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2023年1月

2023年1月31日 (火)

タバスコに罪はない

何年か前のこと。

とある個人経営の洋風居酒屋に行った時のことである。

ピザを頼んでワインを、なんてことを楽しんでいた。私だってたまにはそういうハイカラなことをすることだってあるのだ。主にサイゼリヤとかで。あるいはサイゼリヤとかで。その日は個人経営の店だったけど。

サイゼリヤほど安くは無いけれどそれなりに安くて、しかもピザが抜群に美味しかったのでとても満足しながらワインを飲んでいた。

私はピザにタバスコをかけたくなった。ピザが一味物足りないという訳ではなく、タバスコをかけてピリリと辛くすることでピザを更に「ワインがススムくん」に変貌させようという目論見だった。

すみませんタバスコ頂けますか、と店主に声をかけた。

すると店主は
「ウチはタバスコとか置いてないんですよね」と一言。

あ、そうですかすみません、と言うと
「タバスコかけちゃうと全部タバスコの味になっちゃうじゃないですか」と。

むー。

確かにそうかも知れない。

タバスコは酸味もあったりでだいぶクセが強いので店主の言うように全部タバスコの味になっちゃうかもしれない。

でもそれ言ったら魚の刺身だって醤油つけたら全部醤油の味になっちゃうみたいなことにならないか?などと思いつつも、まあ仕方ないこのまま食べるかと思ったら店主が「ウチはこれなんで」と言ってタバスコではない"透明なタバスコみたいなやつ"を出してくれた。沖縄のコーレーグース(島唐辛子を泡盛に漬けたやつ)の洋風な感じのやつだった。

はあ、ありがとうございます、と言ってそれを使わせてもらった。

食べている時に「こっちの方が良いでしょ?」と聞かれて、まあ確かにタバスコほどクセが強くないのはわかるけれどおれはタバスコがほしかったんだよなあと思いながら「はい、美味しいです」と答えて、その店には多分もう行かないなと心の中で思った。

店主の勧めた洋風コーレーグースが悪いという訳ではない。その前の「タバスコかけるやつはバカ舌」みたいなくだりが私には必要なかったのだ。だって私はタバスコが好きなんだから。

自分が良いと思うものを他人に勧めるのは全くもって悪くないと思う。特に料理屋なんていうのは「これが美味しいと思うんです!どうですか!?」というスタンスでやっていて当然なので店主がその洋風コーレーグースを勧めるのは全くもって悪いことではない。

ただしその際にタバスコをdisる必要はなかったのだ。

自分が良いと思うものの優越性を示す為にそれ以外のものをdisるという構図に私は多分「何だかなあ」という気分になった。

おそらくこれが
「タバスコ頂けますか?」↓「お客さん!タバスコも良いんですが今日はこれを試してみませんか!?」

と言って件の洋風コーレーグースを差し出されたら、私は「何これ!さっぱり!ピザの味を邪魔しない!なおかつワインがススムくん!」と大満足してそれを使っていただろう。

こういうのって、ちょっとしたことなんだけどね。

その洋風居酒屋は数ヶ月後に店の前を通ったら無くなっていた。潰れたのか移転したのかはわからない。

タバスコをdisらなければあるいは、とも思ったが、それは店主の自由なのだ。

自分の好きなものを誰かに勧める時に、それ以外のものをdisらない。

この時に得た教訓である。


今日の演奏動画。

Buddy Colletteの作曲した『April Skies』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月30日 (月)

2023年1月26日~旅日記その5 (最終回)

四日目(1月29日)~ 五日目 (1月30日)


四日目 (1月29日)

四条大宮のネットカフェで二時間少々であれこれメールをしたりしてから出発。

奈良まで行くのはどのルートが良いかなと検索したところ、四条大宮から京都駅までバスで行ってそこからJR奈良線に乗るのが一番良いと思いまずはバスで京都駅まで。

京都駅に到着して奈良線の出発時刻を確認すると、一番早い「みやこ路快速」という電車の出発まで30分近くあった。

ネットカフェに行く前に松屋で豚汁しか食べていなかったのでここは駅そばでもいっとくかと思って奈良線とは別のホームにある駅そば「麺家」へ。

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関西のJRの駅ではよく見かけるチェーンの立ち食いそば屋で、これまでに何回か来たことがあるがそれなりに美味しかった記憶がある。

月見そば390円を注文。「天かす無料なのでご希望の方はお申し付けください」と書いてあったので、お願いしてみた。

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これが大当たり。

”揚げ玉”タイプの天かすはあまり好きではないのだけれど、ここはきちんと”天ぷらのカス”タイプの天かす。非常に満足。天かすと生卵の相性も抜群。

美味しかったなあ、と恵比須顔で奈良線のホームに向かう。実はJR奈良線に乗るのは初めてだった。

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奈良線の見た目はこんな感じ。レトロでカッコいい。

乗り込んでみたら、
・座席はクロスシートで
・トイレ完備
という私が在来線の中で「最強」と考えているタイプの車輛だった。

逆に
・座席はロングシートで
・トイレはない
というのが「最弱」な電車だ。そう、静岡県走ってるお前のことだよ、JR東海道本線!
*最近はたまに「最強」タイプの東海道本線もいます。

最強タイプの電車は二時間乗ってても苦にならないのだけど、この日は30分程度で奈良に到着。

JR奈良駅から20分程度歩いて「ブルーノート」へ。

この日は二日前に引き続き市川修先生の追悼イベント。

久しぶりにお会いするギターのキサクモトフサさんとベースの三原脩さん、それからボーカルの市川芳枝さんがホストを務めてくださった。

心を込めて全曲演奏したことはしたのだけれど、皆さん素晴らし過ぎて追悼という会の主旨を忘れて演奏に没頭して楽しんでしまった瞬間もしばしば。楽しかったなあ。

19時過ぎに会が終わり。みんなまだ残って昔話に花が咲いていたのだけれど、早めに失礼する。そこから大阪に移動して深夜バスに乗らないといけなかったからだ。

バスの出発は大阪の天王寺。

天王寺という街は行ったことが無かったのだけれど、何となく赤羽や蒲田や小岩のような飲み屋街を想像していたのに行ってみたら全然違った。大都会だった。

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ちょっと話が違うじゃねえかと思いつつ、まずはバスの発着所をを探す。すぐに見つかった。

それからは飲み屋探し。

ほどよく酔っ払ってしまって夜行バスでも得意の気絶寝落ちをカマそうという魂胆だった。

大都会の中でも”安い飲み屋を探す嗅覚”を研ぎ澄まして歩いているとこんな感じの路地を発見。

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よしよし、こんな感じの路地にこそ私の求めている飲み屋はあるのだ、と思って探索を続けていると

