昨年末に免許証を失効した時の話 その2
昨日の話の続き。
昨年末に免許証を失効してしまって「やべえ!」となって色々調べてみたら再発行できそうなので、必要書類である本籍地記載の住民票を役所に取りに行ってから東陽町にある運転免許試験場に行った。
受付で「更新ですか?」と聞かれて「いえ、失効してしまって」と申し訳なさそうに言うと受付のおばさんが私の失効した免許を見て「あー、ちょっと切れちゃってるんですね、残念でしたね」と鼻で笑った。残念だよ、ほんとに色々。
そこで再発行の書類を諸々揃えた。「写真ありますか?」と聞かれて「ありません」と答えると「じゃああそこで撮ってください」と写真撮影ボックスを指でさされた。証明書用の写真800円。たけえ!
で、それから色んな支払いとか視力検査とか。視力検査はここ最近の老眼の進行のせいであんまりよく見えなかったのだが、勘で「右」とか「下」とか言ってたら運よく当たった。本当は見えてないからね。
その後は交通安全講習。みっちり一時間。
そこで考えたこと。
安全運転の基本の一つに「”だろう運転”よりも”かも知れない運転”」というものがあった。
そこの交差点、きっと人は飛び出したりしてこない”だろう”という運転よりも、ひょっとしたら人が飛び出してくる”かも知れない”という運転を心掛けなさいというもの。なるほど。
つまり自分本位に都合よく解釈する運転をするのではなくて、あくまでも他人の都合も勘案する、その結果色んな事態を想定して運転しなさいよということだなと納得した。
そしてその時に私の脳裏に「”だろう飲酒”よりも”かも知れない飲酒”」という言葉が浮かんだ。
これはまさに飲酒現場においても同じことが言えるな、と思った。
酒の席だし多少失礼な振る舞いや言動があったとしても嫌われたりはしない”だろう”という飲酒。これはイカンのだ。
酒の席とは言えあまりに失礼の度が過ぎると嫌われてしまう”かも知れない”という飲酒。我々はもう良い大人なのだから、こういう飲酒にシフトしていかなくてはならない。私はそう思った。
やはり昨年末の酒の席において久々に私は盛大に記憶をなくしつつ飲み散らかしたことがあったのだが、そこに同席した方に数日後「福島さん、こないだは飲みすぎちゃいましたねー、でも大丈夫ですよ、みんなそんなに怒ってないですから」と言われた時、私は額からものすごくイやな感じの滝汗をかいた。
「ちょっと待てー!!!!おれは何をしてたんだー!!!!おれはめちゃめちゃ失礼なことをしてたのかー!!!!頼むから誰かおれを殺してくれー!!!!」
背筋が凍る、とはまさにこのことだった。
”そんなに”怒ってないということは、”そこそこ”怒られるようなことはしている、ということだからな。
本当にこれからは「”だろう飲酒”よりも”かも知れない飲酒”」、これである。
他人の寛容さに甘えてはいけない。
ちなみにその後のド年末の知人たちとの忘年会でも派手に記憶をなくすまで飲み散らかしてしまった。
死ねば良いと思います。本当に死ねば良いと思います。
本日の演奏動画。
Donald Byrdの作曲した『Jorgie's』をソロピアノで弾いてみました。
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