ネットの悪評の信憑性
昨日も書いたけど、昨日と今日は二日連続の無職デーだった。
なので昨日の内にしっかり練習を終わらせておいて、今日は遊びに行っていた。
一人で魚釣りに。
今年初めての魚釣りだった。
朝の4時に起きてそこから電車に乗って逗子駅まで。
そこでバスを待って
葉山まで行ってきた。
久しぶりの魚釣りなのでどういう形態の何釣りに行こうかなと悩んだのだけれど、結局手漕ぎボートによるキス釣りを選択した。
お世話になった貸しボート屋は「葉山釣具センター」というお店。
ずっと気になっていたのだけれど初めて行った。
ちょっと気がかりなことが一つあって、事前にこの「葉山釣具センター」をネット検索すると「最悪だった」とか「二度と行かない」みたいな書き込みがあったことだ。
怖い所だったらイヤだな。怒られないように頑張ろう。
そんなことをうっすら考えていたのだが。
結論から言うと、めちゃくちゃ良い店だった。フレンドリーだし親切だし。私には悪いところなど何一つ見つからなかったどころか「めちゃくちゃ良かったし絶対また行こう。リピート確定」と思うぐらいの超優良店だった。
悪い口コミを書いている人間たちの神経を本気で疑うレベルで良い店だった。心配して完全に損した。
で、なぜそんなことが起こるのかと考えてみたのだが。
釣り界隈の人たち(釣り船の船長さんとか)は言葉が少々荒っぽいこともある。来店したからと言って「お客様いらっしゃいませ」とは言わずに「おはようさん!よろしくね!」ぐらいの感じはザラにある。
もちろんだからといってその人たちの人間性までもが荒っぽいかというとそんなことはほとんどない(ごく稀にはある)。
それは一種のその業界の言葉遣い(あるいは方言)みたいなもので、我々音楽業界の人間が夜中の現場に入る時にも「おはようございます」と言うようなものだ。それはそういうものなのだ。
そこを真に受けて「サービス業のくせに礼儀がなっとらん!」と怒るような人はお門違いも良いところだ。それはそういうものなのだ。
もう一つ。こっちの方が深刻な問題かなとも思うのだが、ひょっとして客側に問題があったからなのでは?というところだ。
これは釣り船屋や貸しボート屋などに限らず、様々なお店にはそのお店を円滑で平和に営業するためのローカルルールのようなものが多数存在する。それは様々なお客さんが心地良く過ごすためのルールなのだ。
初めて行くところならばその店のルールがわからない時もあるだろう。わからなければ訊けば良いだけだ。そしてそのルールに従うことで初めて我々は「客」となれる。
もしもそのルールを守れない人がいたらどうだろう。
例えば我々の演奏会場。そこで泥酔して音楽も聞かずに大声を出し続ける客がいたとしたら。
当然店側はそういう客を排除する。それはそのお店に来ることを楽しみにしていた他のお客さんの平和の為だ。
そうやって排除された“客ですらない無法者”が後日ネットなどに「先日行った店は最悪だった。もう二度と行かない」などと書き込んでいたとしたらどうだろう。
その情報だけを見た人間は「あ、そういう怖い店なんだ」と思うかも知れない。だって事情がわからないんだもの。ある意味では“言ったもの勝ち”だ。
なんなんだそれは。
私が昨日見た「葉山釣具センター」に関するネガティブな書き込みは、あるいはそういった類のものなのではないかと思っている。だってスタッフの方々はみんなものすごく親切で社交的だったもの。それに文句言うってどうなんだ。
釣りの結果の方は、大きくはないものの美味そうなシロギスを中心に50匹ほど釣れた。
帰り際にスタッフの方に「釣果の写真を撮ってインスタに上げても良いですか?」と聞かれたので「良いですよ」と快く応えた。
ということで「葉山釣具センター」の今日のインスタグラムには私のアホづらがアップされている。
https://www.instagram.com/p/CsIcsv1PCEZ/?igshid=MzRlODBiNWFlZA==
とても良い休日だった。
そしてとても良い店だった。絶対また行く。
今日の演奏動画。
Cedar Waltonの作曲した『Martha's Prize』をソロピアノで弾いてみました。
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