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こんな飲み屋を発見。生ビールが180円は安い!と思ってここに突撃。あんまり串カツの気分ではなかったのだけれど、生ビール180円にはなかなか抗えなかった。

店に入って生ビールと串カツを数本注文。どれも美味しい。「豚ヒレ肉」じゃなくて「豚ヘレ」ってなってるところが大阪だよね、良いよね大阪、と上機嫌で生ビールを飲んでいた。

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すごく気分良かったのに。

隣に感じの悪いオッサンがくるまでは。

あれ、何なんだろうね、飲み屋で店員にすごく横柄にいちゃもんつけるオッサン。会話丸聞こえだけどどう考えてもオッサンが理不尽だし、なのに何であんなにエラそうなんだろう。段々不愉快になってきて「オッサンうるせーよ、オモテ出っか?おい」と言いそうになるもぐっと我慢。店員さんに「あなたは悪くない」ということを伝えるために低姿勢に注文し、綺麗に完食し、会計時に「美味しかったです、ありがとうございました」とオッサンにも聞こえるように言うことで精一杯のイヤミをカマしてやったんだけど、ああいうバカタレはそのイヤミも理解できないんだろうなと思うとげんなり。ホント、飲み屋で店員に横柄に振舞うのは超絶ダサいからやめよう。

ちょっと機嫌を損ねたけれどバスの集合時間に間に合うように停車場に移動。バスに乗り込む。

隣に人が座るタイプの4列シートのバスだった。隣に人がいるのイヤだけど仕方ない、と思っていたのに誰も来なかった。バスはそれなりに混雑していたのだけれど。これはラッキー。

昔から夜行バスで寝るのがあまり得意ではないのだけれど、この日は疲れていたし180円の生ビールを4杯も体内に注入しているので得意の「気絶寝落ち」に成功。一回だけトイレ休憩の時に起きたけど、それ以外は爆睡。起きたら東京だった。

五日目(1月30日)

東京に着いたのが朝の6:00。

東京から山手線に乗ってまずは日暮里まで。そこから京成線に乗り換えるのだけれど、乗り換えがてら朝食に日暮里の立ち食いそば屋に行こうと思って。

日暮里で一旦改札を出た時に朝焼けが見えた。

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朝焼けを眺めながら、そっか、これで今回の旅も終わりかと少し感傷的になった。

良い旅だったな、楽しかったなと思い返してその景色をしばらく眺めていた。

そこから歩いてすぐのところにある立ち食いそば屋「六文そば」へ。たぬきそば280円を注文。

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良いね、安定の美味さと安さ。

10代の終わりごろからずっとこういう貧乏スタイルの旅行を好んでしてきて、もちろんそれは「時間はあるけどお金はない」という理由からそうせざるを得なかったのだけれど、40代を越える頃には「お金はあるけど時間と体力が無い」ということになっているのかと思っていたのになっていなかった。

40代を越えても「時間はあるけどお金はない」。そこは何も変わっていなかった。体力は若いころに比べれば落ちているけどまだまだあるから大丈夫。

次の旅は二か月後の3月末。次回は「青春18きっぷ」を使った鈍行列車の旅になることが既にほぼ確定している。

お金はないけれど、会いたい人たちに会って、思い切り演奏して日銭を稼いで。

こういう生活が多分この後もずっと続く。

悪くない、と思っている。

旅日記は今日でおしまい。

明日から通常日記に戻ります。

読んでくれた方、ありがとうございました。

(追記:ここまでの旅日記にも少し写真追加しときますので良かったらそちらもお楽しみください)

今日の演奏動画。

Gerry Mulligunの作曲した『Out Back Of The Barn』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月29日 (日)

2023年1月26日~旅日記その4

三日目(1月28日)~四日目(1月29日)前半


三日目(1月28日)

大阪から京都の伏見桃山へ移動してライブ。

この日は「レミューズカフェ」でボーカルの西池のりこさんとベースの平川雅子さんと。

色んなことを考えながら、感じながら。一生懸命やってきた。楽しかった。お客さんも楽しんでくれていたと思う。多分。


この日の宿は知り合いの家。ライブにも来てくれていた喫茶店「ぎやまん」の店主片山宅。もう20年以上の付き合いなので、京都に来た時には安宿で何泊かして最終日にそこに泊めてもらう、というパターンが多い。今回もそのパターン。

演奏が終わってお店を出たら何人かでタクシーに乗り合わせて片山宅まで。

ボーカルの西池さんは私以上に片山さんとは長く親しい間柄なので一緒に来て宅飲み。飲みすぎた。

もちろん気絶するように寝落ち。毎日気絶するように寝落ちしてるなあ。


四日目(1月29日)

片山宅を昼前に出発。

右足の怪我と四十肩の痛みをやわらげる為に痛み止めの薬が飲みたかった。

食後の薬なのでどこかで何か食べるかなと思案するもそんなに腹は減っていないしどうしようかなとなる。

ここで一つの妙案が浮かぶ。

目の前に牛丼チェーン店の「松屋」があって、「ここで豚汁だけ注文ってできるのかな?」と思いつく。

ちょっと恥ずかしい気持ちもあったけれど、それが今の自分にとってあまりに”ちょうどいい”だったので敢行。

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結論から言うと、かなり良かった。

豚汁単品で190円。野菜も肉も入っていてお腹は満たされて温かくて。無事痛み止めの薬も飲めたし。

店の人には貧乏な注文をしてしまって申し訳ない気持ちもあるけれど、本当にこれがちょうど良かったんだ、ごめん。

その後にネットカフェにやってきて仕事のメールをいくつかやってこうやってブログを書いて。

今日はこれから奈良で法事イベントへ。

そのあと大阪から深夜バスで東京に帰る。


今日の演奏動画。

Richard Rodgersの作曲した『People Will Say We're In Love』をソロピアノで弾いてみました。


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2023年1月28日 (土)

2023年1月26日~旅日記その3

二日目(1月27日)~三日目(1月28日)前半


二日目(1月27日)

ホテルを出たらこの日はまずはバスで西院まで。4月にやる予定のライブのチラシを置かせてもらいに「さうりる」というライブハウスへ。

4月1日(土)の夜にピアノトリオやるからね。これ読んでる人は来るように。

チラシを置かせてもらってお店を出て、すぐ近くにあるラーメン「横綱」でラーメンを一杯ずるっといっとく。若い頃よく食べた味。懐かしい。

「横綱」はネギが入れ放題なのでついつい入れすぎてしまう。さらに"ニントン"というニンニクと唐辛子をミックスした調味料があってこれも入れすぎてしまう。

ネギとニンニクと唐辛子にまみれたラーメンを完食して、おそらく世界で一番口の臭い人間になる。大丈夫だよ、マスクしときゃあ。大丈夫大丈夫。

そこから出町柳に行きたかったのだけれど、距離としては結構離れてるのでどうやって行くかなーと考えていたら、一本で直通するバスがあった。ラッキー。京都のバス網の発達は相変わらずすごいなと思う。

