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2023年2月

2023年2月28日 (火)

怪我の功名

昨日の夜に軽くスクワットをやってみたところ、そんなに足は痛くなかった。

とはいえ夜は必ず酒が入っているので、酒のせいで痛みが麻痺している可能性も否定できない。

今朝、朝ドラの始まる時間に合わせて起床した時に朝ドラを見ながらスクワットをしてみたら、できた。

ポイントがあって、これまでは柔道の背負い投げを想定したスクワットだったのでカカトを地面につけないでやっていたのだけれど、それだとまだ足首が痛いのでカカトを地面に着けたままの姿勢でのスクワットとした。

これだったらそんなに痛くなかった。

一か月以上出来なかったスクワットが出来るようになったのがとても嬉しくて朝ドラが始まってから終わるまでの15分間できっかり1000回のスクワットを。

終わってからはいつものように腕立て100回×2セット、V字バランス3分×2セット、背筋100回×2セットで最後にプランク4分で〆め。

これでやっと自宅でのトレーニングに関しては怪我をする前の量に戻すことが出来た。

もう少し足の具合が良くなってきたらこの後に公園に行って木に打ち込みを500本出来れば完璧なのだけれど、そこはまだ焦らずに。

「怪我の功名」とはよく言ったもので、今回の怪我で見えたことがある。

私の背負い投げは左組みからの左の背負いなのだけれど、足の動きとしては
・左足を軸に回転して
・右足で地面を蹴る
というのが基本となっていることがわかった。

ということはもちろん逆の右の技は
・右足を軸に回転して
・左足で地面を蹴る
となるわけである。

道理でこれまでに足を怪我する時には右足が多かったわけだ。

もう少し怪我が回復してきたら、左右共に脚力を鍛え直したい。

技の原理は大まかにはわかっていたつもりだったけれど、身体のどこの部分を使っているのかまで深くはわかっていなかった。怪我をして知ることになるとは。

そう言えばずっと悩まされてきた四十肩も、もう痛みのピークは越えたような気がする。まだ痛いことは痛いのだけれど、以前のような激痛ではなくなってきた。人間の身体って、なかなか言う事聞いてくれないところもたくさんあるけど、でもなかなか上手く出来てるもんだなあ。

今日の演奏動画。

Sonny Rollinsの作曲した『Brown Skin Girl』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月27日 (月)

発表会の準備を少しずつ始める

コロナ騒動のせいで三年以上開催できないでいたピアノ教室の発表会を今年はやることにした。今年の9月。

まだまだ期間があるだろうとのんびりしているとあっという間にその日になってしまうので、少しずつ準備に取り掛かっている。今はその準備の最初の段階。

私の教室の発表会では、やる曲は全て生徒に任せている。

最初に生徒に対して出す課題は「まずはとにかくたくさんの音源を聴いてください。それでその中で”この曲良いなあ”とか”このミュージシャン好きだわ”とか、自分に”刺さる”ものをたくさん見つけてそれをリストアップしてください」というもの。

今は発表会に参加希望の方が少しずつそのリストを持ってきてくれている段階。

リストを見ながらへえ、この人こういうのが好きなんだなと思うこともあれば、何それ知らなかった、というのもある。

これがとても嬉しい。

音楽ってどうしても自分の好みで聴いてしまう傾向があるから、毎日色んな曲を研究していてもそういった自分の好みの傾向から外れるもので知らない音楽なんて世界中に山ほどある。そしてその中には素晴らしい音楽や素晴らしい音楽家の存在がたくさんある。

生徒が私に私の知らない素晴らしい音楽を色々と教えてくれる。

そうなったらもちろん、その知らなかった音楽の研究だ。

他の音楽指導者がどうなのかはわからないけれど、少なくとも私の場合は知らない曲は教えられないし自分が弾けない曲は教えられない。なのでまずはそういった知らなかった曲の研究と分析と練習。もちろん既に知っていた曲も再度研究分析練習。そうすると新しい発見がたくさんある。

今日は一日ピアノの前で生徒が私に出してくれたたくさんの「課題」に取り組んだ。音源をあたって一回ざっと譜面に書く、ということだけでもまだまだ全体の一割も出来ていないのだけれど。

明日も引き続き課題に取り組む。

知らないことを知るのはとても楽しい。

発表会が終わる時には生徒も私も音楽家として一回りタフになっているはず。

今日の演奏動画。

Duke Ellingtonの作曲した『Just A Sittin' And Rockin'』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月26日 (日)

また一歩ずつ

大体一週間ごとに暇な週と忙しい週がやってくる生活パターンが定着しているけれど、今日は忙しい週の最終日。明日からはまた無職の暇人生活が始まる。

今週は二つライブがあって、どちらも本当に幸せなライブだったけれど、自分の中での問題点もたくさん見えた。暇な来週はそれを克服していく為の一週間。もちろん一週間やそこらで克服出来るようなことではないので、その為の助走というか、とにかくまずは最初の一歩を踏み出そうと思う。

そういうことに気付かせてくれる共演者、そしてずっと私のことを見てくれていて真摯にアドバイスをくださる方に感謝。恩返しは私が音楽家としてより良くなること以外にない。

今日は朝から休み無しで働く日なので、このブログも移動の電車の中からスマホで書いている。

いつも最後に演奏動画を張り付けているのだけれど、それがスマホからだと上手くいかないので5分だけパソコンを触れる時間があった時に演奏動画の埋め込みのタグだけパソコンからやっておいた。

うまくいってるかな。

ということで↓


今日の演奏動画。

George Gershwinの作曲した『A Foggy Day』をソロピアノで弾いてみました。

2020年11月18日にもやっているのでリテイクです。

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2023年2月25日 (土)

録音の振り返りは独り貴族で

自分のライブの時の演奏を録っておいて後から聴き返すっていうのはとても良いことだと思っている。

自分の声を録音して聞いてみたら「自分が思ってた声」と随分違うということがあるように、演奏も「やってる時に自分で思ってた演奏」と後から聴き返す「客観的に聴く演奏」は結構違う。

私の場合で言うと、私はかなりリズムが突っ込むクセがあるので、自分ではゆったりとリズムを取っているつもりでも聴き返してみたら「うわーめっちゃ突っ込んでるなあ、せせこましくなっちゃってんなあ」という時が多々ある。そういうのって客観的に聴き返さないとわからない。でもそうやって聴き返すことで随分マシにはなってきたと思うのだけれど。

それから、悪かったところばかりではなくて「ここは結構良いな」と思う所も当然ある。それもやはり「自分が思っていたよりも良い」ということであって、演奏している時にはやっぱりなかなか客観的に見れていないのだ。まあ仕方ないよね、その時は夢中になってやっているから。

こういう理由から自分の演奏を後から聴き返すのはとても良いと思っているのだけれど、聴き返す時に一つだけ気を付けていることがあってそれは「それなりに集中して聴く」ということだ。

何か家事をしながらとかでは良くない。それだと細かいところまで聴き取れないのだ。

なので私は自分のライブの演奏を聴き返す時にはよく一人で居酒屋の「鳥貴族」に行く。色々な場所を試してみたのだけれど「鳥貴族」がかなりベストに近い選択であるということがわかった。

・店員が知り合いとかではないので話しかけられない
・Wi-Fiがある
・一人用の席がある
・電源があるので充電しながら聴ける

これらの理由から私は自分のライブを聴き返す時には一人で鳥貴族に行くことが多い。一人で鳥貴族に行くことを私は「独り貴族」と呼んでいる。なんとなくカッコいい。

そこで大体ツマミを二品と酒を二杯注文してゆっくり飲みながら聴き返す。鳥貴族は全品350円(税込み)なので、これで合計1400円なのだ。なかなか安い。

とは言え、結構録り忘れてしまうので、ちゃんと録った時だけ。

ここ数日ライブが続いているのでどうしても音楽の話題が多くなってしまうな。ま、仕方ないか。日常のしょーもないことも書きたいのだけれど。

今日も楽しみにしていたライブだ。頑張ってきます。

今日の演奏動画。

Sonny Rollinsの作曲した『Decision』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月24日 (金)

そういう時のために毎日やっている

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写真は昨日買ったレコード。

昨日のライブ本番開始前に小一時間ほど時間があったので立ち寄った立川のディスクユニオンで買った。当時はまだDollar Brandの名前でも活動していた我らがAbdullah Ibrahimの40年前の録音。

今日はこれを聴きながらブログを書いている。40年前のアブさんも本当に素敵。大好き。

昨日のライブは嬉しい誤算の満員御礼だった。

「いい演奏してると思うんだけどなかなか客が増えないなあ、どうやってお客さん増やしていきましょうかねえ」なんてことを共演者の高原かなさんとも話し合っていたのだけれど、「まあとりあえずは積極的に宣伝して、あとは良い演奏出来るようにお互いひたすら頑張りましょう」なんていう元も子もないような結論に達していた。小学生か。

