれど、終わってから池袋に立ち寄って散髪してきた。いつもの行きつけの1300円でカットとシャンプーまでしてくれるカリスマ美容室である。もちろん「スポーツ刈り6ミリでオナシャス!」のみの注文である。
ものの15分ほどで散髪を終えて、そこから再び電車に乗って小岩に戻るのだが、途中で秋葉原駅の中にある「新田毎」でタイムサービスの天ぷらそば350円をいただいた。
本日一発目の食事だった。ものすごく腹が減っていたので五臓六腑に染み渡った。
天ぷらそばを啜りながらスマホの野球速報アプリで高校野球(甲子園)の決勝戦の様子を眺めていた。
私は実はそんなに「甲子園」が好きではないのだが、今回は少しだけ興味を持って見ていた。
今回の決勝戦は宮城の仙台育英高校と神奈川の慶応高校との決勝戦だった。この両校の対決に少し興味を持っていた。
両校の背景が非常に対照的で、戦前から話題になっていたことをご存知の方も少なくないかもしれない。
前回王者の仙台育英高校は野球の名門として知られ、多数のプロ野球選手を輩出している。全国から集められた野球エリートたちが厳しい練習に耐え抜き、決勝まで勝ち上がってきた。
かたや慶応高校は野球のみに特化しない、様々な意味での「エリート校」である。高偏差値校であり、卒業後の進学先や就職先も多岐に渡る。
全員坊主頭の仙台育英高校、そして髪型は自由なのでほとんど坊主頭の生徒などいない慶応高校というように、見た目でも対照的だった。
私が高校野球が苦手なことの一つにこの「全員坊主頭」がある。坊主頭にしたからといって野球が上手くなるわけではない。それを部員に強制するような風潮が実に嫌いだ。
なので慶応高校を応援していたかというと、それがそこまで話は単純ではなかった。
私自身は中学生の頃も高校生の頃も坊主頭だった。理由は「柔道に気合いを入れるため」である。
繰り返しになるが、野球と同様に坊主頭にしたからといって柔道が強くなるわけではない。私は単に好き好んで坊主頭にしていたのだ。
これがもしも柔道部の決まりで全員坊主頭にしなければならないとなれば反発していたかもしれない。「そんなことで柔道が強くなるわけがねーだろ」と。けれど私は坊主頭だったのである。
試合の時には相手が非坊主頭であると「あんな髪の長いやつに負けるわけねーだろ」と思っていた。髪の長さは柔道の強さとは全然関係ないのだが。でもそう思っていたのだ。
だから仙台育英高校野球部の生徒たちが規則で坊主頭にされていることには非常に強い反感を持っているが、それと同時に彼らが慶応高校野球部の生徒を見て「あんな髪の長いやつらに負けてたまるか」という気持ちになりうるのは私には理解できる。
高校スポーツは今色んな意味で過渡期に来ていると思っている。
少子化もそうだし指導者の不足もそうだ。そして昔から連綿と続く理不尽な暴力や虐待、これを絶対に根絶していかなくてはならないと思う。
なので現代的な価値観を持った慶応高校が勝ち進むことが嬉しかったのだが、それでも前時代的な価値観で「よっしゃ気合い入れてやってやんよ!」という子供たちも私は憎めなかった。
坊主vs長髪の戦いは、現代的なスポーツの価値観と前時代的なスポーツの価値観の戦いでもあった。
畢竟髪型なんて本人の好きにすればいいと思っている。甲子園に金髪の生徒がいてもモヒカンの生徒がいてもアフロヘアーの生徒がいてもいい。髪型と野球の上手さには何の関係もない。今日、決勝戦で慶応高校が仙台育英高校に勝利したことでもそれは当たり前に実証されてしまった。
けれど坊主頭にすることで自分に気合いを入れて「やってやんよ」となる子のことも私はわかる。
何だか非常に複雑な思いで観た甲子園決勝戦だった。
今日の演奏動画。
Antonio Carlos Jobimの作曲した『Inútil Paisagem』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。
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