出町柳ではいつも行く馴染みのジャズ喫茶「LUSH LIFE」へ。ここでマスター夫婦や顔見知りの常連と話しながらレコードを聴きつつコーヒーを飲むのが至福の時間。色んな"幸せな瞬間"があるけれど、これはささやかながらも本当に幸せな瞬間。

実はこの日のライブ、この時点では開催するかどうかが未確定だった。

京都はこの日も朝から悪天候で雪が降っていて、交通機関の運休なども予測されていたので。

「LUSH LIFE」でコーヒーを飲んでいる時にライブ決行の連絡が来てガッツポーズ。昼過ぎからは雨もあんまり降っていなかったから。やったぜ。

急いで宿に戻って集中して気合いの一時間仮眠。これをやるとやらないで全然違う。ライブ前の仮眠は本当に良い。

この日のライブは先斗町「スターダストクラブ」で。ボーカルの市川芳枝さんとベースの村田博志さんと。

二ヶ月に一回、定期的にやっているライブなのだけれど、この日はサブタイトルがついていて【市川修メモリアル】。

市川修さんというのは市川芳枝さんのご主人であり、私のピアノの先生だ。17年前の1月31日に亡くなった。毎年1月の「スターダストクラブ」の時にはこのタイトルでやっている。

先生、おれまだにっちもさっちも行かないでピアノも下手くそなまんまなんですけど、まだ諦め悪くジャズやってます。

先生に会えて良かったなあと思いながらピアノを弾く。芳枝さんと村田さんと共に心を込めて。

良いライブだったと思う。終わった後にすごく幸せな気持ちになっていた。

お店を出てからちょっと寄り道して飲酒してホテルに帰る。

またもや寝落ち。帰ってきた時の格好のまま気絶するように寝てた。

三日目(1月28日)

気絶するように寝落ちしたのに起きたら9:50。ホテルのチェックアウトは10:00なのに。

急いで荷造りして寝ぼけまなこでチェックアウト。

そのまま急いで阪急河原町駅に向かう。この日は大阪梅田でトリオ(ベース鶴賀信高、ドラム市川綾野)のスタジオ練習。

四条駅への道すがら、鴨川のベンチで寝転がってカップ焼きそばをツマミに日本酒「○(まる)」の大きいパックのやつをがぶ飲みするホームレス風の人を見て「なんか、カッコいい…!」と思った。

阪急で河原町から梅田に移動。

梅田に来たら必ず行きたいそば屋があって、阪急梅田駅のホーム構内にある「若菜そば」。かけそばが290円と安くなかなか美味いのだけれど、更に天かすが無料なので実質たぬきそばが290円。これは素晴らしい。

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横に座った客が「たぬきそば」と注文していて、「え?たぬきそばならかけそば注文すりゃあ良いのに」と思って横目で見ていたら、私が「きつねそば」と認識しているものが出てきた。そうだったそうだった。これは文化の違いで大阪で「たぬきそば」と言えば私の知っている「きつねそば」なのだ。面白いなあと思った。

トリオの練習は充実の練習。かなり良い練習が出来た。

常にディスカッションしながら発想方法の確認をしたり、難曲に挑んで盛大に爆死してみたり。こういうのが"練習"なんだよなあと思いながら。すごく楽しかった。

スタジオが終わって今後の打ち合わせをして解散。

夜はライブなので移動しなきゃと思って京阪の淀屋橋駅まで歩いている途中のこと。

堂島川の横に喫煙所があってそこでタバコ一本吸ってから行こうと思ってタバコを吸いながらスマホを見ていたら、あるニュースを見て背筋が痺れた。涙がこみ上げてきた。

全日本ボッチャ選手権で高橋和樹選手が優勝したというニュース。

なぜこのニュースに私が涙ぐむほど喜んでいるのかは話すと長くなるのでまた機会があれば。

とにかく嬉しかった。喫煙所には私一人しかいなかったので、「お…うおおっ…!」と叫んでしまった。

喫煙所を出て堂島川にかかる橋の上でもう一回そのニュースを見る。

やっぱり涙が出てくる。

そして背筋が痺れて鳥肌が立つ。

勇気が溢れてくる。

こんな嬉しいニュースもそうそうない。

これから夜のライブ。

私も私のステージで全力を尽くそう。

今日の演奏動画。

細野晴臣さんの作曲した『Night On The Galactic Railroad ~銀河鉄道の夜~』(映画【銀河鉄道の夜】メインテーマ)をソロピアノで弾いてみました。

2019年10月17日にもやっているのでリテイクです。



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2023年1月27日 (金)

2023年1月26日~旅日記その2

一日目中盤~終盤

新幹線ってたまにしか乗らないのだけれど、乗るとその速さにびっくりする。今回は新幹線の中でも最ものんびりしている”こだま”なのだけれど、それでも十分すぎるくらい速い。

いつもの鈍行列車旅だと二~三時間走って初めて神奈川終了、さてこれから地獄のような長さを誇る「魔の静岡県」かーとなるようなところが、新幹線だとこだまですら三時間走るともう名古屋辺りまで行ってしまう。魔の静岡県なんてほとんどなかったかのようなものになってしまう。

結局8時前に東京駅を発車した新幹線は12時前に京都駅に到着。京都まで四時間かからないとかどうかしてると思う。

先日からの寒波で大雪が降っていたらしい京都はどうなっているかなと思って降り立ってみたけれど、そんなに寒くないし雪も大体溶けていた。結構防寒をしっかりしてきたんだけど、しっかりし過ぎたせいでむしろ暑いよ。

とは言え東京よりは遥かに寒い。さすが京都だなーと思っていたら、京都駅に”おなかちゃん”がいた。

”おなかちゃん”というのは胸の下ぐらいまでしか無い短い丈のシャツを着ておなかを出している若い女の子のことで、ここ最近ちょくちょく見かける。多分流行っているんだと思う。私は彼女たちのことを”おなかちゃん”と呼んでいる。

おなかちゃんは通称”大阪のお姉さん”(大阪のおばはんの意、関西では何歳であろうとも年上の女性は”お姉さん”と呼びましょう)と並んで人類最強の生物なのではないかなと思う時がある。