でも嬉しいことに昨日はお客さんがたくさん来てくれた。良かった。

終わってから店の外の喫煙スペースで一人でタバコを吸ってたら店のマスターがやってきてくれて「とても良かった」と言ってくださった。嬉しかった。

いつもお客さんが少なくて心苦しかったんですけど今日はちょっとホッとしました、ありがとうございます、と私が言うと、マスターが「その時にもずっと積み重ねてきたからですよ」と言ってくれた。「自分たちも毎日料理の研究や練習をする。それはお客さんが来てくれた時に最高のものを出すために。それと同じでお客さんが多くても少なくてもかなちゃんと福島さんが全力で音楽に向き合ってきたから今日も良い演奏になったんですよ」と言われて、めちゃくちゃジーンときた。本当にありがたい。

それから昨日は「福島さんのファンです」と言う人が来てくださって、そうやって言われても言われ慣れていなさ過ぎて「そんなバカな」とか「そんな酔狂な」とか思ってしまうし言ってしまう。昨日も「そんなわけないでしょ」と言ってしまったと思う。とことん失礼なやつだな私は。

こうやって昔からずっと書いているブログを読んでくれていたり、毎日更新しているYouTubeを聴いてくれたりしているらしい。ブログにコメントをくださったこともあるそうな。

これもさっきのライブ後のマスターの話と同じで、誰も読んでいなくても誰も見ていなくてもずっと発信を続けるっていうのは自分で決めたことで、人から何を言われようと関係ないと思っているのだけれど、でもどこかで誰かが見て聴いてくださっていて、それで本当にライブに来てくれる。

こんな嬉しいことはない。

名前も聞き忘れたその人はこの記事も読んでくれているかもしれないので改めてここで「ありがとうございます」とお礼を言っておく。あと「ファンです」なんて言われると動揺してめちゃくちゃコミュ障を発動してすみません。失礼なことを言ってたかもしれませんけど、動揺してたからなので許してください。

高原さんとの演奏は最高だった。楽しかった。あっち行ったりこっち行ったりの脱線を何度も繰り返しながら、でも多分高原さんも私の演奏を好意的に受け止めてくれてるし私もそうだし、だから基本的には「向いてる方向はずっと同じ」みたいな状態で演奏出来て、うん、楽しかったなあ。

何でそうやって楽しめたかって言うと、やっぱり毎日練習してるからなんだと思う。

演奏がギリギリの「際」に行く時っていうのがある。

お互いにボルテージが上がりまくって野獣のようになっている時もそうだし、静寂のギリギリの「際」もある。演奏の中で色んなお喋りや物語が重なっていって、そういう「際」に行く時が度々ある。

その時に何とか持ちこたえられる、っていうのはやっぱり毎日の練習のおかげなんじゃないかなと思った。持ちこたえられるから、ギリギリ限界いっぱいまで行ける。だから楽しい。

ていうことはもっとたくさん練習したらもっと楽しくなれるということだ。

もっと楽しくなるためだったら何でもする。

こうやって人生を棒に振るんだけど、これでいいのだ。

明日もライブ。明日はサックスの登敬三さんと小岩「BACK IN TIME」で。

登さんと演奏するのもそうだ。「この人と演奏したくて毎日練習してるんだよ」という気持ちになる。

登さんは最高のサックス奏者なので彼をお客さんに見てほしいという気持ちももちろんあるのだけれど、登さんと演奏している時の自分のことを私はまあまあ好きなので、私がまあまあ好きな私を見に来てほしいという気持ちもすごくある。

ということで来てください。

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今日の演奏動画。

Pat Methenyの作曲した『The Whopper』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月23日 (木)

クーポン券に縛られる

クーポン券が苦手だ。

少しでも得をしようと考える精神が卑しくて好きではないのかというとそうではない。むしろその逆だ。

私はクーポン券に縛られてしまうからだ。それでクーポン券が苦手なのだ。

例えばどこかで昼食を食べる時、A店に行こうかなと思っているのにB店のクーポン券を持っていたから本当はA店に行きたかったのについついB店に行ってしまうというようなことがある。

頭の中で「せっかくクーポン券を持っているのだから」という損得勘定が働く。その時私は自分の素直な感情よりも損得を優先するような人間に成り下がってしまう。どんどんと私の中から自由が失われてしまうのだ。

なので極力クーポン券やポイントカードの類をもらわないようにしている。財布がクーポン券やポイントカードで溢れてしまうのもイヤだし、というのもあるのだが。

ただし例外が一つだけある。

立ち食いそばチェーン店の「ゆで太郎」である。私はゆで太郎のクーポン券は積極的にもらいに行く。ここだけは例外だ。

それは私がクーポン券を持っていようといまいとゆで太郎にはものすごく頻繁に行くからというのが大きな理由の一つだ。少なくとも週に二日は行く。多い時は週に五日ぐらい行く。なのでクーポン券によって行動の自由が制限されないのである。そもそも行くから。

ゆで太郎のクーポン券の写真がこちらだ。

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何かが安くなったりするタイプのクーポン券ではなく、トッピングが何か一つ無料でつくタイプのクーポン券だ。

ゆで太郎は天かすが無料なのでかけそばは自動的にたぬきそばに変貌する「自動たぬきそば」だ。ということで私はいつもかけそばを注文するのだが、このクーポン券を持っているとそれがかき揚げそばになったり温玉そばになったりコロッケそばになったりする。

クーポン券を持ってゆで太郎に行くとそれだけでワクワクしてしまう。「今日はコロッケそばにしちゃおうかな、うふふ」などとニヤニヤ笑いながら歩くゆで太郎までの道のりの足取りは軽い。

この最強のクーポン券、問題は配布期間の短さだ。上に挙げた写真は先日私がゲットしたクーポン券なのだが、使用期間が3月1日~5月末日とあり、2月23日現在はまだ使えない。そして配布期間は大体長くてもこの2月後半から3月の2週目ぐらいまでなのである。

私はこの期間に何としてもゆで太郎のクーポン券を3枚はゲットしなくてはならない。

なぜ3枚かというと、常にそれを持っていないと不安だからだ。

日常的に使う仕事カバンに一枚、荷物が少ないとき用の小さな肩掛けカバンに一枚、それから上着のポケットに一枚。合計三枚のクーポン券を常にどこかに忍ばせておかねばならない。

いつ何時ゆで太郎に行くかわからない。その時の為にも必ず三枚、ゆで太郎のクーポン券を準備して決戦の3月以降に臨みたいというそういう気概であるのだ。

先日の昼過ぎに近所のゆで太郎の前を通りがかった時にちょうど「クーポン券配布中」ののぼりが店先に立っていた。その日は私は朝イチで浅草橋にあるお気に入りの立ち食いそば屋「ひさご」にてたぬきそばを食べていたので、朝も昼もたぬきそばってのはどうよ?と思いつつもクーポン券欲しさについつい「ま、仕方ない」と思ってゆで太郎に入って先ほどの写真のクーポン券を手に入れた。

すごく満足すると同時に「やはり私はクーポン券に縛られている」と実感した。

なんなんだこの人間の器の小ささは。

今日の演奏動画。

Ron Carterの作曲した『First Trip』をソロピアノで弾いてみました。


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2023年2月22日 (水)

理論上の富豪

富豪の愉悦というのは「安全(セーフティ)であることの愉悦」だと『賭博黙示録カイジ』で既に結論が出ている。

決死のギャンブル「鉄骨渡り」をするカイジらを高層ビルの一室から眺めながら利根川が

こうした安定した場所で見ているともうそれだけで………
しみじみと幸せを感じられる………
普段感じることのできぬ「セーフティ」という名の悦楽………
「安全」であることの愉悦………

と呟くのである。

利根川は良いところもたくさんあるのだが基本的には性格が悪い。

確かに富豪の愉悦は「安全」であることなのだ。

私は富豪ではない。

ということは私と富豪との違いは何かと言うと安全か安全でないかということになる。

何がその「安全」の基準となるかと言えば、おそらくそれは「蓄え」であるのだ。

金でもいい、家でもいい、車でもいい、子供でもいい。

何かがあったいざという時の為の「蓄え」の多寡が「安全」であることの判断基準になるのではないだろうか。

そう考えてみれば確かに私にはそういった「蓄え」がないので「安全」であるとは言い難いのかも知れない。

とすれば、私がセーフティという名の悦楽を得ようとすれば「蓄え」を手にすれば良いということになる。かと言って金はない。どうすればいいか。

九条ネギである。

近所のコンビニ「まいばすけっと」で売っている九条ネギを買ってくる。

定価は150円ほどだが、3割引きのシールが貼ってあると100円ちょっとで買える。今日は3割引きで買えた。

その九条ネギを買ってきたらすぐに家でザクザクと切り刻む。

そしてその切り刻んだ九条ネギをジップロックのタッパー「スクリューロック」に放り込むのだ。

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写真を見てほしい。スクリューロックの中にぎっしりと九条ネギが入っている。

