不可思議な一礼
右足首の怪我は少しずつ回復してきていて、二本ないと歩けなかった松葉杖が先日片方の一本になった。
これは私にとっては非常に画期的かつ喜ばしいことだった。
練習や仕事が終わってから歩いて家に帰る時にはどうしても飲酒がしたい。歩きながら飲酒がしたいのだ。
両方の松葉杖をついている時にはこの路上歩行飲酒が能わなかった。何故ならば両手が松葉杖で塞がっているから。それが松葉杖が片方になれば片方の手は空いているので酒が持てる。これを画期的と言わずして何と言おうか。
少し前に「福島さん、よく一人飲みしてるんですよね?どこの店で飲んでるんですか?」と聞かれた時に
「店というか、路上です。歩きながら飲んでます」と答えたことがある。苦笑されたが仕方ない。事実だ。
私の飲酒スポットは原則として路上だ。コロナ禍で路上飲酒が問題視されたことがあったが、頼むから問題視しないでほしい。一人だから誰と騒ぐわけでもないしゴミも全て持ち帰る。路上飲酒のベテランの私になればそれぐらいの配慮は当然のように持ち合わせている。
歩いて飲酒しながらその日の練習についての振り返りをすることが多い。ここは良かったなとか、ここはうまくいかなかったから明日からはこうしようとか。
それから日々の取り留めのない感情の言語化。自分は何故こう考えたのか、何故こう感じたのかということを言語で自分の中に落とし込む。
私の中では結構大事な時間なのだ。
両松葉杖で禁じられていた路上飲酒が解禁になる。
松葉杖が片方になった日に、やっとこれで路上飲酒が、と思って飲酒しながら歩いて帰っていたところ、向かいからやって来た坊主頭の青年にすれ違いざまに会釈というか一礼された。
誰だろうと記憶を手繰ったが、その記憶の森のどこにも彼の姿はなかった。
全然知らない人だった。
彼はなぜ私に一礼したのだろうか。
そうか、と思った。
逆の立場で私は一礼をしたことがあった。
かつて見知らぬ老人が、身体から点滴の管を垂らしその点滴台と共に電車に乗り込んできたことがあった。大変だな何か力になれることはないかなと思いながら老人を見ていたのだが、彼は片手に競馬新聞を持って熱心に競馬の予想をしていた。
「筋金入りのクズである」と私は思った。
身体に点滴の管が入っているそのような状況になってなお博打がしたい。
これは一本筋の通ったクズなのである。
老人は若干よろめきながら錦糸町駅で降りていった。錦糸町には場外馬券場がある。
あまりの清々しいクズっぷりについつい私も「お疲れ様です!」と一礼してしまったことを覚えている。
おそらくそれと同じことが坊主頭の青年にも起こったのだ。
前からやってくる松葉杖の私。大丈夫かな何か力になれることはないかなと思ったら、片手に缶チューハイを携えている。松葉杖をつかなければならない状況になってなお飲酒を諦めない一匹のカス。
そうか、こいつは一本筋の通ったカスだなと思い、その清々しいまでのゴミカスぶりに青年は一礼をくれたのだ。
そう考えれば合点がいく。
なるほど。
今後もそのような周囲の期待を裏切らない為にも、路上飲酒道にも精進してまいりたい。
明日はライブです。非常に楽しみにしていたライブ。是非お越しください。
1月21日(土) 東京立川 Jesse James
042-525-7188
http://jessejames-tachikawa.music.coocan.jp/
vocal:高原かな piano:福島剛
14:00~start music charge:2600円
今日の演奏動画。
Burton Laneの作曲した『Everything I Have Is Yours』をソロピアノで弾いてみました。
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