半分冗談半分本気で、激化する戦争の最前線には兵隊などではなく大阪のお姉さんを派遣すればあらゆる戦争は鎮火するんじゃないかと思っている。

「あんたなに鉄砲なんか構えてんねん、危ないやろ、ほれ飴ちゃんあげるし舐めとき!」

「なに爆弾持ってんねん!爆発したらどないする気や!こないだ近所の鈴木さんとこでもちっちゃいガス爆発あって台所壊れて修理代えらいことかかったらしいで!」

戦う気勢を根っこから削いでくれそうな大阪のお姉さんは間違いなく人類最強の生物だが、それに匹敵する強さを持つのがこのおなかちゃんなのではないかと思うのだ。

極寒の鍾乳洞の中で元気におなかを出している”おなかちゃん”を見た時に「こいつ…概念としても生物としても、強い…」と圧倒されたことがある。

SNSでの”バえる”写真を撮るためには一切の妥協を許さない。極寒の鍾乳洞の中でも雪が残る京都駅の前でもおなかちゃんはおなかを出す。

ひょっとしたらおなかちゃんもあらゆる戦争を終わらせる逸材なのかもしれない。

最前線の兵士に
「銃とか構えられて怖くてぴえん。むしろぱおん。てか写真撮らん?」

いけそうな気がする。

雪の残る京都駅で”バえる”写真を撮っていたおなかちゃんは間違いなく強い。

京都駅からバスに乗って四条大宮へ。一つだけピアノレッスンの依頼があったので、それをやりに。

レッスンは滞りなく終了。普段と違うところでレッスンをするのは勝手が違うことがたくさんあるので事前の準備が大事だなと実感。今回は一時間早くスタジオに着いて色んな資料を事前に準備出来ていたので良かった。

レッスンを終えてからホテルへ。ホテルと言っても今回はドミトリー。二段ベッドの内の一つだけが自分のスペースというタイプの安宿。以前にも泊まったことのあるホテル。以前はかろうじて日本語が通じたのだが、今回はスタッフの方には一切日本語が通じず。OK。マイ・プア・イングリッシュでどうにか乗り切ろう。でたらめな英語を自信満々に話すことに関しては多少の自信があるのだよ私は。

座って半畳寝て一畳の安宿も私からすれば快適そのもの。チェックインして早々に一時間の昼寝。これでかなり体力が回復する。

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夜は三条の【セサモ】へ。最終木曜日恒例のジャムセッション。いつも参加してくださる凄腕の方々と遊んでもらう。

珍しく、セッションには参加しないリスナーの方が客席に何人かいらっしゃった。

「聴いてもらえるのもありがたい」と思って一生懸命全曲演奏した。

終わって帰り支度をしている時にリスナーとして来ていた見知らぬ方に「いつもお世話になってます」と声をかけられて「???」となってしまった。「何をお世話してますか???」と聞くと、どうやらその人はたまに私にネット経由で仕事のご依頼を下さる方だった。「えー!それはこちらこそいつもお世話になっております!」と答えたのだが、予想外のことにテンパって無事にコミュ障を炸裂させてしまった。すぐにテンパるなあ、こういう時。

でも、まさかそういう所でばったり会えるとはという喜びは大きい。

別件でこれまでにも演奏後に知らない人に声かけられて「いつもYouTubeの演奏動画見てたので実際に演奏に来ました」って言われることが何回かあったけど、そういうのも本当に嬉しい。「誰に見られてなくてもいいや」と思いながら地道にやってたことを見てくれてた人がいるって、なかなかに嬉しいことなのだ。

ジャムセッションを終えて宿へ帰る道すがら、いつも立ち寄る「Jazz in ろくでなし」で軽く一杯。たまたま隣に座った大学の卒業旅行で日本に来ているというカリフォルニア人の若者三人組とちょっと話す。もちろん悪びれずにでたらめな英語で。

こういう時には「日本ってどう?」と聞くのが面白い。もちろん向こうは最初は当たり障りなく「素晴らしいよ」とか「美しいよ」とか言うんだけど、その行間を読み取っていくというか。

「あなた方の国アメリカにも良いところと悪いところがある。それと同じで日本にも良いところと悪いところがあるんだよ」ってな感じでブッこんでいくと少しずつ正直な印象を教えてくれる。これが面白い。

1時間で三杯だけ飲んで帰宅。

ホテルのベッドでもう一杯飲もうと思って帰りにコンビニで缶チューハイを買ってきたのにあっさり寝落ち。

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二日目に続く。


今日の演奏動画。

Arthur Johnstonの作曲した『Pennies From Heaven』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月26日 (木)

2023年1月26日~旅日記その1

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今日から京都。

なのでブログはしばらく旅日記。

一日目

行きの新幹線の中から書く。

朝の6:00に目覚ましをかけて眠い目をこすって起きる。

行きは「ぷらっとこだま」というちょっと時間はかかるけど10000円ジャストで京都まで行ける新幹線の切符で。

8:00ちょっと前の発車なのだけれど今は怪我による松葉杖生活で機動力ががくんと落ちているので早め早めの行動を心がける。普段なら8:00発車の新幹線に間に合わせるなら7時前に家を出れば間に合うのだけれど、早め行動で6:30に家を出る。

冒頭の写真は出発時の京成小岩駅。いつもここから。

京成で日暮里まで行ってそこでJRに乗り換えて東京駅まで。

朝の通勤ラッシュが始まっていて座れず。

何回か前に「最近松葉杖生活なので電車やバスで席を譲られる」ということを書いたが今日はそういうこともなく立ったまま。

この時に思ったのだが、最近そういうことだったので電車に乗る時に「まあ誰か席を譲ってくれるだろ」なんてことをうっすら思っていた自分がいて、本当に恥ずかしいなと思った。

人の好意は確かにありがたいのだが、初めからそれを期待している私は何て卑しいのだろう、と。

こういう所に人間としての品格が表れる。少しでも「誰かが席を譲ってくれるはず」なんてことを考えていた私は本当に卑しい。下品だ。死んでほしい。

立ちっぱなしでも大したことはない。右足の怪我も随分治ってきて、一番痛かった時の数値を10とするならば今は5未満。余裕である。

東京駅には7:30ぐらいに着いた。

「よし、立ち食いそば食べる時間あるな」と思って新幹線の19番ホームに向かう。

新幹線19番ホームに唯一の立ち食いそば屋があって、新幹線に乗る時には必ずここでそばを食べる。足の痛みはマシになってきたとは言え、痛み止めの薬は服みたいのでそばを食べた食後に薬を服めば完璧と思っていそいそと立ち食いそば屋に向かった。