これにより私は「九条ネギを大量に蓄えた人」になることができる。

納豆に入れてもいい、味噌汁に入れてもいい。九条ネギは全ての食事をワンランクもツーランクもグレードアップしてくれる。私はいつでも食事をグレードアップさせる蓄えを手に入れたということになるのだ。

スクリューロックにたっぷりと入った九条ネギを眺めながら私は

こうした安定した場所で見ているともうそれだけで………
しみじみと幸せを感じられる………
普段感じることのできぬ「セーフティ」という名の悦楽………
「安全」であることの愉悦………

と呟かずにはいられない。

冷蔵庫に九条ネギのストックがたくさんあると本当に幸せを感じる。

ついに私は実質上ではないが理論上は富豪になってしまった。

今日の演奏動画。

Roy Hargroveの作曲した『Strasbourg St. Denis』をソロピアノで弾いてみました。

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自分の歌を歌う

私が他の音楽家に対して「この人すごい」と思う時にはいくつかのパターンがあるのだが、その中の一つに「自分の歌を歌っている」というのがある。

自分の歌を歌う人のことを私は手放しに「すごい。そして好き」と思ってしまう。

これはおそらく私自身が生きていく中で最も重要視していることをその人が体現しているからだ。

私が生きていく中で最も重要視していることは、自分の頭で誠実に思考し、自分の足で立ち、自分の言葉で自分の考えを喋るということだ。

自由というものを文字通り「自らに由る」ということだと考えているので、そういう意味では私は自由な人を愛しているのかもしれない。

自分の頭で誠実に思考し、自分の足で立ち、自分の言葉で自分の考えを喋る。

こうして言葉にしてしまうとすごく簡単なことのようにも思えるけれど、それは本当に容易ではないと日々実感しながら生きている。

すぐに借りてきた言葉を喋ってしまう。すぐに自分を大きく見せようと虚勢を張ってしまう。意識的なレベルから無意識のレベルまで、悪気はないのだけれどついついそうやって「嘘」をついてしまう。

そういうことは音楽でも頻繁に起こる。

誰かにリズムを頼ってみたり、自分を大きく見せたいが為にありもしない技術や知識をこれ見よがしに見せようとしてみたり。

そういったことの全てが悪いとは思わないけれど、私が音楽というものに願っている大きな理想とそれとは随分とかけ離れている。

情けないがこれらは全て私の話である。

翻って自分の歌を歌う音楽家のことである。

そういう人たちの真っ直ぐな歌に心を打たれる。自らの音色を持ち、自らのリズムを持ち、自らのフレーズを持つそういう人々の歌は、まぎれもなく「自由」である。

長い時間をかけて自分の歌を作り上げてきたことは想像に難くない。たくさんの他人の歌を自分の中に取り込んで、それをきちんと自分の言葉になるところまで持っていくのには膨大な時間がかかる。途中で何度も自分の不足と向き合わなければならないし、その度に心が折れそうになるのだけれど、そういう人たちはそこで再び自らの足で立って歩き始めたからこそ自分の歌を獲得したのだと思う。

明日からはそういう人たちとのライブが二つ続く。

私は私でしかない。

願わくば、虚勢を張らずに、無駄に怯えずに、私もまっすぐに自分の歌を歌いたい。

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2月23日(木祝) 東京立川 Jesse James
042-525-7188
http://jessejames-tachikawa.music.coocan.jp/
vocal:高原かな piano:福島剛
19:00~start music charge:2600円

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2月25 日(土)東京小岩 Back in time
03-3659-0351
http://www.bqrecords.net/backintime.htm
sax:登敬三 piano:福島剛
20:00~start  music charge: 2500円

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2023年2月21日 (火)

自分以外の誰かに向けているのだとしたら

音楽をやっているのは、少しでも好きな自分になるためだ。私は自分のために音楽をやっている。それ以上でもそれ以下でもない。

そういう風に思ってずっとやってきたのだけれど、少しずつ自分が変わってきているところもある。

あるいは私は誰かに向けても音楽をやっているのかも知れない、ということを最近はたまに思うようになった。コロナ禍を過ごして音楽との向き合い方が変わったのか、それとも少し大人になったからなのか。よくわからないけれど。

もしも私が誰かに向けて音楽をやっているとすれば、それはきっと「生きづらい誰か」に向けてなんだと思う。

色々とうまくいかないことがあって、傷ついたり焦ったり苛立ったりしている「誰か」に。

人生はうまくいかない。そうじゃない人もいるだろうけれど、少なくとも私はそうだ。

私と同じように色んなことがなかなかうまくいかなくて生きづらさを感じている他の誰かが世界のどこかにいて、それでもその人が前を向いて力強く生きようとしているならば、「じゃあ落ちこぼれ同士一緒に頑張ろうぜ」と伝えたくて私は音楽をやっているのかもしれない。

私はずっと自分勝手に芸事のみに打ち込んでいるだけだし、何の生産性も無い。それでも力強く生きていきたいと願っている。

人の命の価値を外から決めて「無価値な命は淘汰された方が良い」なんてことを言っているやつのことを最近ニュースで見た。

色んな意見があってかまわないが、それに対しては私は「うっせーバーカ」とはっきりと反対意見を表明しておく。

人の命は等価値ではないのかもしれない。それでも人の命を値踏みするような人間を私は軽蔑する。

今日の演奏動画。

Cole Porterの作曲した『All Of You』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月20日 (月)

暖かくなったら

仕事に向かうために朝家を出たらもう随分と日射しが暖かくて、そうかそろそろ春なんだなということを思い知らされた。

寒いのが好きなので冬が終わってしまうことに対する寂しさもあるのだけれど、寒い冬の内には出来なかったことがこれからはいくつか出来るかも知れないという楽しみもあるのでプラマイゼロだ。

寒い時に路上で寝ると危険なのだが、暖かくなってきたら躊躇なく寝られる。なんだか眠いな、と感じた時にわざわざ暖かい場所を探さずに済むのは良い。あと、暖かい時に路上で寝るのはとても気持ちいい。

昨年末に友人に誘われて行って以来魚釣りにも行ってないし行けたらいいな。手こぎボートでキスを釣りながらもう一本の竿で泳がせをやってマゴチを狙うような釣りか、もしくはルアー一本に絞ったマゴチ釣りか。

あとはとにかく毎日のことを。

毎日音楽の練習と柔道の練習が出来ればそれでいいや。

そんなことをぼんやり考えながら朝から電車に乗っていました。

今日は丸一日レッスンの日。頑張ります。

ブログをアップするのは夕方以降だけど。書いたのは朝。

今日の演奏動画。

Turner Laytonの作曲した『After You've Gone』をソロピアノで弾いてみました。

2020年7月3日にもやっているのでリテイクです。

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2023年2月19日 (日)

「武」勇伝

昨日は柔道の日。

先週の土曜日が祝日で稽古がなかったため、二週間ぶりの稽古。とは言え足の怪我がまだ完治していないので先々週と同様にみんなが稽古をしている道場の隅っこで基礎運動を繰り返させてもらう。

それだけで我慢しておくつもりだったのだが、どうしても我慢できずに最後に二本だけ受けのみの乱取りと組手のみの乱取りをさせていただく。これだけでもめちゃくちゃ楽しかった。やっぱり柔道は本当に楽しい。

稽古の後は先生方と行きつけの居酒屋で柔道談義。この時間も幸せなひと時。

その時に印象的だったこと。

居酒屋に集まったのは全員ほぼ同世代(40代~50代)の男性。つまり「オッサン」である。

オッサンたちには「してはならない話」というのがいくつかある。説教だとか自慢話だとか。

それらの「してはならない話」の中でもトップクラスにしてはならないのは武勇伝である。

昔ヤンチャだった自慢とかは本当にしてはならない。きつく肝に銘じておかなくてはならないことなのだが、極めて稀なケースであるが中には例外があるなと思った。

それは加藤先生という先輩の武勇伝であった。

かつて車に乗っていた時にチンピラ数人に絡まれて因縁をつけられたという加藤先生。その際に車を降りていって彼らに対して飲み物の自販機で缶コーヒーを買っておごることで相手の戦意を削ぎ、事なきをえてその場をうやむやに収めた、という武勇伝である。

