投げるぞコラ
今日は朝ドラ放送前に公園での打ち込みトレーニングを終わらせることが出来た。毎朝日課にしている全トレーニングが8時前に終わるのは実に気分が良い。
前回公園に行った時にはゴミは一つも落ちていないとても綺麗な状態だった。私は知っているのだけれど、この公園には定期的に清掃の方がやって来てくれて公園を綺麗にしていってくれる。なぜ知っているのかと言えば私の打ち込みトレーニングとバッティングする時があるからだ。
清掃のおじさんが公園を清掃している横で木に向かって黙々と打ち込みをする。もちろん私が打ち込みをしている木におじさんが近づいてきた時には「すみません」と会釈をしてその木の近くを離れる。清掃の邪魔をしてはいけない。
数日前に公園に行った時に綺麗になっている公園を見て「この猛暑の中でもあの清掃のおじさんは定期的に掃除をしてくれているのだな、感謝だな」と思った。
ところが今日は、公園内にタバコの吸い殻が何本か落ちていた。
打ち込みを終えたあとに「ふざけんなよボケが」と思いながら公園内に落ちているタバコの吸い殻を拾ってプロテインの空き容器に入れて持ち帰って家のゴミ箱に捨てた。
少々暗澹たる気持ちになったのだけれど、その時にこんなことを思った。
ゴミ一つない綺麗な状態の公園ならば、人はなかなかゴミを捨てにくい。だがどこかのアホがゴミを捨ててしまった後の公園は、その後から来る別のアホどもも「あ、ここはポイ捨てしても良い公園なんだ」と自分勝手な論理を脳内で展開してしまうのだろうか、と。
自分一人がアホなことをするのは恥ずかしいけれど、他の誰かがやっているならば別に自分もやってもいいやというアホにアホを重ねまくった論理である。
もちろん私も若い頃にタバコの吸い殻のポイ捨てをしたことがある。私も同じ穴の狢と言えばそうなのだが、そういう過去の失敗を今では非常に悔いている。もう絶対にタバコのポイ捨てはしない。その為に常に携帯灰皿を持ち歩いているし、家に忘れた時には必ずコンビニ等で買う。おかげで我が家には数十個の携帯灰皿がある。
仮に家に携帯灰皿を忘れたからと言ってタバコをポイ捨てして良い理由にはならない。携帯灰皿の購入費はそれを家に忘れた自分への罰金なのだ。
過ちを犯したことのない人間なんていない。しかし人間はそれを悔い改めることが出来る。
私は今後も打ち込みでお世話になっているこの公園にゴミが捨てられていた時には必ずそれを拾って帰る。
そしてもしも私の目の前でゴミをポイ捨てする輩がいたら、多分ナチュラルに投げてしまう、大外刈あたりで。
それは普通に「傷害」という名前の犯罪なので、私もおロープを頂戴したくはないので頼むから私の前でゴミをポイ捨てしないでほしい。
というか、私が見ていないところでもしないでほしい。
ゴミの落ちていない綺麗な公園を維持することを清掃のおじさんだけに頼ってはならない。それは私たちみんなの仕事だ。
じゃないと投げるぞコラ。
今日の演奏動画。
Fred Herschの作曲した『Heartsong』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。
| 固定リンク
コメント