行ってみたら無くなってた。

すぐさまネットで検索すると、昨年の9月に閉店していたらしい。

なんだとー。

そういえば最近は節約の為にバスを使ったりしていて新幹線は久しぶりだったけど。

そうか、閉店していたか。

「由々しき事態だ」と呟いてから、何が悪くて立ち食いそば屋が閉店の憂き目を見たのかと考えたが、よくわからないのでとりあえず「政治が全て悪い」ということにして自民党を許さないことにした。

そばは食べられないけれど薬は服みたいので駅ナカのコンビニでおにぎりを買う。

東京駅は全体的に物価が高い。スイスぐらい高い。鮭と明太子の普通のおにぎりが200円近くする。おにぎり2つで400円弱って、スイスか!自民党を許さない!と思いながら仕方なくおにぎりを2つ買って新幹線に乗り込む。

新幹線に乗り込んで自分の座席で荷物を整理していたら、前に座っているおっさんが大きめのタブレットでエロマンガを読んでいるのが目に入った。

別にタブレットでエロマンガを読むのは構わないのだが、それは家でやれよと思った。もうちょっと恥とか外聞とかいう概念を持とうぜおっさん。

新幹線が8時ちょっと前に発車。

8時と言えば朝ドラ【舞いあがれ】の時間なのでイヤホンをつけてスマホのワンセグから視聴。

電車内でワンセグでテレビを視聴すると電波の関係で途切れ途切れになるという欠点があるのだが、今日はちょっとしたミラクルが。

新幹線が一つ目の停車駅品川駅で車両の安全点検の為に数分ストップした為、ほとんど途切れずにノンストレスで視聴出来た。

電車が再び走り始めてテレビが途切れ始めたのは朝ドラ後の情報番組【朝イチ】の"朝ドラ受け"が終わったあたりだったので、完全にナイスタイミング。

朝ドラを見終わってから、高級おにぎりを2つ食べて薬を服用。

そこから「今日のブログ書いとくかー」となってスマホでぽちぽち。

新幹線は今静岡駅を通過。ホントに早いな新幹線は。一時間半で静岡だもんな。

ということでここからは少しパソコンで仕事したら全力で寝る!

この後は京都に着いたらすぐにレッスンが一つ。夜はジャムセッション。

頑張ってまいりましょう。

今日の演奏動画。

Alan BrandtとBob Haymesの作曲した『That's All』をソロピアノで弾いてみました。2021年10月20日にもやっているのでリテイクです。

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2023年1月25日 (水)

ミュージシャンは寝袋こそ良いものを

高価な持ち物などほとんど無い私だが、寝袋だけは良いものを持っている。

今から16年前、27歳の時。京都の大学を9年間もかけて卒業して東京に戻ってきて「さあミュージシャンになるぞ」と本格的に考えた時に、私はなぜか「最初に必要なのは寝袋だな」と思った。今考えても「なぜなの?バカなの?」と思うが本当にそう思ったのだ。

おそらくその時は二つの理由でそう思った。
・これから色んな地域で演奏することもあるだろう。その時にきちんとしたホテルに泊まれるとは限らない。野宿のケースもありうる。ならば寝袋は良いやつを買おう。
・ミュージシャンになり損ねたらホームレスになるしかない。冬は寒いから寝袋は良いやつを買おう。

この二つの理由である。

当時ふらっと入ったパチンコで結構がっつり勝った時にその金で2万円(多分)ぐらいする寝袋を買った。これも今考えると「パチンコとかしてないで練習しろ」と思うのだが、20代の頃は今に輪をかけてバカだったのでパチンコとかもしていた。

理由はどうあれ、今もその寝袋は現役で活躍している。雪山でも寝られるようなやつである。

昨日、数十年に一度の大寒波が日本列島に来ているとニュースで報じられた。

こういう時は大体”言うほどでもない”時がほとんどなのだが、昨日はそれなりに気合の入った寒さと風だったので、家のベランダに出てその寝袋にくるまって30分ほど寝転がってみた。きちんと厚着をしていたこともあったし何より寝袋の保温パワーがすごいので全然寒くなかった。風がびゅーびゅー吹いていて「ふおおお、風が荒れ狂っていてカッコいいいいい」と寝袋の中で思っていた。

台風が来たときなんかにもこの遊びをよくやるが、私はこの遊びのことを「ビバークごっこ」と呼んでいる。ビバークごっこはマジで楽しい。

明日からしばらく京都に行く。演奏の予定があるからだ。

先々月も京都に行ったのだが、その時に泊まった安宿があってその安さ”のみ”があまりに魅力的だったので今回もそこに宿泊することにした。一泊2000円のドミトリー形式の宿である。再度言うが値段以外の魅力は一切ない。

昨日よりの大寒波で京都は冷えに冷え切っているらしい。

ここで登場するのが先ほどの寝袋である。

最強の寝袋を持っていけば、ぺらぺら布団の安宿でも風邪をひくことはおそらくないだろう。それぐらい私の持っている寝袋は暖かいのだ。

ここへ来て、27歳の私が考えていた
・これから色んな地域で演奏することもあるだろう。その時にきちんとしたホテルに泊まれるとは限らない。野宿のケースもありうる。ならば寝袋は良いやつを買おう。
はそんなに間違いではなかったということになった。

おかしいなあ。40歳も過ぎればいつでも新幹線移動でなおかつそこそこのホテルに泊まれるようになっているはずだったんだけどなあ。全然なってないなあ。

若いころに良い寝袋を買っておいて良かったと16年後の私はそう思っているわけである。

ということで明日からの演奏日程。

1月26日(木) 京都三条 Sesamo
075-251-0858
http://sesamo.okoshi-yasu.net/
「Sesamo open jam session」
vocal:市川芳枝 bass:矢野克宏 drums:大江秀明 piano:福島剛
20:00~start music charge:1500円

1月27日(金) 京都先斗町 Stardust Club
075-221-2505
http://stardustclub.jimdo.com/
vocal:市川芳枝 bass:村田博志 piano:福島剛
20:00~start music charge:2500円

1月28日(土) 京都伏見 レミューズカフェ
075-622-0014
http://lesmuseskafe.com/
vocal:西池のり子 bass:平川雅子 piano:福島剛
19 :00~start music charge:2000円

行ってきます。

今日の演奏動画。

Pepper Addamsの作曲した『Muezzin'』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月24日 (火)