居酒屋に集まった我々はみな「それはすごい!」と加藤先生を賞賛した。

この武勇伝の何がすごいかという所なのだが。

そこに集まった我々はみな柔道という道を歩く「武道家」なのである。

武道の「武」という字は、矛を止めると書く。武道の神髄とはまさに争いや諍いを止めることにある。相手と戦って勝つことではないのだ。

争いごとや揉めごとになりそうな時に、相手に対して「ちょっとまあ落ち着いてよ、缶コーヒーおごるからさ」と言ってその場を収めた加藤先生は、武道家としてこれ以上ないほどの対応をしたということになるのだ。なのでみんなが加藤先生を賞賛した。

これが「その場で相手を投げ倒して絞めて関節キメてやっつけた」だったらダメなのである。みんな異常なまでに屈強な男たちなのでやろうと思えばそれぐらい楽勝だろうけれど、それでは武道家としては0点だ。

私は何かあるとすぐに「やんのかコラ」と言ってしまうところがまだまだあって、改めてその自分の未熟さを恥じた。

我々は格闘家ではない。武道家なのである(音楽家でもあるけど)。

我々が唯一語って良い武勇伝は「矛を止める」という意味での「武」勇伝のみである。

なので私も今後武勇伝を語る時には「こないだ酔っ払いに絡まれちゃったけどジャンピング土下座で事なきをえたぜ」とか「チンピラ数人に囲まれたんだけどスライディング土下座で難を逃れたぜ」というもの以外はありえない。

改めて「武」の道は奥が深いと思った。

そんな私が稽古をつけていただいている素敵な道場はコチラ

ブログの横の所にもリンクを貼っておいた。是非HPを見てほしい。

今日の演奏動画。

Horace Silverの作曲した『Tippin'』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月18日 (土)

想像力による恐怖

昨日ブレーキの壊れた自転車で出かけたのが自分にとっても他人にとってもあまりにも恐怖だったので、今日は朝イチのレッスン後に近所の自転車屋に行ってブレーキを直してもらってきた。

前輪のブレーキはパッドがなくなっているのでそれを交換して、後輪はまだ少しパッドが生きていたみたいなので調整のみで済んだ。

直してもらっている際に自転車屋さんから「これ前後輪ともにタイヤももう寿命なのでそろそろ換えた方が良いですね」と言われる。それについては知っていた。もう溝が擦り減ってしまってあんまり残ってないのだ。言われるだろうなーと思っていた。

こういうのって病院なんかもそうで、病院に行ったら必ず「タバコやめた方が良いですね」とか「お酒は減らさないと」とか言われる。

そうやって言われるのが面倒くさくてなかなか病院からは足が遠のいてしまう。もちろん行かなきゃいけない時には行くんだけれど。

昔は「もうちょっと運動した方が良いですね」もセットで言われていたのだけど最近は言われない。そこは改善している。運動は毎日少しずつだけどやってはいるから。

自転車もタイヤは寿命だし、サドルは割れているし、そりゃあ言われるだろうなと思っていたら案の定言われる。

そこも直したいのはやまやまなんだけど、いかんせんお金が。

それでもとりあえずブレーキは直ったのでこれで自転車に乗れる。

昨日ブレーキの壊れた自転車に乗っていて思ったこと。

少しでもスピードを出すと怖かった。普通なら何てことのないスピードでも「今は急には止まれない」と思うと異常に怖かったのだ。

人間っていうのはつくづく想像力の生き物なんだなと思った。

スピード自体が怖いというよりも、そのスピードの先にある結果を想像して怖くなってしまう。

私はかなりの高所恐怖症なのだが、それも想像力のせいだと人から教えてもらったことがある。

普段から高所で作業をする人が教えてくれたのだが、高所恐怖症の人の原因は大きく分けて二つ。

・過去に高いところから落ちて怪我などをしてそれを思い出してしまうトラウマ型の原因
・ここから落ちたらどうなるんだろうと考えてしまって怖くなってしまう想像力型の原因

だそうだ。

私は多分後者の方。

自転車もブレーキが壊れていなければ多少のスピードは怖くはないのに、ブレーキが壊れていることを知った途端にちょっとしたスピードでも怖くなってしまう。

人間の脳ってかなり想像力に左右されるんだなあと思った。

今日の演奏動画。

Richard Rodgersの作曲した『It Might As Well Be Spring』をソロピアノで弾いてみました。


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2023年2月17日 (金)

確定申告と壊れた自転車

確定申告をさくっと終わらせてきた。

もう16年ぐらい個人事業主をやっているので、確定申告もそれぐらいやっているので大体の勝手はわかっている。

そもそも私のような低所得者の確定申告なんて簡単なのだ。申告するべき収入もそれにかかった経費も少ないのだから。

朝からその為の書類を作成していた。まずは自分で作った書式の中で計算するので、昨年の書式を出してそこに今年の数字を入れていく。

必然的にここ数年の数字と見比べることになるのだけれど、面白いことに気が付いた。

四年前、つまりコロナ騒動の前に比べると収入は今でも半分以下に落ち込んだままだ。それはもう仕方ない。それでも少しずつだけれど回復の傾向にあることは数字を見たらわかった。本当に少しずつだけど右肩上がりに回復してきている。

ただし、今年の申告するべき収入は、過去数年の中でも最低であった。

その理由は、救済措置の給付金が昨年は一切なかったからだ。自力の収入自体はほんの少しずつ回復してきているにもかかわらず、給付金の類がないとやはりトータルでの収入は激減する。私なんて弱小の個人事業主だからそんなにたくさん給付金もらってたわけじゃないんだけどね。月に数万円程度の額。でもこれだけ違うんだ、と思った。

そしておそらくもうそんなもの(給付金)はもらえないと思っている。やはり自力での収入を回復させる以外に方法はなさそうだ。

そうかここから先は茨の道か。


今日は確定申告をやってしまおうと思った時に「そうだ、ついでに区役所にも行こう」と思った。国民健康保険の窓口に行かなくてはいけない用事があったのだ。別に期限が決まっていたわけではないけれど、こうして出かける用事があった時に一度に片付けてしまわないとどんどん先延ばしにしてしまうから。

とすれば、自転車で行くよりほかなかった。

平井から徒歩10分ほどのところにある江戸川北税務署、それから新小岩から徒歩20分ぐらいのところにある江戸川区役所。いっぺんにどちらも行くには自転車が最も理想的だった。理想的だったのだが。

実は今私の自転車は壊れていてなおかつ足を怪我しているので、自転車に乗るのは少々怖かった。でも仕方がないと思って自転車で出かけた。

自転車のどこが壊れているかというと、ブレーキが壊れている。前後のブレーキがほぼ完全に作動しなくなっている。なのでめちゃくちゃ危ない。

通常時は「めちゃくちゃゆっくり漕ぐ」という方法により何とか事なきを得たのだが、問題は坂を下る時であった。

坂を下ると、重力加速度と共に自転車のスピードがどんどんと加速していく。そしてブレーキは効かない。坂を下ったところに信号があってそこが赤信号だったら完全にアウトだ。

最初にそれに気付いたときには私は坂を下りながら自転車から飛び降りて足でブレーキをかけることに成功したが、その時に怪我した足を余計に痛めた。いや無理だって、この状態で自転車から飛び降りるのは。

それに気付いてから以降は、坂を下りる時には自転車を降りて手で押した。くそっ、本来は一番ラクな下り坂なのに、と悔しがりながら。でも事故は怖いし。

そんなこんなで税務署での確定申告と、区役所での国民健康保険の手続きを終わらせてきた。税務署は書類を提出するだけだったのですぐ終わったし、区役所で担当してくれた女性は女芸人の横澤夏子のネタ中での話し方のような人だった。少々芝居がかっているが明るくて全然嫌いじゃないな、と思った。税務署の職員の方も区役所の職員の方もとても親切で、そうやって親切にされるたびに「おれみたいなゴミカスのような人間にきちんと接してもらってなんかすみません」と思う。

帰りも自転車で帰った。めちゃくちゃゆっくり走っていたのに本当に怖かった。

もうブレーキを直すまでは自転車には乗らない。ブレーキの効かない自転車に乗ってはいけません。

今日の演奏動画。

Wayne Shorterの作曲した『Harlequin』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月16日 (木)

精力善用・自他共栄 in English

だいぶ昔に大学を卒業したのだが、所属していたのは文学部文学科西洋文学専攻というところだった。世に言う「英文科」に近い。

なのに私の英語の能力は杜撰だ。

ただし、間違いだらけの英語を全く悪びれずに使う、という能力には長けている。

「そんなでたらめな英語話してて恥ずかしくないの?」と思う人もいるかも知れないが、あまり恥ずかしくない。言語には色んな側面があるが、コミュニケーションを取りたいと思える相手とコミュニケーションを取る為のツールという側面も確実にあるので、そこで臆していてはイカンと私はずっと思っている。

