金の話
いい年をして実に恥ずかしいのだが「お金の話」が苦手だ。
ある時に人から「お前はどこかで金の話をするのは汚いと思っているところがあるんじゃないか」と指摘されてハッとしたことがある。
ひょっとしたらそうかもしれない、と思った。
もちろんその後に「プライドを持って仕事をする上で金の話は必須だ。これからもプライドを持って音楽家として生きていく上でそういう姿勢は改めろ」とアドバイスを頂いた。
これに関しては本当にその通りだと思っている。なのでそれ以来は頑張って苦手な金の話もするようにしている。
原則としてはお金をもらえなければピアノは弾かない。レッスンもしない。譜面も書かない。そりゃそうだよ、これが仕事なんだもん。そうやってアドバイスをくださった方にはすごく感謝している。
ただし、私がお金の話が苦手なのにはもっと根深い問題があるんじゃないかと最近は思っている。
以前指摘を受けた時には「うん、確かに金の話をするのは下品と思っているフシはどこかにあるかも」と思ったのだが、もっとそれ以前の問題として「金は自分には縁のないもの」という思考がほとんど無意識レベルでしみ込んでいるのではないかと今では思っているのだ。
多分それは中高生の頃にまでさかのぼる。
その当時の周囲の同級生が将来のビジョンを語っている中で、例えば「幸せな家庭を築きたい」とか「一生懸命働いて親孝行がしたい」とかそういう至極真っ当な意見の中で、「ダメだ、おれはちゃんと働いている未来が1ミリも見えない」と思っていた。
勉強は好きだったから受験やテストをクリアするようなビジョンはかすかに実感を伴って見えてはいたが、その後のこと、「社会に出て働いて金を稼ぐ」という絵が全く見えていなかった。人として大きく欠落していることを、それぐらいの年頃にハッキリと自覚した。
多分おれは高確率でホームレスになる。
本当にそう思っていた。
まともに生きていける気が全然しなかった。
だから「金」というもの自体が私の人生にはほとんど関係のないものなのだという思考が染み付いてしまっていて、それが原因で未だに金の話が苦手なのではないだろうかと思っている。
要するにリアリティがないのだ。金というものに。
上品とか下品とかそういう以前の問題だ。自分との関係性が見出せていないということだ。
さすがにそれでは困るので少しずつ金に対するリアリティを考えるようにはしているが、今でも面倒くさい金の話になると「ぼくわかんない」となって逃げ出そうとしてしまう悪癖がある。
金に対してリアリティを持つ。
これは今後の課題である。
43歳なのに…
終わってる…
今日の演奏動画。
Chick Coreaの作曲した『What Game Shall We Play Today?』をソロピアノで弾いてみました。
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