豚汁と味噌汁

豚汁が好きだ。

若い頃はそこまで好きじゃなかったような気もするのだけれど、中年になってから以降ずっと好きだ。

朝飯に食べるのも良いし、飲んだ後の〆めとして食べるのも良い。

豚肉がたくさん入っていたら入っていたで嬉しいけれど、入っていなくても構わない。牛蒡や大根、人参に玉ねぎ。たくさんの野菜をガブガブとかきこむのがとても好きだ。

とここまで書いて、不思議なことに気付くのである。

豚汁とほぼ同じ立場にあるメニューと言えば味噌汁だが、私は具だくさんの味噌汁はあまり好きではない。

味噌汁の具は一種類が良い。

あさりだけ、とか、なめこだけ、とか、油揚げだけ、とか。

玉ねぎや芋類が入っているのも好きではない。もちろん肉類などいらない。

シンプル・イズ・ベストが私の味噌汁に対する理想なのだが。

なぜなのだ。

同じ「味噌のスープ」ではないか、と思うのだ。

これはおそらく私のイメージの問題だ。

・豚汁は肉や野菜がたくさん入っているもの
・味噌汁は一つの具のもの

こういったイメージにより私は具だくさんの味噌汁を好まなくなっている。

「味噌のスープの中に野菜がごろごろと入っているもの」が私は好きなはずなのだ。何故ならば豚汁が好きなのだから。だが具だくさんの味噌汁は好きではない。

人間関係に置き換えて考えた時にこれは何かと言えば、誰かに対してこの人はこういう「役割」を果たしてほしい、と望んでいることに近いのかも知れない。

なかやまきんに君さんには常に「パワー!」と叫んでもらいたいし、さかなクンさんにはいつも「ギョギョギョ!」と驚いてもらいたい。

だが、このように人に対して「役割」を求めるということは不自由を強いていると言えなくもない。

なかやまきんに君さんも「いや、パワーも大事ですけどテクニックも大事ですし、何よりハート、心だと思いますよ」と言うこともあるだろうし、さかなクンさんも「肉もめっちゃ好きです」と言うこともあるだろう。

もちろんそう言ったとしても私はなかやまきんに君氏に対してもさかなクン氏に対しても何の幻滅も抱かない。彼らは単純なロールプレイヤーではなく、情緒や矜持を持った一人の人間であるのだ。

人の役割を愛するのはもうやめよう。人の本質を愛そう。

私はもう具だくさんの味噌汁に幻滅してはならない。

近いうちに豆腐と油揚げの入った味噌汁を作ってみたい。

今日の演奏動画。

Jerome Kernの作曲した『Smoke Gets In Your Eyes』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月23日 (月)

左右非対称

人間に限らず生物の造形というのは本当によく出来ていて、それは見れば見るほどに美しいと思うことが多々ある。

なんでそうなっているのか、そしてなんで私がそう感じるのかは知らない。とにかくそう思うのだ。

ほとんどの生物が一見して左右対称の造形をしている。

けれど厳密には全然左右対称じゃないということをこの数か月間実感している。

ずっと悩まされている四十肩。この原因が老化による筋肉の硬化だということは以前にも書いたが、なぜ硬化するかと言えばそれは「使わないから」らしい。使わないことによって身体が「ここの部分はあんまり必要じゃないのね」ということで勝手に硬化させていくらしい。勝手に硬化させんなよマジで。勝手なことするのやめてもらっていいですか。

私の場合、四十肩は右肩からきた。私が左利きであるので、日常生活の中で無意識に左手ばかりを使っていたせいで、右手そして右肩は先ほど言ったように身体が勝手に硬化させていきやがった。ふざけんなマジで。

そうなってから日常生活の何気ない動作を右手と左手のどちらで行っていたのかを意識的に観察してみたら、やはり驚くほど左手を使っていた。

飲み物の自動販売機で釣銭を取るのも、電車の改札をくぐる時にSuicaを機械にタッチするのも、私は全て左手で行っていた。

なるほどなあ。道理で右肩が硬化するわけだ。でも勝手に硬化させられたのは許してないけどね。そしてその後にきっちり左肩も四十肩になったからひょっとしたら利き腕は関係ないのかもしれないけど。

あと、風呂上がりによくストレッチをする時のこと。そもそも私は「身体カタイカタイ星」の出身であるので身体がめちゃんこ硬いのだが、それでも左半身の方が若干柔らかい。右半身は鬼のように硬い。脚を伸ばすストレッチでも左足はそこそこ伸びるが、右足は全然伸びない。こういう時にも、ああ人間の身体って全然左右対称じゃないんだなあと実感する。

どうやら私は左右非対称ないびつな身体と、歪みがいつまでも取れないいびつな心を持って生きているらしい。

今日の演奏動画。

Richard Rodgersの作曲した『The Sweetest Sounds』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月22日 (日)

席を譲られる

ここ数日、足の怪我の為に松葉杖をつきながらの生活を余儀なくされている。

最初は慣れなかった松葉杖の扱いだが、徐々にコツがわかってきて足を痛めることなく歩行することが出来る。

段差の昇り降りのコツもわかった。私は今右足を痛めているのだが、
・昇る時は左足から
・降りる時は右足から
である。

この順序を誤ると「痛いっっっ!!!!」となるので注意が必要だ。

随分痛みもマシになってきたし早く松葉杖無しで歩けるようになると良いのだけれど。

そういう生活をしていて気付いたことがある。

電車やバスで座席を譲られるのだ。

これまでになかった経験なので最初はちょっと面喰ってしまった。

別に立っててもいいや、怪我してない方の左足だけで揺れる車内でバランスを取りながら柔道に必要なバランス感覚のトレーニングをすればいいやと思って立っているのだが、小脇に松葉杖を抱えた私は「身体の不自由な人」というカテゴリーに入るようで、心優しい方が「どうぞ座ってください」と私に声をかけてくれる。想像以上に「優しい人」はたくさんいるんだなあと思った。世界はそれほど悲観する状況じゃないのかも知れない。

で、今の所そうやって声をかけてくださる方の多くが若い女性だ。たまたまなのかも知れないけれど。

声を掛けられるとつい反射的に「あ、大丈夫っす!」と言ってしまうのだが、「いやお前大丈夫じゃねえだろ」という感じに窘められて席を代わっていただく。

なんなんだろう、この「あ、大丈夫っす!」は。

無意識の内に若い女性の前ではカッコつけたいとか思っているんだろうか。本当によく考えずに反射的に「あ、大丈夫っす!」と言ってしまうのだが、よく考えればあまり大丈夫じゃない。

あともう一つ、このことからわかったこと。

私がいつも電車やバスで誰かに座席を譲る時に、声を掛ける前に一瞬躊躇してしまう。

「いい人って思われたいからそうやってるんじゃないかと思われやしないか」とか「好意の押し売りってどうなんだろう」とか色々考えてしまう。

自分が一時的に「譲られる側」になった今言えることは、そんなことはないということだ。

私に席を譲ってくれた方に対して「あなたはいい人と思われたいだけなんだろ」なんて思わない。当たり前だろ(笑)