今現在、たまに英語を使ってメールをする相手が一人だけいる。

現在88歳の世界的なピアニストなのだが、今はちょっと名前は伏せておく。なんか自慢ぽくなるのイヤだし。

その彼から昨日「おう、元気にしとるか。ワシは今コンサートツアーでヨーロッパとイギリスとUAEとアメリカを行ったり来たりしておる。今年の暮れには久しぶりに日本に行こうと思っとるぞ」とメールがあった。

一番の憧れの人なのでこの時点でかなり嬉しいのだけれど。

彼にメールを返信する時に、「そうだ最近柔道やってますって言おう」と思った。

彼はピアニストとして世界的にめちゃくちゃ有名なのだが、あまり有名でないところでは彼は武道家なのだ。これはマジで。

なので「うす!元気にしております!最近は柔道をやっております!」と送ろうと思った。

で、私の拙い英語力をフル動員して送ったメールがこちら。

Dear Mr. 〇〇

Thank you for sending mail and let me know your current situation.
I'm very glad that you are fine.
Recently, I have practiced JUDO that is Japanese Budo since ancient times.
JUDO has two great philosophy that calls "Seiryokuzenyou" & "Jitakyouei".
Seiryokuzenyou means we have to use a power that we got through ascetic practice for good society.
Jitakyouei means we hope to prosper one another.
Everyday I think about relation between these two philosophy and our music ideal.
I'm looking forward to meet you in this year.
And I wish for listening to your music.
Take care.

Best regards
Takeshi Fukushima

「師匠、柔道には精力善用と自他共栄という理念があるんすけどね、その理念と我々の目標とする音楽の理想ということの関わりについて毎日考えております!」みたいな内容。多分英語はむちゃくちゃ。

でも良いんだよ、伝わったから。

普段なら全然返信くれない師匠が即レスの嵐をしてくださった。

「東京にはワシの古武道の先生がいる。紹介するし会いに行きなさい」とか。武道関係は本当に食い付き良いんだよなあ、師匠。

ということで今日の午前中はこのメールを書いてました。書くのに一時間以上かかった。

でも久しぶりに師匠とメール出来て嬉しかった。

今日の演奏動画。

Arthur Hamiltonの作曲した『Cry Me A River』をソロピアノで弾いてみました。

2021年12月7日にもやっているのでリテイクです。

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2023年2月15日 (水)

気合いの仮眠

眠い。

今日は朝起きて朝ドラ【舞いあがれ!】を視聴。終わるや否や毎日の朝のトレーニングを30分ちょっと。それが終わって朝飯を食べて風呂に入ってから「すぎむら接骨院」に行って足の怪我の治療。接骨院を出てからすぐに仕事場に向かってピアノの練習。演奏動画も三つほど録り貯めをしておいてそれを編集して今17時32分である(「いま」って入れて変換したら時刻が出るのね、知らなかった)。

眠い。

極めて通常通りの日常なのだが、こうやって毎日のルーティンを一つずつやっていくと、大体これぐらいの時間、夕方過ぎぐらいにドカンと眠気がやってくる。

眠い。

今日はこれから小岩「BACK IN TIME」で毎月第三水曜日恒例の「歌声酒場」。

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この眠気で行くのはまずい。演奏が良いものにならない。

眠い。

ということでここは一つ「気合いの仮眠」を30分ほど行う。このブログを書き終わったらすぐに行う。

眠い。

「気合いの仮眠」とは、仰向けに横になって目を閉じる、その際に呼吸以外は微動だにしない、スマホも一切触らない、というものである。

眠い。

現代人だなあとイヤになってしまうのだが、すぐにスマホを触ってしまう。

眠い。

それだと仮眠の質がぐっと落ちる。

眠い眠い。

最初に目覚ましだけかけたらもうスマホは一切触らない。そして微動だにしない。

眠い眠い眠い。

気合いを入れた仮眠を一発キメて、張り切ってセッションに行ってくる。

本日の演奏動画。

Rube Bloomの作曲した『Fools Rush In』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月14日 (火)

富士そばのかけそば

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立ち食いそばのチェーン店「名代富士そば」のかけそば390円。何日か前にレッスンで池袋に行った時に食べた。

池袋で富士そばに行くのは珍しい。

お気に入りの立ち食いそば屋の「君塚」が西口にあるし、駅ナカの「そばいち」も好きだからどうしてもそっちに足が向いてしまう。頻度として富士そばに行くのは君塚やそばいちの3分の1ぐらいなんじゃないだろうかと思う。

でもたまに行きたくなる時がある。

で、安いというのもあるけれど富士そばでは決まってかけそば。

食べる度に「やっぱコレだね!最高!」とまではならないのだけれど、「うんうん、これはこれで悪くない」となる。今回もそうなった。

何だろう、その時の気分によっては「これが丁度いい」ってなるんだよな。

すごく不思議だなと思ったけれど、こういう事って結構生活の中でも起こっているのかも知れない。

私はとてもジャズが好きだし、毎日朝から晩までジャズを聴いて勉強してということをやっているけれど、家に帰ったらあんまり聴かない。

家では大体柔道関連のYouTubeを見てダラダラと酒を呑んだりしている。それぐらいが「丁度いい」のだ。

たまには家でもジャズを聴くときもあるけれど、それは結構まれで。

人から良いお酒もらった時ぐらいかな。そういう時はお気に入りのCDを聴いたりもするけれど。

こうやって富士そばのかけそばとも永く付き合っていくのかなと思った。

今日の演奏動画。

Dexter Gordonの作曲した『Mrs. Miniver』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月13日 (月)

謎すぎるTadd Dameronの『The Scene Is Clean』 ※譜面アリ

今日たまたま練習していた曲について。

ピアニストTadd Dameronの作曲した『The Scene Is Clean』という曲のこと。

どんな曲でも練習する前に元の音源を聴きながら自分で譜面を書く。書きながら楽曲の構成やコード進行の意図などを分析する。この作業が私にとってはとても大事なのだ。かなりじっくり分析をするから、書き上がった譜面を目の前に置いて実際にピアノを使って練習という時には実はもう結構弾ける状態になっている。「聴いて→考えて→身体に落とし込んで」という流れは本当に大切だなと思うのだが。

今日やっていた『The Scene Is Clean』は本当に謎だった。謎過ぎて頭が混乱した。

どういうことかを説明する為に私が作った譜面をここに貼ってみたい。

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こちらがその譜面である。

「ふんふん、イントロはラテンリズムの1コードのベースリフね。で、そこからテーマに入って、テーマからスイングか、はいはい。ほんで…」と採譜していたのだが、テーマ部(上記画像1枚目)からアドリブ部(上記画像2枚目)に入った時に「意味がわからない…」とうなだれた。ネットスラングで言うところのorzである。マジで意味が分からなかった。

キーA♭の調性のテーマ部。それがアドリブ部に入った時にキーCに転調する。それは良い。そこまではまだ許そう。

本当に意味がわからなかったのは、アドリブ部のコード進行がテーマ部と全く関係が無い!ということだった。

ねえなんで?Tadd Dameronさん、ねえなんでよ?と思って音源に耳を傾けてみたが、Tadd Dameronさんはテーマ部と全く関係のないコード進行の上で音数の少ないシュールなアドリブソロを弾いていた。もう全然意味がわからなかった。

私が聴いていた音源では、そのアドリブソロが3コーラスほどあった後に、ダカーポして冒頭のイントロに戻っていた。

「戻るんかい!!!!」と一人で盛大にツッコんだ。

戻るんだったら余計意味がわからないよ、この牧歌的なジャズスタンダードにありがちなコード進行のアドリブ部。なんなんだよこれ。

エンディングは何か仕掛けがあるのかなと思っていたのだが、何もなくあっさり終わった。

余計に頭が混乱した。

別にそれほど難しい曲というわけではないのだ。しかし意味不明過ぎて眩暈がした。

私の中でのとりあえずの結論としては「多分ラリって作った」ということになった。

もしこの謎のアドリブ部についてご存じの方がいたら謎の秘密を教えて頂きたい。

ということで今日の演奏動画はもちろん。

Tadd Dameronの作曲した『The Scene Is Clean』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月12日 (日)

ゲロのアーチとチャンス大城と

私が生まれ育って今も住んでいる東京の小岩という街は、最近ではマツコ・デラックスの番組などで”イカれた街”として取り上げられることも度々あるが、私にとってはそれなりに住みやすい街であるし愛着もある。

