村上春樹氏の二作品(『街とその不確かな壁』と『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』)を読んで『新世紀エヴァンゲリオン』を思い出した
「本を読む習慣を少しずつ取り戻そう」と思って、一日に数ページだけでも本を読むようにしている。
先々月に村上春樹氏の新作『街とその不確かな壁』を読了したのだが、その時に
・この新作は過去の作品『街と、その不確かな壁』(←タイトルに句読点があるのが最新作と違う)のリライトである
・また村上氏は過去にも『街と、その不確かな壁』のリライトとして『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』というヒット作品を執筆している
という情報を得ていた。
ということで、『街とその不確かな壁』を読了後は『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を読み始めていたのだが、数日前に読了した。
『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は高校生の頃と大学生の頃にそれぞれ一回ずつ読んだことがあるので何となくの雰囲気は覚えていたのだが、詳細はすごくあやふやになっていた。
率直に面白かった。最新作も、そして旧作の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も。
相変わらず登場人物がすぐに「やれやれ」と言う(言いまくる)のが気にはなったが、どちらもページをめくるのがとても楽しかった。
骨格を成すのは「意識(あるいは無意識)の実存的世界」と「現実的で肉体的な本質的世界」という二つのパラレルワールドが交錯しながら織り成す物語である。
どちらの世界で生きるのが「私」でどちらの世界で生きるのが「私の影」なのかという問いを常に持ちながら我々読者は読み進めていくことになる。
村上氏本人が「一人の作家が人生の中で描くことの出来るモチーフはそんなにたくさんはない」というようなことを言っているように、この「意識(あるいは無意識)の世界と現実的な世界」というモチーフは彼の様々な作品の中で登場する。多分彼が一生を賭けて書きたい世界なんだろうな、と思う。
で、この二作品を読んで、アニメの『エヴァンゲリオン』を思い出したという人は少なからずいるのではないだろうか。私は思い出した。
この『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』と『街とその不確かな壁』との関係性が、劇場版のエヴァンゲリオン『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に(以下「旧劇場版」)』と『シン・エヴァンゲリオン:||(以下「新劇場版」)』との関係性に非常に似ている、いくつもの共通点がある、と感じた。
特に村上氏が描く「壁の中の世界とその外の世界」というのを読んだ時に、この「壁」が象徴するものはエヴァの中で描かれる「ATフィールド」に似ているなあと思ったのだ。
また、旧劇場版において人類補完計画が発動して人類がLCLの海に還り、肉体を離れて意識のみの世界になってしまった時に主人公の碇シンジがそれを拒絶して現実の世界に帰っていく(しかもそのあとにアスカの首を絞めてアスカに「気持ち悪い」と言われる)というくだりと、新劇場版においては大人へと成長したシンジやマリや綾波やアスカたちが現実の世界を歩き始めるというラスト。この二つのラストの関係性も村上氏の二作品のラストの関係性と非常に共通点を感じてしまった。
どっちが現実の世界でどっちがフィクションの世界なのか。それはおそらくどちらも現実でどちらもフィクションなのかもしれないなと私は思った。
がんばって考察を書いてみようと思ったけど、なんだかめちゃくちゃ薄い内容になってしまった。
まあいいや。
村上氏の二作品、面白いのでオススメです。
今は新しい課題図書に突入しています。夏休みっぽいやつです。
「しかし君、恋は罪悪ですよ」でおなじみのあの小節です。面白いです。
今日の演奏動画。
Armand J. Pironの作曲した『(I Wish I Could Shimmy Like My) Sister Kate』をソロピアノで弾いてみました。リードシート(譜面)も添えてあります。
| 固定リンク
コメント