なので松葉杖が取れて怪我が治ったら、もっと気楽にフランクに座席を必要とする人に譲っていこうと思う。

怪我をすることで、一つ新しい景色を見ることができた。

今日の演奏動画。

Thomas "Fats" Wallerの作曲した『The Jitterbug Waltz』をソロピアノで弾いてみました。


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2023年1月21日 (土)

傷付くのも救われるのも音楽で

例外的に今日は二本目のブログ更新。ちょっと書きたくて。

今日はライブだった。

立川「Jesse James」でボーカルの高原かなさんと二人で。昼のライブだった。

終わってからは土曜日なので柔道の稽古に行こうと思っていたのだが、先週やらかした怪我が治らずに稽古には行けず、仕方なく小岩に戻って来て一人飲み。今日は寒いので珍しく店で。この記事は一人で店で飲みながら書かれている。

柔道の稽古に行けないのはなかなかにメンタルにくる。

どんどん自分が後退していくような焦燥感と、そして大好きな道場の柔道仲間に会えない寂しさと。

みんなと柔道したかったなあ、終わってから一緒に酒飲みながら柔道談義したかったなあ。そんなことを考えれば考えるほど気持ちは塞いでいく。とにかく早く怪我を治して稽古に復帰したい。そして大好きな柔道仲間の皆さんに会いたい。

愛する柔道を休まざるをえないそんな状況にも関わらず、今日の私はそれなりに気分良く小岩で一人で酒を飲んでいる。

それは今日ライブをしてきたからだ。

お客さんはそんなに多くなかったから、そういう意味では良いライブだったのかどうかはわからない。

自分の演奏が良かったのかどうかもわからない。ド派手なミスをいくつかやらかしたのをハッキリ覚えている。

それなのに、私は今は気分が良いのだ。色んな意味でプロ失格なような気がするが、気分が良いものを気分が悪いと嘘をつくほどの器量は私にはない。

高原さんと演奏させてもらうのは今日で三回目だ。

一回目の時に「この人すげー」という印象を持って、二回目の時には「間違いない、この人超すげー!!」となった。

三回目の今日はと言えば「幸せです。ありがとうございます」という気持ちがずっとあった。

そう。今日は幸せだった。

音楽をやっていて幸せな瞬間の一つが、心の底から共演者の音楽を素晴らしいと思える時だ。素晴らしいというか「おれはこの音楽(或いは表現)が好きだ」と思える時だ。これまでにも何度か経験があるが、今日もそうだった。

本番前に印象的だったことが一つあって、とある曲のリハーサルをしている時に私は曲の途中で「この曲はもうこれ以上リハーサルしたくないな、あとは本番の楽しみに取って置きたいな」と思った時に、高原さんが曲を止めた。「もうやめましょう、あとは本番でやりましょう」と。

嬉しかった。

ほとんどの曲がぶっつけ本番。何も決まっていない。その中で「今音楽がどうなっているのか」だけに全神経を集中させて、会話が噛み合ったり噛み合わなかったり。

ジャズやってるなー、と思った。

こういう事をやるために毎日鍛練してるんだよなー、と。

そして演奏中に何度も「ああ、おれはこの人の音楽が好きだ」と思った。

なので今日はすこぶる気分が良い。

自分に大小いくつものミスがあったにも関わらず。

これで柔道の稽古出来たら完璧だったなと思いつつも、今日はまあ勘弁しといたる。まだ松葉杖ついてるし。

しかしおれはヘッタクソだなー、センスねーなー、音楽やめりゃあいいのに、と毎日音楽によって傷付いているのに、救われる時は音楽によって救われるんだな。

こんなものなのかも知れない。

高原さんとの次回のライブは同じく立川「Jesse James」で2月23日(木祝)19:00~。

来るべし。


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今は薬がオトクに効く

コロナウイルスが流行り始めた時に「ウイルスは基本的に共生できないからコロナウイルスが流行っている間はインフルエンザウイルスは流行らない」という話をどこかで聞いて「ふーんそんなもんなのかなあ」と思っていたのだけど、今年の冬はそのどちらも流行っているそうなのでこの説はあまり信頼できないのかも知れない。

それとちょっとだけ似たような話で、これは私の身体の話。

昨年から怪我をあちこちにしていることは書いたが、「新しい怪我をすると古い怪我の場所が痛くなくなる」ということが私の中であって、尾てい骨の骨折をした時にはケツ周りが何をしても痛くて痛くて、日常生活に完全に支障をきたしていたのだが、その痛みに耐えていた所、老化現象により四十肩を発症し、その痛みが激しくなるにつれてケツ周りの痛みが気にならなくなっていた。肩の痛みがハンパじゃなくてケツ周りに構ってる場合じゃないっていうか。

そんなこともあるんだなあと思っていた。

今回は右足首を激しく怪我していて(折れてないから!)、その前から四十肩はずっとあって、ということはここまでの理屈で言えば四十肩の痛みは気にならなくなるはず!と期待していたのだが。

肩もずっといてえよ!めちゃんこいてえよ!

四十肩は痛いままだ。それプラス右足首も痛い。身体中あちこち痛い。まいった。

一つだけ良いことがあって、病院でもらったロキソプロフェンという痛み止めの薬を服んでいるのだけれど、これを服むと肩と足の両方の痛みがマシになる!

あまり薬全般が好きではないので肩の痛みぐらいだったら我慢して薬を服まずにおこうと思っていたのだが、肩も足もどちらも痛みがマシになるのならばバンバン服む。当たり前だろ。

ということで今私の身体はロキソプロフェンがオトクに効く身体になっている。

早く怪我が治ってほしい。

結論としてはコロナウイルスとインフルエンザウイルスは共生するし、足の捻挫と四十肩も共生する。

共生してんじゃねえよ。

今日の演奏動画。

Ben BernieとMano PinkardとHarry Wayne Caseyの作曲した『Sweet Georgia Brown』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月20日 (金)

不可思議な一礼

右足首の怪我は少しずつ回復してきていて、二本ないと歩けなかった松葉杖が先日片方の一本になった。

これは私にとっては非常に画期的かつ喜ばしいことだった。

練習や仕事が終わってから歩いて家に帰る時にはどうしても飲酒がしたい。歩きながら飲酒がしたいのだ。

両方の松葉杖をついている時にはこの路上歩行飲酒が能わなかった。何故ならば両手が松葉杖で塞がっているから。それが松葉杖が片方になれば片方の手は空いているので酒が持てる。これを画期的と言わずして何と言おうか。