だが、時折その”イカれっぷり”をまざまざと見せつけてくる時があって、昨日がまさにそんな日だった。小岩が私に牙を剥いてきた。

昨日は池袋でレッスンがあって、それが終わってから池袋の立ち飲み屋で一人で軽く飲んでから小岩に帰ってきた。

小岩駅で降りて家へ向かって歩いていると、細い路地の両サイドに若者がうずくまっていた。

若者は二人とも酔っ払いであり、路地の排水口の所にゲロを吐こうとしていた。

背中合わせの若者二人が背中越しに会話をしているのが聞こえた。

「いける!?喉に手を突っ込める!?」

「いける!やってみる!」

歩いて彼らに近づく私が、背中合わせに路地の両サイドに並んでいる二人を線で結んだその中心に来た時、二人は同時に喉に手を突っ込みながら盛大にゲロった。

私が二人のゲロのアーチをくぐっている格好になった。

アーチをくぐるなんて何か祝福されているのかなと思ったがもちろん祝福はされていない。

勘弁してくれよ、と思った。

ゲロのアーチをくぐって少しだけ歩みを進めていると、路上で女性らしき人が泥酔して倒れており、それを彼氏とおぼしき男が必死に起こそうとしていた。

わー大変だなと思って私は彼氏らしき男に声をかけた。「大丈夫ですか?救急車かタクシーか呼んできましょうか?」と。

「いや、大丈夫っす!すぐそこなんで!」と答えた男は、地下芸人のチャンス大城に激似だった。

それにしても女性の泥酔ぶりがハンパではなく、チャンス大城は何度も「おい!起きろよ!オラ!」と女性を揺すっていた。

私が「これヤバいっすよ、この感じは急性アルコール中毒とかもありえるし、救急車呼んだ方が良くないっすか?」と聞くと、チャンス大城は

「あざます!でもマジで大丈夫っすから!オラ!起きろコラ!」と言って女性の頭を引っぱたき始めた。

ちょちょちょちょ、待ちなさい!叩くのはやめなさい!と私がチャンス大城を制すると、チャンス大城は女性の耳のすぐ近くで「起きろっつってんだろ!」と大声を上げ始めた。

こりゃあまずいなあと思っていたら女が目を覚ました。

私もチャンスも「良かった」と胸を撫でおろそうとしたら、女が起きるやいなや猛牛のように暴れ狂った。

暴れ狂ったのだが、泥酔しているので攻撃の方向が支離滅裂だった。架空の敵と戦っていらっしゃった。

チャンスが「起きたんで!大丈夫なんで!」と私に帰るように促したので私もじゃあもう良いかと思って歩みを進めた。

背後ではまだアーチ型の若者二人がゲロを吐いていた。

小岩は良いところなのですが、たまにこんなところです。

この街に虹はかかりません。

今日の演奏動画。

John Coltraneの作曲した『Trane's Blues』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月11日 (土)

ビバップを練習することを推奨する理由

今日は珍しく本業の話。ジャズピアノの練習について。

色んな方面から見て「ビバップ」と呼ばれるジャズの1ジャンルの曲を練習するのはジャズのトレーニングとしては非常に効果が高いと思っている。

自分でもよくビバップを取り上げて練習するし、生徒に勧めることもしばしばある。

ジャズの一般的な演奏では予め決まったメロディを演奏する「テーマ部」と、そのテーマ部で用いられているコードチェンジに乗せて即興演奏をする「アドリブ部」があるが、ビバップは特にこの「テーマ部」を何度も何度も練習することに意味があると感じている。

その理由としては

・イントネーションが「ジャズ語」のそれに近くなる
・フレーズというものの成り立ちが理解出来る

というのが二つの大きな理由だ。

多くのビバップフレーズは小節の半拍前からスタートするものであり、そのスタート地点に自然なアクセントが付くようになるとイントネーションが「ジャズ語」に近づいてくる。というよりも、ジャズ語のイントネーションでないと歌いづらいようなフレーズの構成になっているので、そういった発音の矯正にもってこいなのだ。

フレーズの成り立ちを考えるのも良い。
少々専門用語が多くなるが、

「おっ、ここはディミニッシュ分解だ」とか「ディレイドリゾルブからのアルペジオか」とか「Ⅱm7に対してⅡm△7を当てるフレーズね」とか。

テーマ部のメロディはそのほぼ全てが「なぜそのメロディになっているのか」が理屈で説明がつく。

テーマ部の練習と同様に重要なのが「Charlie Parker やDizzy Gillespie やBud Powell といった生粋のビバッパーたちのアドリブ部のコピー(模倣)」でもあるのだが、このコピーをやる前にテーマ部の分析をしっかりと行っておくことでアドリブコピーの理解度も段違いになる。彼らのアドリブ部の大部分はテーマ部で使われている文法に則ったものだからだ。


もう一つ。ビバップの練習をすることによって

・器楽奏者としてのフィジカルが上がる

というものがある。

簡単に言ってしまうと、例えば我々ピアニストの場合、ビバップをあれこれしこたまやることによって動かなかった指が動くようになる、ということである。

スポーツで言えば以前より重いバーベルが持ち上がるようになるとか100m走のタイムが縮まるとかそういうことである。

だって難しいんだもん。ビバップ。そりゃあやってりゃ指も勝手に動くようになってくるよ。

ということで私はジャズピアノの学習の一つとしてビバップをやることを推奨している。

なお、練習時に何より大切なことは
・ゆっくり
・正確に
やるということだ。

速く雑にやると練習の効果は半分以下に落ちる、と私は思っている。

もちろん意味を感じられないもしくは単純にやりたくないという人はやらなくてもいい。

それは自由である。

今日の演奏動画。

Wes Montgomeryの作曲した『Monk's Shop』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月10日 (金)

何も持たずに歩きたい

今日は東京では雪が降るかもしれないと昨日の内からニュースで言っていた。

もちろん私は期待した。

本当にこれは怒られても仕方ないのだけれど、私は大雪とか大雨とか台風とかそういうものが大好きなのだ。そういう性分なのだ。本当に生きていて申し訳ない。

いざ今日になってみたら、全然雪なんて降っちゃいない。

またかよ、と項垂れた。

大体こんなもんなのである。

”10年に一度の大型台風”とかそういう大袈裟な物言いをしている時にその通りになったことなんてほとんどない。いつも期待ばかりさせやがって。

雪は降っていなかったけれど雨は少しだけ降っていたので、傘を差さずに家を出た。

私の中で「雨が降っている」と言えるか言えないかの基準があって、今日の雨は降っているけど「降っていない」に入るレベルだった。何を言っているのかわからないとは思うが、そういうものがあるのだ。理解してくれなくて良い。ただ”そういうものなのだ”と納得してほしい。

私は傘を差すのが大嫌いなので、多少の雨であれば「これは降っている内に入らない」ということで傘を差さずに家を出る。いいんだよ、濡れたって。

傘を差すのが大嫌いということの発端に”手に何かを持って歩くのが大嫌い”というのがある。

手に何かを持っていたら高確率でそれをどこかに置いてきて失くしてしまうからだ。もちろん傘なんてこれまでに何十本失くしたかわからない。

このことを考えた時に、「卵が先か鶏が先か」みたいなことを考えた。

私は手に何かを持ったら高確率で失くす

手に何も持たなくて済むようにいつもリュックサックや肩掛けカバンで移動する

余計に手に何かを持つ習慣が無くなる

たまに手に何かを持って歩くと慣れていなさ過ぎてそれはどこかに置いてきて失くしてしまう

やはり手に何かを持って歩くのはやめようと思う

さらに手に何かを持つ習慣が無くなる

こういうことなのである。

つい先日まで足の怪我のせいで松葉杖を持って生活していたが、その時にも何度も松葉杖をどこかに置き忘れそうになった。歩き出して足が痛いなと思った瞬間に「あ!松葉杖忘れてきた!」と気付くのである。”痛み”というのはリマインド機能としては非常に優秀であった。

なので今後も手に何かを持って歩かないことを目標にしたい。

無理なんだって。もう。

今日の演奏動画。

Freddie Greenの作曲した『Down For Double』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月 9日 (木)

30秒=5分=2時間

今日と明日は何も仕事のない無職Days。


やらなきゃいけない事務作業みたいなのもないので(あ、確定申告あるけどそれはもうちょい後でいいや)、二日間は丸々たっぷり通常のピアノ練習をしようと思っていた。

思っていたのに。

いつものように朝ドラを視聴して家でのトレーニングを終えてプロテインを飲んだあとにダラダラしてしまった。

ダラダラしていたら気付いたら二時間ぐらい経っていて、午前中を棒に振ってしまった。何をやっているんだ!

