2023年3月30日~旅日記その2
京都の宿が異常なまでに高騰していることは何週間か前の記事に書いたが、京都駅から地上に降り立った時にその理由がわかった。
バスに乗って宿に行って一回チェックインだけ済ませて大きな荷物は宿に置いておこうかなと考えてバスを探していた私の目に飛び込んできたのは、衝撃的な光景だった。
私の乗りたいバス停の前に長蛇の列が出来ていた。50m以上、100人以上の列だ。
ちょっとこれは異常な光景だなと思った。こんなにバスに行列が出来ているのを初めて見た。
そしてその時に直感した。今、京都にはとんでもない数の観光客がいる、と。
そりゃあこれだけいれば宿泊施設も不足するし、また宿泊施設も平気で値上げをするよな。だっていくら高くても泊まるしかないんだもの。
これはエライことになったなあと思っていた。
今回の私の泊まる宿は高野というところだ。
京都大学のある百万遍からさらに北に行ったところ。私の母校である京都府立大学からは真っ直ぐ東に行ったところだ。
毎日の各演奏現場へのアクセスは悪いのだが、安い宿がここしかなかった為にやむを得ずここにした。
バスにうまいこと乗れれば一本で宿の近くまで行けたのだが、長蛇の列によりバスに乗れなかったのでそれを諦めて電車で近くまで行くことにした。
京都駅から20分ほど歩いて川端七条まで。そこから京阪に乗って出町柳まで行ってそこから更に30分ほど歩くコース。遠回りだけれど仕方ない。
歩きながら色んな記憶が蘇ってきた。
この地区の近辺は、学生時代に非常に馴染みのある場所だった。
私自身がこの地区で家を借りて暮らしていたことはないのだけれど、この地区に住んでいる友人の家に半年近く居候していたことがあったので、実質「住んでいた」に近い。他の友人もこの近辺に住んでいたので、ものすごく見知った土地なのだ。
その頃が今から約20年前。
20年経った今でも街並みはあまり変わっていなくて、本当にリアルに過去の私の記憶と直結する。
これが参った。
若い頃の記憶なんていうのは良い記憶ばかりではない。恥ずかしい記憶や痛々しい記憶、そういうのがてんこ盛りにある。
昔馴染みの場所を歩いているとそういう「黒歴史」の数々が封印していた記憶の箱から飛び出しそうになるので、「あー!ヤバいー!やめてー!」と叫んでその記憶の箱に蓋を閉めた。
やめろマジで。
恥の多い生涯を送ってきましたよはいはいはい。
宿は簡易なカプセルホテルなのだけれどそこにチェックインして大きめの荷物を宿に置いて、少し休憩してから演奏の仕事へ。
三条「セサモ」でのジャムセッション。
素晴らしい参加者の方々に一緒に演奏してもらって、楽しいし色んな学びがあるしで随分上機嫌になる。
楽しみながらも一生懸命演奏して終了。
ここまでは良かった。
その後に連れて行ってもらったお店でイヤなヤツにばったり遭遇してしまってめちゃくちゃ気分が悪くなったので「すみません終電あるんで帰ります」と言って早々に失礼する。京都は狭いからこういうこともあるなあと思いながら、良い気分に水を差されたことにぶんむくれつつ宿で就寝。
起きて3月31日。
特に用事もなかったので9時過ぎまでゆっくり寝た。いつもならスタジオを予約して練習したりするのだけれど今回は予約出来なかったので全体的にヒマになった。
そういえば朝ドラ【舞いあがれ】の最終回だったなと思い出して、朝8時の放送を見逃したから昼の12:45の再放送に間に合うように動き始めた。
日課のトレーニングをカプセルホテルのベッドの上で一時間かけて終わらせてからプロテインを飲んで風呂。旅先といえども毎日のことをサボるのは気分が良くないのでしっかりと。
全部終わって朝ドラ最終回の再放送を視聴。
ぶっちゃけ後半戦はちょっと視聴がダレていたとはいえ、最終回ではきっちり涙ぐませてもらった。ちゃんと舞いあがっとったなあ。
次回からの【らんまん】にも期待。
それが終わってからはいよいよ「ヒマだな。何すっかな」が本格化してきたので、散歩に出ることにした。
散歩のとりあえずの目的地は北大路橋東詰にあるうどん屋の「みなもと」。私が世界で一番美味いと思っているうどん屋だ。
この「みなもと」があるのはまさに私の母校のすぐそばなので、現在宿泊している高野と同じかそれ以上に馴染みのある地域だ。
当然記憶の箱から黒歴史くんが飛び出してきそうになるが、私は先刻の高野で「記憶封印の術」を体得しているので無問題。いや、ヤバい時もあったけど。でも大丈夫。
行く途中で昔居候していた友達の住んでいたマンションを通って切ない気持ちになった。
「みなもと」に来たら店の外までお客さんが数人並んでいた。世界一美味いうどん屋なので仕方がないと言えば仕方ないのだけれど、こんなことはこれまでになかったので「やっぱり今は京都に人がいまくるんだな」と思わされた。
