何も持たずに歩きたい
今日は東京では雪が降るかもしれないと昨日の内からニュースで言っていた。
もちろん私は期待した。
本当にこれは怒られても仕方ないのだけれど、私は大雪とか大雨とか台風とかそういうものが大好きなのだ。そういう性分なのだ。本当に生きていて申し訳ない。
いざ今日になってみたら、全然雪なんて降っちゃいない。
またかよ、と項垂れた。
大体こんなもんなのである。
”10年に一度の大型台風”とかそういう大袈裟な物言いをしている時にその通りになったことなんてほとんどない。いつも期待ばかりさせやがって。
雪は降っていなかったけれど雨は少しだけ降っていたので、傘を差さずに家を出た。
私の中で「雨が降っている」と言えるか言えないかの基準があって、今日の雨は降っているけど「降っていない」に入るレベルだった。何を言っているのかわからないとは思うが、そういうものがあるのだ。理解してくれなくて良い。ただ”そういうものなのだ”と納得してほしい。
私は傘を差すのが大嫌いなので、多少の雨であれば「これは降っている内に入らない」ということで傘を差さずに家を出る。いいんだよ、濡れたって。
傘を差すのが大嫌いということの発端に”手に何かを持って歩くのが大嫌い”というのがある。
手に何かを持っていたら高確率でそれをどこかに置いてきて失くしてしまうからだ。もちろん傘なんてこれまでに何十本失くしたかわからない。
このことを考えた時に、「卵が先か鶏が先か」みたいなことを考えた。
私は手に何かを持ったら高確率で失くす
↓
手に何も持たなくて済むようにいつもリュックサックや肩掛けカバンで移動する
↓
余計に手に何かを持つ習慣が無くなる
↓
たまに手に何かを持って歩くと慣れていなさ過ぎてそれはどこかに置いてきて失くしてしまう
↓
やはり手に何かを持って歩くのはやめようと思う
↓
さらに手に何かを持つ習慣が無くなる
こういうことなのである。
つい先日まで足の怪我のせいで松葉杖を持って生活していたが、その時にも何度も松葉杖をどこかに置き忘れそうになった。歩き出して足が痛いなと思った瞬間に「あ!松葉杖忘れてきた!」と気付くのである。”痛み”というのはリマインド機能としては非常に優秀であった。
なので今後も手に何かを持って歩かないことを目標にしたい。
無理なんだって。もう。
今日の演奏動画。
Freddie Greenの作曲した『Down For Double』をソロピアノで弾いてみました。
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