その時に朝のトレーニングを思い返しながら思ったことがあって。

毎朝のトレーニング、腹筋と首の筋肉を鍛えるV字バランス。昨日までは2分×2セットでやっていたのだけれど結構楽勝になってきたので今日から3分×2セットに延ばした。それぐらいならいけるかなと思って。

これがなかなかキツかった。

ラスト30秒ぐらいは全身がプルプルするし、時間が経つのがものすごく遅く思えた。

"この一瞬がぼくにとっては永遠だよ"

なんていうアホなJ-POPの歌詞みたいな言葉が頭に浮かんだ。

30秒が5分くらいに長く感じたのだ。

そのあとにダラダラ過ごしてた2時間は一瞬だったのにね。あんなもん体感では5分だよ。

ほら、っていうことは。

V字バランスのラスト30秒=体感で5分=布団でダラダラと過ごす2時間

つまり

30秒=2時間

の等式が成立する。これね、あながちデタラメじゃないと思う。

「何をやっているか」ということによって時間の長さって変わるんだよ、多分。

自分が死ぬ時のことをよく考えるのだけれど、その時に自分の時間の使い方をどう振り返るんだろう。

長かったと思うのかな、短かったと思うのかな。

まだやりたいこといっぱいあるんだよなあ。

今日の演奏動画。

佐藤良成さんの作曲した【ハンバートハンバート】の『大宴会』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月 8日 (水)

道具と方法論があっても

料理であれば美味いものを食べたという経験が無くとも、良い食材ときちんとしたレシピがあればあるいは美味い料理が作れるのかも知れない
。違ってたらごめん。

音楽に関してはこれは当てはまらないと思っている。

良い楽器があってきちんとした身体の使い方を知っていたからといって必ずしも美しい音を出せる訳ではない。

それはその人が美しい音を聴いた経験が無ければ、である。

その経験が無ければいかに「道具」と「方法論」があっても不可能だと思っている。

今日のピアノレッスンで、とある生徒の弾く音が急激に美しくなっていて驚いた。どうしたんだ?何があったんだ?と思って話をしていたら、最近美しい音のピアノ演奏を聴いたとのこと。あー、それでかと納得した。

頭の中に美しい音の「記憶」があることによって、身体が「結果」としてそれを発音する方法論を辿るんだなと実感した。

ピアノっていう楽器は練習しなきゃ5000%上達しない楽器だと思うのだけれど、練習しているだけじゃダメで、やっぱり聴かなきゃいけないんだなと思った。ライブだったりレコードだったりを。

レッスンで嬉しい瞬間ってのはあれこれあるんだけど、生徒の音色が美しく変わっていく瞬間はその中でもトップクラスに嬉しい。私は何にもしてなくて、本人の意識が変わっただけなんだけど。

指導者として数少ない出来ることの一つとして「誉める」はしておいた。

「随分音色変わりましたね。すげーっすね」って。それぐらいしか出来ない。

ま、いいや。そんなもんだ。

ピアノって、同じ楽器でも弾く人によって全く違う音が鳴るのが面白いな。

私ももっと美しい音で弾きたい。

自分の弾くピアノの音が美しくなりさえすれば他のことは全部醜くてもいいや。

今日の演奏動画。

Sonny Rollinsの作曲した『St. Thomas』をピアノとベースの「一人合奏」で弾いてみました。


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2023年2月 7日 (火)

ホワイトボードに降車駅を

酔っ払って電車で寝過ごしてとんでもないところまで行ってしまったことがある人は少なくないだろう。

私も何回もある。

「どこだここは!」と起きた時にはそれなりの絶望感がある。

なので、夜の電車で疲れて寝てしまっているのか酔っ払って寝てしまっているのかはわからないけれど、とにかく寝てしまっている人を見かけた時に、その人が降りる駅をホワイトボードか何かに書いて首からぶら下げておいてくれたら良いのにと思うことがよくある。

目の前の座席で寝ている人。この人どこで降りるんだろう、絶対寝過ごすよなあ、軽くイビキかくぐらい熟睡してるし。せめて降りる駅でもわかればなあ。

そんなことを思いながら電車で寝ている人を見ているのだけれど、私が見ている時は大体その人は降車駅でパッと起きて降りていく。すごくないか?私は終点まで行くよ。それで「どこだここは!」ってなるよ。一回寝たら起きないんだって。

降車駅でパッと起きて降りられる人を心から尊敬する。

それと、もしも首から降車駅を書いたホワイトボードをぶら下げている人を見かけたら絶対にその駅で起こす。

人間はみんな助け合いながら生きているんだよ。

今日の演奏動画。

Tadd Dameronの作曲した『Good Bait』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月 6日 (月)

順番を守らないのがものすごく気持ち悪い

漫画や本の”歯抜け状態”が昔から苦手だ。

例えば1巻と2巻を読んだけれど3巻と4巻をすっ飛ばして5巻に飛ぶ、みたいなこと。

もちろんいきなり5巻から読み始めるのも苦手だ。

そこまでの流れが気になって仕方ないのだ。

これは続きものの話でもそうだし、一話完結タイプのものでもそうだ。知らないキャラクターが突然出てきたりしてそれに困惑する。「ああ、多分このキャラクターはここまでにも登場してたんだろうな」と思うとその登場人物がどういう経緯で登場したのか、その背景には何があるのかが気になってしょうがなくなってしまう。

”そういう性格”なのだと自分では諦めているのだけれど。

昔、学生の時。受験の時や通常時の定期テストでもその傾向があった。

テストで点を取る秘訣の一つは絶対に「出来る問題からやる」なのだけれど、私はそれが出来なかった。わからない問題があるとそこでストップしてしまう。そこを飛ばして次の問題に進もうとしても、わからなかった問題のことがずっと気になって次の問題の話が入ってこない。

とにかくわからなかったその問題のことをずっと考えてしまうので本当に難儀した。

受験の時なんかはそれではダメなことがわかっていたからなるべくわかる問題から解くようにはしていたのだけれど、それが本当に気持ち悪かった。

こういう性格はなかなか治らないみたいで、今も大いにその傾向がある。

自分で決めた順番を守らないと気持ち悪い。多分朝のトレーニングや朝ドラ視聴のルーティンを崩さないのは私が真面目というよりも単純にそれを崩すことが気持ち悪いからなんだと思う。

こういうことがあまり気にならない人がたくさんいることも知っているけれど、私はどうにも気持ち悪くて。

何なんだろうね。

まいった。

今日の演奏動画。

Freddie Hubbardの作曲した『The Core』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月 5日 (日)

三週間ぶりの道場

昨日は怪我をして以来三週間ぶりに柔道の道場へ。

 

まだまだ通常の稽古は出来ないのだけれど、月初めなので月謝を納めに行かなきゃいけなかったし、そのついでに道場の隅っこで足の怪我に負担のない範囲内で基礎運動だけでもやらせてもらおうと思って。

 

三週間ぶりの道場。そして柔道着。

 

一年前に約20年ぶりに道場に行って柔道着を着た時には「懐かしい」という感覚よりも、あまりに久しぶり過ぎる為にかなりテンパっている感覚の方が強くて「戻ってきたなあ」という感慨はなかった。

 

でも昨日は"きちんと"嬉しかった。

 

道場の匂いを嗅いで、柔道着を着て、そして何よりも会いたかった人達に会えて。

 

前半は道場の隅でずっと一人で基礎運動。後半は先生方の乱取り稽古を見学。あれだね、真剣に見学するとかなり学ぶものがあるね。まさに文字通り「見て学ぶ」。はー、こういうステップしてるのかーとか、うわー先生やっぱり釣り手の使い方うめーなーとか。

 

真剣に見ているとどうしても「自分ならどう対処するんだろう」ということに想像が及んで、ついつい「おれもやりたい柔道やりたいやりたいやりたいマジやりたいやりたい今すぐやりたいやりたいやりたいやりたい」ということで頭の中がいっぱいになってしまうのだけれど、ここはぐっと我慢。

 

で、やっぱり一番好きな稽古の後の「礼」の時間。段位と年齢順に整列して正座して、姿勢を正して黙想、黙想やめ、からの正面に礼、お互いに礼、の時間。

 

古くさいと言われても良いし形式主義だと言われても良い。私はこの時間が好きだ。共に研鑽してくれた仲間と、道場という「場所」に対しての感謝と敬意を表すこの時間。

 

柔道は確かに格闘技なのだけれど、それ以前に武道であることを実感出来る。

 

勝負事でもあるから勝ちたいし負けたくないけど、勝ちゃあ良いってもんじゃねえんだよという一番大切なことをもう一回胸に刻む時間。

 

