立ち食いそば貴族にはならない
昼から池袋でレッスンだったが、予定よりも一時間以上早めに家を出た。
日暮里で京成線からJRに乗り換える時に途中下車して日暮里の立ち食いそば屋で朝昼兼用の食事をしたかったからだ。
私は全ての立ち食いそば屋を愛しているが、その中でも特にお気に入りの立ち食いそば屋が日暮里にはある。それも二軒もある。
一軒は「六文そば」という店。京成線の日暮里駅の南改札から出ると二分ほどで着く。今日はひとまずそこへ向かってみたが、運悪く定休日だった。
「大丈夫、もう一軒あるんだよ」と呟いてもう一軒のお気に入りである「一由そば」に向かった。「六文そば」から歩いて3~4分ほどのところに「一由そば」はある。
たぬきそば320円を注文。
これが最高なのだ。
たぬきそばと言えば関東では天かすの乗ったそばのことを指すのだが「一由そば」のたぬきそばは厳密な意味ではたぬきそばではないような気がする。
なぜかと言えば、天かすが良い意味で天かすでないのだ。「一由そば」の天かすは天ぷらの切れ端の集合体であり、天かすなのに具が入りまくっている。イカのゲソだったり野菜だったり紅しょうがだったり。
一口一口食べ進めている最中に「おっとゲソ出現!」とか「思わぬところから紅しょうがの襲来が!」などと心の中で呟かずにはいられない。
もはやたぬきそばではなく天ぷら切れ端そばなのである。
こんなにリッチなたぬきそばがあるだろうか。
非常に満足しながら完食したが、それと同時に一抹の不安を覚えるのである。
今日は行けなかった「六文そば」と、この「一由そば」。この二軒はどちらも立ち食いそば屋としてレベルが高杉晋作なのである。美味杉晋作なのである。安いし。
これに慣れてしまうと他の立ち食いそば屋に行った時に「なんだよここはそこそこ高いくせにそんなに美味しくないなあ」などと不満を覚えてしまうことになりかねない。とある満足を得てしまったがゆえにこれまで満足していたことに不満を覚えるという、このことに強い不安を抱いている。
全ての立ち食いそば屋は素晴らしい。どこと比べてここは優れているあそこは劣っているなどと言うこと自体が愚の骨頂なのである。
確かに日暮里の「一由そば」と「六文そば」や秋葉原の「新田毎」、浅草橋の「ひさご」、京成高砂の「新角」、池袋の「君塚」、それから豊橋駅構内にある「壺屋」など私のお気に入りの立ち食いそば屋は枚挙に暇がない。
しかしそれらと比べずとも私はチェーン店の「富士そば」も「小諸そば」も好きだし、もしも「ゆで太郎」がこの世から失くなったら発狂する。
素晴らしい立ち食いそばを食べた時には必ず「ここはここ!よそはよそ!」と自分に強く言い聞かせなくてはならない。
しかし久しぶりの「一由そば」は美味しかったなあ。
今日はレッスン前に床屋も行けたので満足。
今から一回家に帰って柔道の稽古行ってきます。
今日の演奏動画。
Jimmy Smithの作曲した『J.O.S.』をソロピアノで弾いてみました。
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