「すぐやる病」の「ちゃんと」してない人
今年の1月に足を怪我して松葉杖をつきながら生活している時に、バスや電車の中で度々座席を譲ってもらうことがあった。
人の優しさに感謝しつつ自分も逆の立場になることがあったら席を譲るんだと思っていたら今日その瞬間がやってきた。電車で私が座っている時に視線の先に松葉杖をついたオッサンがいたので、そのオッサンのところに行って「良かったら座ってください」と言ってみたのだが、「次で降りるから大丈夫ですよー」と笑顔で断られてしまった。
むー。
カッコ悪いなあ、おれ。
それはそれとして。
今日思ったこと。
今日は昼に某所でリハーサルというか練習をしていたのだけれど、その時に会話の中で「よくわかってないことをやるのはどうなのか」という話題になった。
つまり「うわべだけの浅い知識で見切り発車であれこれやってしまうのはどうなのか」という話だ。
きちんとした勉強と修行をして、しかるべき段階になってから初めて「やる」という段階に移るべきではないかという話だったのだが、私はここに関して言うと性格がものすごく雑でガサツなので割とすぐに「やって」しまう。
そんなことを思い出した。
二十歳ぐらいの頃、ピアノを弾き始めて数ヶ月経った時のことである。キーがAのスリーコードのブルースを左手でコードを押さえられるようになって右手でペンタトニックでデタラメなアドリブが出来るようになった時点で「よし、もういけるな」と思ってジャズのジャムセッションに行ってしまったことがある。スタンダードなんて一曲も弾けなかったし、ツーファイブのいわゆる「ジャズブルース」も弾けなかった。マジでスリーコードのキーAのブルースのみだ。ナメてんのか。
もちろん結果は悲惨そのもので、今ほど初心者に優しくない風潮があった当時のジャムセッションにおいては「ん????なんでここに来ようと思った????どうした????だいじょぶそ????」という至極当然の反応を頂いた。しょうがないじゃん、いけると思っちゃったんだもん。いけなかっただけで。
初めてライブをした時なんかもそうだ。
自分では「もういける」と思っていたけれど、今から考えたら何にもいけてない。でもその時には自分では「いける」と思っていた。ちなみに当時は楽譜が読めない。
そういえば「プロです」と名乗り始めた時にもまだ譜面が読めなかった。なんでそれで「いける」と思ったんだろう。
本当に雑でガサツな性格だなあと思うけれど、よく考えたらこうやってずっとやってきてしまったんだった。
まず「やる」→失敗する→何とかする→また「やる」→懲りずに失敗する→何とかする→再び「やる」→案の定失敗する→以下無限ループ
という繰り返しをずっとしている。
そういうやり方だから、これまでに何度も「何もわかってねーヤツがエラそうにあれこれやってんなー」と人から思われているのだと思う。
悪いけれど「申し訳ない」とは思わない。
だってやりたかったんだもの。
自分が「ちゃんと」するまで待っていられなかったんだもの。
今も音楽家としてちゃんとしているという自信はない。いかんせんこれまでずっとそういう風に生きてきているから、「私がちゃんとしているはずなどない」という確信だけはある。
じゃあそんなヤツが金取って音楽やって良いのか!?などという声が聞こえた時には「良いに決まってんだろ、こちとらもっとダメな時からずっと金取ってやってきてんだよ」と言いながら「やんぞコラ」とずっと呟きたい。
なんで私はこんなに人として終わっているのだろうか。
多分一生ちゃんとしない。
でもね、「すぐやる」けど、「ずっとやる」んだよ。
性格が鬼のようにしつこいから。
生きててすまん。
今日の演奏動画。
Benny Golsonの作曲した『Along Came Betty』をソロピアノで弾いてみました。
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