豚汁と味噌汁
豚汁が好きだ。
若い頃はそこまで好きじゃなかったような気もするのだけれど、中年になってから以降ずっと好きだ。
朝飯に食べるのも良いし、飲んだ後の〆めとして食べるのも良い。
豚肉がたくさん入っていたら入っていたで嬉しいけれど、入っていなくても構わない。牛蒡や大根、人参に玉ねぎ。たくさんの野菜をガブガブとかきこむのがとても好きだ。
とここまで書いて、不思議なことに気付くのである。
豚汁とほぼ同じ立場にあるメニューと言えば味噌汁だが、私は具だくさんの味噌汁はあまり好きではない。
味噌汁の具は一種類が良い。
あさりだけ、とか、なめこだけ、とか、油揚げだけ、とか。
玉ねぎや芋類が入っているのも好きではない。もちろん肉類などいらない。
シンプル・イズ・ベストが私の味噌汁に対する理想なのだが。
なぜなのだ。
同じ「味噌のスープ」ではないか、と思うのだ。
これはおそらく私のイメージの問題だ。
・豚汁は肉や野菜がたくさん入っているもの
・味噌汁は一つの具のもの
こういったイメージにより私は具だくさんの味噌汁を好まなくなっている。
「味噌のスープの中に野菜がごろごろと入っているもの」が私は好きなはずなのだ。何故ならば豚汁が好きなのだから。だが具だくさんの味噌汁は好きではない。
人間関係に置き換えて考えた時にこれは何かと言えば、誰かに対してこの人はこういう「役割」を果たしてほしい、と望んでいることに近いのかも知れない。
なかやまきんに君さんには常に「パワー!」と叫んでもらいたいし、さかなクンさんにはいつも「ギョギョギョ!」と驚いてもらいたい。
だが、このように人に対して「役割」を求めるということは不自由を強いていると言えなくもない。
なかやまきんに君さんも「いや、パワーも大事ですけどテクニックも大事ですし、何よりハート、心だと思いますよ」と言うこともあるだろうし、さかなクンさんも「肉もめっちゃ好きです」と言うこともあるだろう。
もちろんそう言ったとしても私はなかやまきんに君氏に対してもさかなクン氏に対しても何の幻滅も抱かない。彼らは単純なロールプレイヤーではなく、情緒や矜持を持った一人の人間であるのだ。
人の役割を愛するのはもうやめよう。人の本質を愛そう。
私はもう具だくさんの味噌汁に幻滅してはならない。
近いうちに豆腐と油揚げの入った味噌汁を作ってみたい。
今日の演奏動画。
Jerome Kernの作曲した『Smoke Gets In Your Eyes』をソロピアノで弾いてみました。
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