やりたいこと地獄
やりたいことが見つからない、ということで悩む人は多いと思う。
若い人たちがそういう悩みを吐露しているのを見ることがあって、その時に年長者の人が「きっとその内見つかるからさ、焦らなくて良いよ」と慰めたりなんかしていて。
その度にいつも私は心の中で「やりたいことが見つかってしまうとそれはそれで地獄だよ」と思う。口に出しては言わないけれど。
やりたいことはいつだってある。出来ないことが出来るようになりたい、知らない場所に行ってみたい、美味いものが食べたい。「欲求」と言い換えることも可能なのだけれど、そういうレベルで言えばやりたいことはいつだってあるのだ。
ただし「じゃあ全てを犠牲にしてやりたいことを好き勝手にやりまくって死ぬのだ」という覚悟があったかと言われれば、そういう覚悟を決めたのは結構最近な気もする。
もう全てを犠牲にしてでも音楽をやりたい。それと自分の中の一つのケジメとしてしっかり柔道もやりたい。
この覚悟が決まってしまうと地獄なのだ。
だってやらなきゃいけないから。誰から何を言われようが関係なく自分がやると決めた遊びを徹底的にやらないといけなくなるから。そしてそれらは他の何事よりも優先されてしまうから。
安定した生活、社会的な信用、余暇時間。
そういうものを全て投げ打ってひたすらに遊び倒さなくてはならない。人から怒られつつも「うるせえ!おれは遊ぶのに忙しくて働いている暇なんてねえんだよ!」と開き直らねばならない。
安定した生活がある人もうらやましいし、社会的な信用がある人もうらやましいし、余暇時間がある人もうらやましい。私にはその全てが無い。
いや、もはやうらやましいという感覚すらあやふやだ。「他人は他人、おれはおれ」というのが身体の中に染み付きまくっているし、何より目の前にある膨大な量の遊びを一つ一つ片づけていくのにとても忙しい。毎日分刻みのスケジュールで遊んでいる。
なぜならばそれらは全て「やりたいこと」だから。
こういった自分の生活は多分他人には理解されないだろうし、されなくても良いと心底から思っている。
だから本当にやりたいことは見つかったら見つかったでエライことになるから見つからなくてもいいというのが私の見解だ。
少なくとも「本当にやりたいことが見つからない人生なんてつまらない」という価値観には力強くNOを唱えたい。
今日の演奏動画。
Horace Silverの作曲した『Liberated Brother』をソロピアノで弾いてみました。
| 固定リンク
コメント
分刻みの忙しいスケジュールに、ブログ更新も入りましたね!私も分刻みにゴロゴロしなくてはならないので毎日忙しいです。
投稿: かよ | 2023年1月 8日 (日) 12時29分
分刻みにゴロゴロしなくてはならないという言葉に何とも形容しがたい力強さを感じます!カッコいいです!
投稿: 福島剛 | 2023年1月 8日 (日) 16時46分