「頻繁に京都行かれてるんですか。良いですね。綺麗なところもたくさん見れるし美味しいものも色々食べられるでしょう」
と言われることがたまにあるが、これに対する答えは全体的にはノーだ。
演奏の仕事があるから日中は練習したり寝たりでコンディションを整えなきゃいけないので観光らしい観光は出来ないし、いつも限界ギリギリいっぱいの貧乏旅行だから食事に多額の金をかけることも不可能だ。
ただし、その中でも自分なりに色々と楽しみを見つけているから楽しいか楽しくないかで言えば十分に楽しいのだけれど、世間一般的な「京都旅行」をイメージされてしまうとそれはさすがに「全然違う(笑)」と言わざるを得ない。
京都での安い食事の楽しみの一つが「都そば」である。“関西の富士そば”と言われることもある立ち食いそばのチェーン店であるが、私はこの都そばにものすごく頻繁に行く。京都で10回の食事の機会があったとしたら7回は都そばだった、なんてことも珍しくない。それぐらいよく行く。
安くて美味しいというのはもちろん理由の一つなのだが、美味し過ぎないのも良い。これは決して都そばをdisってるわけではなくて、美味し過ぎると飽きてしまうのだ。その点都そばは適度に美味しいので毎日食べられる。こういうことも大事だ。
その都そばに今回は一回も行っていなかった。泊まっている所の近辺に無かったからだ。
都そばが無いと食事をする時に「今日メシどうすっかなー、なんか食べたいけどあんまりお金使いたくないしなー、やっぱ都そば無いと不便だなー」なんてことが今回の滞在では度々あって、結局“食べずに我慢”という選択をしたことが数度あった。
「都そば、行きたいな」
そう思っていた。
いつでも会えると思って無意識で軽んじていた人がいたとして、その人に簡単には会えなくなった時にその人が自分の中で占めていた重要性を初めて知る、みたいな事だなと思った。
大切なものはいつでも失ってからその大切さに気付く。私はいつもそうやって人生を損ない傷つけてきたような気がする。
やっと都そばに行ける機会を得たのは今回の滞在四日目の4月2日、昨日のことだった。
演奏現場の「レミューズカフェ」は京阪の伏見桃山駅から徒歩で数分行ったところにある。その途中に都そばがあることを私は覚えていた。過去に何度も行ったことがあった。
現場入りの時間よりも30分ほど早く伏見桃山に着くことにして都そばでそばを食べてから現場に行こう。昼からそう考えていた。なのでそこまでは食事は我慢と思って、昨日は朝から夕方までは何も食べていなかった。
なので伏見桃山駅に降り立った時の私はちょっとルンルンしていた。「みっやこそっば♪みっやこそっば♪」と鼻歌を歌い出しそうな勢いだった。
駅を降りてすぐに都そばはあって、私は入店してすぐに天ぷらそば400円を注文した。
これこれ、これなんだよと思いながら写真を撮った。
あっさりしたダシの中で天ぷらがぐずぐずになっていくのでそれを崩しながら麺に絡めつつ食べる。青ネギの風味も良い。あーたまらん、おれの求めていたのはこれだ。そう思いながら食べた。
食べ終わったら汗だくになっていたのが少々不快だったが、それ以上にじんわりとした満足感が心を包んだ。「I love 都そば」、心の中でそう呟いて店を出た。
ライブは楽しかった。昔からよく知った顔や初めてお会いする方に囲まれて、平和な中でも複数の音楽的なチャレンジが出来た。頭も身体も心地よく疲れた。今出来るベストは尽くせたと思う。
終演後、少し呑んでから電車で宿まで帰った。
明けて4月3日。今日。
比較的早く寝たはずなのだが起きたら既に7時30分だった。本当はもう少し早い時間に出たかったのだがまあ仕方ないと思って出発の支度をした。
今日から新しい朝ドラ【らんまん】が始まっており、それを視聴。ここから半年は毎日見続けなくてはならないので第一回目をきちんと見れたのは良かった。
宿をチェックアウト。安いカプセルホテルだったけれどオーナーの方も親切だったし4泊したからちょっと愛着も湧いていた。またいずれ。
京都駅まではバスで移動。
さて、ここから10時間の鉄道旅だ。
まずは米原まで。
めちゃくちゃ速い琵琶湖線新快速は時間的に噛み合わず、各駅で向かうことになった。
途中車両点検などで何度か停車していたので到着が少々遅れた。それは別にさしたる問題ではなかった。
私の頭の中の何割かを「壺屋のきしめん」が占めていた。
壺屋とは愛知県の豊橋駅の中にある駅そば屋で、私はここのきしめんがものすごく好きなのだ。
今回の往路では静岡駅で「チーズそば」に舌鼓を打っていた都合で壺屋には寄れなかったので、復路では必ず壺屋に行こうと決めていた。
出発駅の京都駅で駅そばを食べることもちらっと脳裏をよぎったが、やはりここは豊橋まで我慢、と思って食べなかった。
米原で乗り換えて大垣まで。この区間は短い。
米原−醒ヶ井−近江長岡−柏原−関ヶ原−垂井−大垣
約30分ちょっとで着いた。
大垣から先は長い。ここから一気に豊橋を目指す。約一時間半の長い行程なのだが、ここでトラブルが発生した。大垣〜穂積間で線路内のトラブルがあり電車が一時的に運転を取り止めた。
別に焦っていないので「良いよ良いよー、ゆっくりやってー」というぐらいのものなのだが、腹が減っていて「きしめん食べたい!早く!壺屋の!」となっているのでそこは若干冷静さを欠いた。
結局20分少々の遅れで電車が走り出した。空腹を紛らわす為に寝ることにした。
起きたらもう電車は名古屋を過ぎていて、豊橋まではあと数駅だった。