「自分らしさ」とか「本当の自分」なんて言葉はすごく嫌いなのだけれど、柔道をやっている時の自分は何となく好きだ。

 

稽古後は先生方と飲みに。当たり前だろ。行くに決まってんだろ。その人たちに会いたかったんだから。ガブガブ酒を飲むに決まってんだろ。何言ってんだ。深酒するに決まってんだろ。

 

来週の稽古は祝日なのでお休み。超寂しい。しっかり毎日のトレーニングをして再来週の稽古の時には怪我が治って少しでも柔道が出来たら良いな。

 

今日の演奏動画。

 

Wayne Shorter の作曲した『Backstage Sally』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月 4日 (土)

二月ライブのお知らせ

ライブのお知らせ。

2月のライブはこの二本。

どちらも素晴らしいミュージシャンとの共演ですので超絶オススメです。

是非見に来てください。いや、来るように。

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2月23日(木祝) 東京立川 Jesse James
042-525-7188
http://jessejames-tachikawa.music.coocan.jp/
vocal:高原かな piano:福島剛
19:00~start music charge:2600円

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2月25 日(土)東京小岩 Back in time
03-3659-0351
http://www.bqrecords.net/backintime.htm
sax:登敬三 piano:福島剛
20:00~start  music charge: 2500円

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成功する人は週末を無駄にしない

電車に乗っている時に車内広告で「成功する人は週末を無駄にしない」というコピーの書かれた広告を見た。

見た瞬間に名状しがたいもやっとした感情がやって来たが、とりあえず心の中でスルーしておいた。

スルーしつつも「これはきちんと考え直すとブログのネタになるから後で酒を飲みながら考えよう」と思ってメモだけしておいて、その数時間後に酒を飲みつつそのもやっとした感情について考え直している。

まず、私が
・成功する気配すらない上に
・週末どころか人生を丸々全て無駄にしている

からもやっとしたのは間違いないのだが、そういった厳しめの現実を直視し過ぎるとメンタル面でよろしくないのであまり直視しないようにする。私は現実を直視しない。繰り返す、私は現実を直視しないっ!

現実から全力で目を反らしつつ考えたのだが、おそらく私は"成功するために"何かをする(この場合では週末を無駄にしない)ということにもやっとしたのではないかという結論に至った。

私の行動原理、あらゆる行動に対する動機はかなり純度の高いレベルで「やりたいから」というものを基準に作られている。

やりたいことはやる。やりたくないことはやらない。

ワガママなことは100も承知。いや、億も承知。でももう仕方ないのだ。もうとっくに手遅れなのだ。

もちろん多少はブレる。

お金をたくさんもらえるならばやりたくないことでもたまにはやる。私の歪んだ性格を矯正出来るのはお金以外に無い。

しかし行動原理の根本がそのようにワガママに出来上がってしまっているので、その広告を見た時に「成功したいという理由で週末を無駄にしないというのはどういう了見だ」とモヤった次第だ。

これまでにも心ある諸先輩方から「音楽家として成功するためにはこういうことをやった方が良い」というアドバイスをたくさん頂いたことがある。

今思い返してもそうやって頂いたアドバイスは全て理に敵っていたのだが、カスである私はそれらのほとんどを無視して「やりたいことをやるのに忙しくてやりたくないことをやっている時間がない」と傍若無人に振る舞ってきた。

「あいつに何を言っても無駄」となってしまった今、もはや私にアドバイスをくださる方はほとんどいないが、それでもまれにアドバイスをくださる根気強い方もまれにいらっしゃって、そういうレアな方のアドバイスは極力聞くようにしている。

若い頃は多少「成功したい」という気持ちがあったような気もする。人から認められたいとか評価されたいとか。

いつの間にか自分でも気付かない内にそういう感情がどこかに霧散した。

元々心の中にあった「好き勝手に生きたい・一生遊んで暮らしたい」という感情のみが肥大し、今では惨憺たる有り様である。朝から晩まで全力で分刻みで遊んでいるので「成功するための努力」をしている時間が無いというのが現状だ。

救いようがない。

成功する人は週末を無駄にしない。

成功しない人は全人生を無駄にする。

だが反省はしない。

敗者の結論である。


今日の演奏動画。

Horace Silverの作曲した『Blue Silver』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年2月 3日 (金)

久しぶりの自由な一日

昨日まではやらなくてはいけないことがテンコ盛りにあったのだけれど、昨日の内にあらかた片付いたので今日は自由に使える日だった。

朝起きてトレーニングをしてから朝ドラを観るというルーティンをこなして、その後は簡単な朝飯と風呂。

風呂から上がったら着替えてそのまま歩いて接骨院に。

今日はやっと接骨院で借りてた松葉杖を返すことが出来た。

まだ歩いている時に痛くないとは言えないのだけれど、もう松葉杖無しでも歩いて良いはず。これでもう電車やバスで座席を譲られるというレアな体験もおしまいだ。

「すぎむら接骨院」の杉村先生から明日は道場に行っても良いという許可が出たので明日は道場に行こう。稽古はまだ出来ないけれど。嬉しいな。久しぶりの道場。

その後は仕事場へ行ってピアノの練習。やっと久しぶりにそれなりの時間通常の練習をすることが出来た。

ということで今日は演奏動画もたくさん撮って。

久しぶりに「一人合奏」の動画も撮ってみました。かなり手間なのよ。編集とか。なので時間がある時しか出来ない。

ということで本日の演奏動画。

Neal Heftiの作曲した『Cute』をピアノとベースの「一人合奏」で弾いてみました。

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2023年2月 2日 (木)

左ヒラメに右カレイ

ヒラメとカレイの違いを見分ける言葉に「左ヒラメに右カレイ」という言葉がある。

何回か前に生物は結構左右非対称だという話を書いたが、ヒラメもカレイも左右非対称な生物だ。比較的似ているこの二種を見分ける言葉が「左ヒラメに右カレイ」なのだ。

ヒラメもカレイもどちらも生まれた時は左右対称に近い形状をしているらしいのだが、成長するに従って目の位置がヒラメは左に、カレイは右に寄っていくらしいのだ。

その目の寄っている位置で違いを判断する。まあそもそも結構風体が違うのでパッと見てわかるっちゃわかるんだけど。獰猛な顔をしてるのがヒラメで、そうじゃないのがカレイ、みたいな感じで。

「左ヒラメに右カレイ」という言葉にちょっとした面白みを感じるのが、この"左"と"右"の判断が、魚側から見た時の位置だということだ。

観測者の側から見てではなく魚本人になった時に付いている目の位置が左寄り右寄りということなのだ。なので面と向かった時にヒラメの目は右寄りに、カレイの目は左寄りについているように見えるが、当人たちからしたらヒラメは左寄りについているしカレイは右寄りについている。

当たり前の話だがこれは人間同士でも当てはまるわけで、誰かと面と向かい合った時に私の左側に見える目はその人の右目であり、私の右側に見える目はその人の左目である。向かい合った時には左右が逆転する。

観測する立場によって見え方が変わるというのは、かつて相対性理論を学んだ時に「ホントだ!観測者によって速度や距離が変わる!」と驚いた時の喜びを思い出させてくれてとても面白い。

ついつい自分の立ち位置からのみ観測してしまうけど、観測する位置を変えると見えてくるものは変わる。

気をつけて生きていきたいものである。


今日の演奏動画。

Willard Robinsonの作曲した『Old Folks』をソロピアノで弾いてみました。

2021年3月13日にもやっているのでリテイクです。


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2023年2月 1日 (水)

二週間ぶりにトレーニング再開

怪我をしていて中断せざるを得なかった柔道の為の基礎トレーニングを、昨日から少しずつ再開してみた。

と言ってもまだまだ足は痛むので家での筋トレだけ。

腕立て100回×2セット、背筋100回×2セット、V字バランス2分×2セット、プランク4分。

怪我する前はここにスクワット1000回が加わっていたのだけれど、今は出来ないのでスクワットは無し。

スクワットが出来るようになって、公園で木に向かって打ち込みが出来るようになったらいよいよ本調子で復活なのだけれど、まだそこまではいかないかな。

でも大きな再開の一歩。

ついでに自宅から仕事場までの徒歩移動を松葉杖無しでやってみることにも成功した。

ゆっくり歩いたらいける。走ったりはまだ無理だけど。

私の頭の中でずっと三井寿が「安西先生…柔道がしたいです…」と言っている。

とりあえず今週の土曜には柔道は出来ないけど道場に行って道着は着てみよう。

少しずつ。少しずつ。

今日の演奏動画。

Dizzy Gillespieの作曲した『Groovin' High』をソロピアノで弾いてみました。

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