【全日本喪に服さない協会】理事長として
年明けのこの時節、「喪中につき新年の挨拶は控えさせていただきます」という方もちらほらいらっしゃって、それを批判するわけでは無いのだけれど、私は昔からずっとこの「喪中」というものが嫌いだ。
【全日本喪に服さない協会】の理事長を自認しているぐらい私は喪に服さない。
端的に言ってしまえば、大切な人が亡くなった悲しみや喪失感と慎ましく暮らすことを結び付けるのは違うんじゃないかと思うからだ。
大切な人が亡くなった翌日に肉汁が滴るステーキを食べるのは間違ったことなのかと言えば、大切な人が亡くなった時などは私はむしろ積極的に美味いものをたくさん食べるべきだと思っているし、そういうことを不謹慎だと思っている人とは物事の価値観が多分ちょっと違う。
おそらく最も嫌っているのは「あなたは現在喪中なのだから楽しいことや面白いことは極力我慢して慎ましく暮らしなさい」という外的な圧力だ。悲しい人は涙を流してしおらしくしていなくてはならないという圧力が嫌いなのだ。
私にもこれまでに死という原因によって大切な人を失った経験はある。悲しかったし、凄まじい喪失感と、そして無気力感に襲われた。
何もしたくないならば何もしないのが一番良い。けれど何かをしたかった場合には我慢する必要はない。あなたが大人しくしていることを喜ぶ人にあなたの生活を同調させる必要は無い。
繰り返しになるが、喪に服している人を批判するつもりは全くない。
しかし私は喪に服さない。
悲しい時こそ美味いものを喰らえ。美しい音楽を聴け。会いたい人に会え。そして腹から笑え。
何故ならば私もあなたもまだ生きているからだ。
今日の演奏動画。
Benny Carterの作曲した『When Lights Are Low』をソロピアノで弾いてみました。
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