この時点で13時30分ぐらい。朝から何も食べていない私は空腹の限界だった。
電車が豊橋駅に着いた。きしめんを食べられるとあって、私の足取りは軽かった。
ホームの階段を上がり、改札内の「壺屋」を目指す。すぐに視界に店舗の姿が飛び込んできた。
「KI・SHI・MEN!KI・SHI・MEN!美味いぞ美味いぞKI・SHI・MEN!」と電気グルーヴの『富士山』のメロディに乗せて口ずさみながら店内にイン、食券機の前に立った。
ウキウキした私の手がピタリと止まった。
私の目に入ってきたのは「麺大盛り180円」の文字だった。
今の空腹具合を考えたら大盛りもいけそうな気がする。しかし大盛りで180円はちょっと高くないか?けれどここのきしめんは既に何回も食べていて大のお気に入りだから味で外すという心配はないし…
色々と考えた挙げ句、私は「麺大盛り180円」のボタンをプッシュしていた。
やってきたのがこれだ。
きしめん400円+麺大盛り180円。
満面の笑顔で箸をつける。相変わらずの美味さ。ちょっと濃い目で醤油の味のしっかりしたつゆに、刻みの油揚げも妙に甘くないのが良い。これまでに食べた数々の駅そばの中でも三本の指に入る。本当に私はここのきしめんが好きなのだ。
だがここからしばらくして私は麺大盛り180円の影響を知ることになった。
結論から言おう。
大盛り過ぎた。
食べても食べても減らない。分け入っても分け入っても青い山だった。
13時42分豊橋発の浜松行きの電車に乗らないとその後の乗り換え接続に大幅なロスが生じるために、のんびりときしめんを食べている場合ではなかった。
よく考えてみれば良かったのだ。
麺大盛りが180円というのはちょっと高過ぎるのだ。普通は100円、安ければ50円ぐらいで大盛りになる。
ということは、180円もする麺大盛りはかなりヘヴィな大盛りであると推測するのが妥当だ。
多分、麺が2玉になっていたのだと思う。
かなり多かった。
それでもやはり壺屋のきしめんは激ウマなので食べれてしまう。
電車の乗り換えに間に合うように急いで食べ終えた。滝汗をかいていた。
ホームへ向かうと浜松行きの電車が待っていたので、汗を拭いながら電車に乗り込んだ。
豊橋を過ぎれば、そこから先は静岡県だ。
長い長い静岡県だが、「長い」ということを知っていれば大した話ではない。軽い気持ちでいると痛い目を見るだけだ。登る山の高さを予め測っておくことはとても重要なのだ。
浜松に着いて乗り換え。ここからまずは静岡まで。
静岡に着いたら乗り換え時間が20分少々あった。
往路でチーズそばを食べた「富士見そば」がホーム上にあったが、もう閉店していた。閉店していなかったとしても、まだきしめん大盛りの満腹感が残っていたのでチーズそばアゲインは無理があったので閉まってくれていて良かった。
20分以上をホームでぼーっと待つのもなんだかなと思って一旦外に出てみた。途中下車が自由なのも青春18きっぷの魅力だ。
浜松や静岡といった新幹線も停まるような主要駅は大体こんな感じだ。結構規模も大きいし、駅周辺も栄えている。
ちょうど駅前に喫煙所があったので一服してホームに戻った。ここから乗り換えて熱海まで。
熱海に着いたのが17時30分ぐらいで、もうほんのりと肌寒くなっていた。
海の方を見ると夕日が西の方に沈んでゆくのが見えた。
夕日を見ながらビールが飲みたいなと思った。
鉄道旅行中には原則として飲酒をしないことにしているのだが、ここからは最後の東海道線(上野東京ライン)だしまあ良いかと思って駅のKIOSKでビールを一本買った。
すぐにぷしゅりと開けたいところだったが、あくまでも海を見るために買ったビールなので湯河原〜真鶴あたりではまだぷしゅらないでおいた。本命は根府川〜早川あたりだ。この辺の海の景色は実に素敵だ。
ということで真鶴を過ぎたところでぷしゅりといった。
海を眺めながらビールを飲んでいると、段々と感傷的な気持ちになった。
数日前にばったり昔の恋人に会ったことを思い出していた。その時は少しだけ話してすぐに別れた。
私は彼女の連絡先は知らないし、彼女も私の連絡先は知らない。今後会うこともないかも知れない。
ただ、私は過去に彼女を酷く傷付けた。
自分の未熟さや想像力の欠如を今思い返しても情けなくてどうしようもない。だから彼女が現在のパートナーと幸せな日常を暮らしているという事を伝えてくれたのは少しだけ私の心を救った。
昔はごめんね、とは言わなかった。言えなかった。
そういう言葉で自分がやらかした過ちを誤魔化すことは出来なかった。
海を眺めながら、私が過去に人から傷付けられたことと、そして人を傷付けたことを思い返していた。
過去は無かったことには出来ない。愚かな過去の集積が現在の私であり、ずっとそういうものから逃げられずにこれからも生きていくのだなと思った。
別れ際に彼女は私に手を振って背を向けて、そして振り返らなかった。そういう優しさに感謝したし、またそういう優しさに若い頃には気付けなかったんだなと思った。
電車が茅ヶ崎に到着するぐらいで、ゆっくり飲んでいたビールが飲み終わったので空き缶をカバンにしまった。
あと一時間と少しで今回の旅は終わる。
また明日から日常が始まる。
少しずつ、本当に少しずつで良いから、優しい人間になりたいなと思った。
今日の演奏動画。
Rahsaan Roland Kirkの作曲した『Bright Moments』をソロピアノで弾いてみました。
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