それでもほんの数分で店内に通してもらえた。
頼んだのはここにくるといつと頼む鳥なんばんうどんとミニ玉子丼のセット。
990円。普段の私の外食の価格帯を考えるとハイパーセレブめしと言わざるを得ないが、このクウォリティの前では全てが無力だ。
上品なのにコク深いダシ、京うどんの特徴でもあるちょっとやわめのうどん、微妙に歯ごたえを残しつつもダシのよく染みた九条ネギ、そして柔らかくジューシーな鶏肉。
それら全てが一体となって宇宙を作る。いわゆる「うましユニバース」である。
ミニ玉子丼も極上だ。ご飯の上に乗っだダシで溶いた半熟卵、そこに彩られた細切りの海苔。隠し味に小粒の山椒が入っているのもまたニクい。こちらもまた「うましユニバース」を形成している。
ユニバース(宇宙)なので当然無重力である。
私は無重力の広大な「うましユニバース」の中を「うましっ!うましっ!」と言いながら漂うのみなのだ。ずっと漂っていたいと思った。
冗談抜きで本当に世界一美味い。「みなもと」のうどんを食べたらほとんどのことはどうでも良くなる。いやはやすさまじい破壊力だ。
ほぼ昇天しながら店をあとにして、さてどうしようかなと思案した。
せっかく近くまで来たので母校京都府立大学へ行ってみようと思った。
恥ずかしいことを承知で言えば、そこはまさに「青春の地」だ。足を踏み入れるだけでいささかの気恥ずかしさがあるが、「みなもとうどん」でラリっている私には大したことではなかった。多分春休み中だから学生もそんなにいないし。
訪れてみたら、私の在学中とほとんど変わらない景色があった。
くすんでお世辞にも綺麗とは言えないいくつかの校舎と、ちらほら歩く公立大学にありがちな垢抜けない学生たち。
時が止まっているかのような錯覚を覚えた。
↑ おれたちの二号館(文学部棟)
↑ 体育館は昔のままだった。
↑ 図書館は「七号館」というものになってた。図書館どこ行ったんだろう。
↑ 正門。はー懐かしい。
あまり長居をすると(長居をしなくても)単なる怪しいオッサンなので、警備員さんに怒られたらイヤだしものの五分ほどで母校を出た。
再び歩き始めた。もう一度宿に戻るために。
その時にやはり出来心で母校の近くにあった疎水を通ってみようと思った。
隣県の滋賀県の琵琶湖から流れてくる疎水で、私が住んでいる時には5月の下旬になるとこの疎水の周りで蛍が飛ぶのが見えた。
いくら黒歴史の記憶の箱に蓋を閉めていてもどうしても漏れ出してしまった黒歴史が一つあって、それがこの疎水にまつわる記憶だった。
若い頃に一年近く文通をした女の子がいた。
もはや携帯電話なども普及していた時代だったのだが、私がその女の子と知り合ったちょうどその数日前に宮本輝氏の『錦繍』という往復書簡形式の小説を読み終えたばかりだったので、その女の子に「電話番号とかは教えてくれなくて良いので、住所を教えてください。文通がしたいです」と言った。
そこからなぜか文通が始まった。
同じ大学の子で、学年は一つ下だったが一つ年上の子だった。
週に1~2通ほどのまあまあな量の手紙のやり取りをするだけでほぼ一年、一切電話やメールをすることももちろん会うこともなかった。
それがある日、どちらかが「大学のそばの疎水で蛍が飛び始める時期ですね」と言い出してしまったものだから、じゃあ見に行きますか、となってしまった。
ずっと手書き文字だけのやり取りを続けてきた人とどんな顔して会えば良いのだろうかなんて思ってとても困ったことを覚えている。
でも結局会って一緒に蛍を見に行って、その後付き合うことになって、何年か付き合って、別れた。
全て私が悪かったのだけれど。
そんな思い出の疎水のほとりを歩きに行った。
桜が舞っていた。
京都に有名な桜のスポットはたくさんあるけれど、ここで良いんじゃないかなと思った。
地元の人たちがたまに歩いているぐらいで全然観光地然とはしていなかったけれど、とても綺麗だし風情があった。
私はエレファントカシマシの『桜の花、舞い上がる道を』と『Listen to the music』を交互に鼻歌で歌いながら少し感傷的に疎水の道を歩いた。
旅日記二日目はここまで。
今日も演奏行ってきます。
今日はこちら。
3月31日(金) 京都先斗町 Stardust Club
075-221-2505
http://stardustclub.jimdo.com/
vocal:市川芳枝 bass:村田博志 piano:福島剛
20:00~start music charge:2500円
今日も頑張ります。
今日の演奏動画。
Benny Golsonの作曲した『Stable Mates』をソロピアノで弾いてみました。
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