失くしたら落ち込むもの
携帯電話を失くしたことがある人はどれぐらいいるだろうか。
私はこれまでに通算で5回ぐらいある。
最近はそんなに失くさないのだけれど、若いころは酒に酔って道端で寝るなどの悪癖があったのでその際によく失くした。
呑んでいた店で失くしたのか、移動中に落としたのか、はたまた寝てしまった時に盗まれたのか。
真相は全て闇の中だが、「とにかく携帯電話というものはなくなるものなのだ」という風に私は自分で自分を納得させるようになった。本当になくなるんだもん。
その時に面白いことに気付いた。
携帯電話を失くしてしまったから仕方なく新しい携帯電話を買う。するとそれまでに入っていた電話帳の連絡先が一旦全て綺麗に消えるのだ。
ということは、実家の家の電話番号などのように暗記している番号以外にはこちらから連絡を取ることが出来なくなる。
「連絡はこちらから取る」でおなじみのゴルゴ13ことデューク東郷の逆の状態になる。つまり「ゴルゴ-13(ごるごまいなすサーティーン)」である。連絡はそちらから取れ。
これがなかなかどうにでもなるもので、普段連絡をくれる人は用事があれば向こうから連絡をくれるので、電話がかかってきたりメールが来たりした時にその番号なりアドレスなりを登録すれば良かった。
電話帳に登録されていない番号から電話がかかってきてそれを取って、向こうは私だと思ってかけているから「あーもしもしー」なのだが私は誰だかわからないから「えっと誰でしたっけ」と言うとよく知った人で、「いやーまた携帯失くしちゃってー」と言うと相手は「またかよ」となる。こういうことを何回も繰り返している。
そういうことの繰り返しの中で「連絡を取らなければならない相手の連絡先は自ずと復活するし復活しない連絡先はそもそも必要のないものだったのかもしれない」ということに気付く。これは一つ、人間関係における重要なポイントなのかもしれないと思うようになった。
ちょっと話題が変わって。
以前に人と「失くしてしまって落ち込むものって何だろう」という話になった時に、やはり3トップは携帯と財布と鍵であった。
確かにこの3つは失くしたら相当マズい。その後の処理がかなり面倒くさいしそれに金額的にも被害が出る。この3つはマズい。
だが私は携帯電話に関しては上記のように「失くしたらかなりマズいけれども、究極的にはどうにかなる」と思っているので、実は失くしたら落ち込むもののトップではない。10段階で9だ。財布も鍵も10段階で9だ。
それ以上に失くしたら落ち込むものが私には一つあって、それは普段から持ち歩いているUSBのフラッシュメモリだ(バックアップをとろう)。これが10段階の10だ。失くしたら落ち込むどころではない(バックアップをとろう)。
そのフラッシュメモリの中にはこれまでの録音音源のマスターや、日々書き溜めた譜面のデータが全て入っている。これを失くすということは私はこれまでの私の苦労した時間を捨てることに等しくなる(バックアップをとろう)。私は携帯よりも財布よりも鍵よりもUSBのフラッシュメモリを失くしたくない(バックアップをとろう、あと携帯も財布も鍵も失くさないようにがんばろう)。
バックアップをこまめにとっておかなくてはなと思いながらもズボラでなかなかそうもいかない(こまめにバックアップをとろう)。
失くしたらもうどうにもならないようなものはそんなにたくさんはない。けれどもしも失くしてしまった時の為にバックアップはこまめにとろう。
これが生き抜くための智慧というものである。
今日の演奏動画。
George Cory Jr.とDouglass Crossの作曲した『I Left My Heart In San Francisco』をベースの野々口毅さんとデュオで弾いてみました。
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