想像力による恐怖
昨日ブレーキの壊れた自転車で出かけたのが自分にとっても他人にとってもあまりにも恐怖だったので、今日は朝イチのレッスン後に近所の自転車屋に行ってブレーキを直してもらってきた。
前輪のブレーキはパッドがなくなっているのでそれを交換して、後輪はまだ少しパッドが生きていたみたいなので調整のみで済んだ。
直してもらっている際に自転車屋さんから「これ前後輪ともにタイヤももう寿命なのでそろそろ換えた方が良いですね」と言われる。それについては知っていた。もう溝が擦り減ってしまってあんまり残ってないのだ。言われるだろうなーと思っていた。
こういうのって病院なんかもそうで、病院に行ったら必ず「タバコやめた方が良いですね」とか「お酒は減らさないと」とか言われる。
そうやって言われるのが面倒くさくてなかなか病院からは足が遠のいてしまう。もちろん行かなきゃいけない時には行くんだけれど。
昔は「もうちょっと運動した方が良いですね」もセットで言われていたのだけど最近は言われない。そこは改善している。運動は毎日少しずつだけどやってはいるから。
自転車もタイヤは寿命だし、サドルは割れているし、そりゃあ言われるだろうなと思っていたら案の定言われる。
そこも直したいのはやまやまなんだけど、いかんせんお金が。
それでもとりあえずブレーキは直ったのでこれで自転車に乗れる。
昨日ブレーキの壊れた自転車に乗っていて思ったこと。
少しでもスピードを出すと怖かった。普通なら何てことのないスピードでも「今は急には止まれない」と思うと異常に怖かったのだ。
人間っていうのはつくづく想像力の生き物なんだなと思った。
スピード自体が怖いというよりも、そのスピードの先にある結果を想像して怖くなってしまう。
私はかなりの高所恐怖症なのだが、それも想像力のせいだと人から教えてもらったことがある。
普段から高所で作業をする人が教えてくれたのだが、高所恐怖症の人の原因は大きく分けて二つ。
・過去に高いところから落ちて怪我などをしてそれを思い出してしまうトラウマ型の原因
・ここから落ちたらどうなるんだろうと考えてしまって怖くなってしまう想像力型の原因
だそうだ。
私は多分後者の方。
自転車もブレーキが壊れていなければ多少のスピードは怖くはないのに、ブレーキが壊れていることを知った途端にちょっとしたスピードでも怖くなってしまう。
人間の脳ってかなり想像力に左右されるんだなあと思った。
今日の演奏動画。
Richard Rodgersの作曲した『It Might As Well Be Spring』をソロピアノで弾いてみました。
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