少し前に「福島さん、よく一人飲みしてるんですよね?どこの店で飲んでるんですか?」と聞かれた時に
「店というか、路上です。歩きながら飲んでます」と答えたことがある。苦笑されたが仕方ない。事実だ。

私の飲酒スポットは原則として路上だ。コロナ禍で路上飲酒が問題視されたことがあったが、頼むから問題視しないでほしい。一人だから誰と騒ぐわけでもないしゴミも全て持ち帰る。路上飲酒のベテランの私になればそれぐらいの配慮は当然のように持ち合わせている。

歩いて飲酒しながらその日の練習についての振り返りをすることが多い。ここは良かったなとか、ここはうまくいかなかったから明日からはこうしようとか。

それから日々の取り留めのない感情の言語化。自分は何故こう考えたのか、何故こう感じたのかということを言語で自分の中に落とし込む。
私の中では結構大事な時間なのだ。

両松葉杖で禁じられていた路上飲酒が解禁になる。

松葉杖が片方になった日に、やっとこれで路上飲酒が、と思って飲酒しながら歩いて帰っていたところ、向かいからやって来た坊主頭の青年にすれ違いざまに会釈というか一礼された。

誰だろうと記憶を手繰ったが、その記憶の森のどこにも彼の姿はなかった。

全然知らない人だった。

彼はなぜ私に一礼したのだろうか。

そうか、と思った。

逆の立場で私は一礼をしたことがあった。

かつて見知らぬ老人が、身体から点滴の管を垂らしその点滴台と共に電車に乗り込んできたことがあった。大変だな何か力になれることはないかなと思いながら老人を見ていたのだが、彼は片手に競馬新聞を持って熱心に競馬の予想をしていた。

「筋金入りのクズである」と私は思った。

身体に点滴の管が入っているそのような状況になってなお博打がしたい。

これは一本筋の通ったクズなのである。

老人は若干よろめきながら錦糸町駅で降りていった。錦糸町には場外馬券場がある。

あまりの清々しいクズっぷりについつい私も「お疲れ様です!」と一礼してしまったことを覚えている。

おそらくそれと同じことが坊主頭の青年にも起こったのだ。

前からやってくる松葉杖の私。大丈夫かな何か力になれることはないかなと思ったら、片手に缶チューハイを携えている。松葉杖をつかなければならない状況になってなお飲酒を諦めない一匹のカス。

そうか、こいつは一本筋の通ったカスだなと思い、その清々しいまでのゴミカスぶりに青年は一礼をくれたのだ。

そう考えれば合点がいく。

なるほど。

今後もそのような周囲の期待を裏切らない為にも、路上飲酒道にも精進してまいりたい。

明日はライブです。非常に楽しみにしていたライブ。是非お越しください。

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1月21日(土) 東京立川 Jesse James
042-525-7188
http://jessejames-tachikawa.music.coocan.jp/
vocal:高原かな piano:福島剛
14:00~start music charge:2600円

今日の演奏動画。

Burton Laneの作曲した『Everything I Have Is Yours』をソロピアノで弾いてみました。


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2023年1月19日 (木)

賞味期限と消費期限

賞味期限と消費期限について皆様はどのようにお考えだろうか。

私は賞味期限は「この日付までは美味しく食べられますよ」ということであり、消費期限は「この日付を越えたものを食べた時に表れた体調不良に関しては当方は責任を持ちませんよ」というメーカー側の決めた期限だと思っている。

なので消費期限に関しては多少気にしているところはある。やっぱりさ、消費期限を二週間も越えた鶏肉とかヤバい臭いさせてるじゃん。あれはさすがに無理だよ。

「火を通しちゃえば何でもイケる理論」てのもあって、消費期限を数日過ぎた生卵なんかはゆで卵にしてしまう。そうしたらイケる。何の問題もない。

なお「消費期限の存在しない食品」もいくつかあって、その筆頭株が納豆。一年過ぎててもイケる。一切の粘り気が無くなってるけど。イケるかイケないかで言うと余裕でイケる。

問題は賞味期限だ。

基本的には賞味期限は全無視で良いと思っている。その日を過ぎたら美味しく食べられない、というだけのことであり、美味しいか美味しくないかを判断するのはあくまでも私であるのだ。

仮に美味しくなかったとしても、許容範囲であれば食べた方が良い。捨てるよりは遥かに良い。

イケるかイケないかの判断に関しては他人の意見を尊重した方が良い。「イケるイケるー!」つって手前勝手にフグ食ったら死ぬからね。

ただし美味いか美味くないかの判断は他人に任せなくても良い。自分が美味いと思えば美味いし、自分が美味くないと思えば美味くない。そこで誰かの顔色を窺う必要は無いのだ。

ということで今後も消費期限はそこそこ気にするけれど、賞味期限は気にしない。

少々大袈裟かも知れないが、こういう事が「自分の幸福を他人に規定させない」という極めて重要なことに繋がっていくような気がしている。

今日の演奏動画。

Duke Ellingtonの作曲した『Solitude』をソロピアノで弾いてみました。2022年9月22日にもやっているのでリテイクです。

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2023年1月18日 (水)

いつも背後に彼女がいる

流行りのアイドルなどにはとんと疎い。

昔からあまり興味が無いというのもあるし、私がどんどんとオッサン化してるせいもあって若い人たちがみんな同じように見えてしまう。実際は同じなはずが無いのに。情けない話である。

なので歌番組などでアイドルが歌っていても馬耳東風で聴き流してしまう。ほとんど頭に入ってこない。

そういうことが普通なのだが。

まれに「ん?今なんつった?」と画面を見返してしまう時がある。

ある時のこと、歌番組で若くて可愛らしい女性のグループが歌を歌っていていつものように聴き流していたら、この「ん?今なんつった?」の瞬間が訪れた。

~~~~~~~~~~~

全然泣けなくて苦しいのは誰ですか
全然今なら泣いても良いんだよ

~~~~~~~~~~~

彼女たちはそう歌っていた。
なんだその人間の瑕疵をあるがままに肯定する骨太な言葉は、と思った。なぜあなた方が、懸命に生きようとしながらも傷つき、それでも前を向こうとする人々を優しく包み込んでいるのだ、と。

私はすぐにピンときた。「こりゃあ背後に中島みゆきがいるな」と。

これまでにも似たようなことがあった。

TOKIOというアイドルグループが歌を歌っていて「はいはいイケメンすごいすごい」と聴き流していたら、TOKIOは

~~~~~~~~~~~

その船を漕いでゆけ
お前の手で漕いでゆけ
お前が消えて喜ぶ者に
お前のオールを任せるな

~~~~~~~~~~~

と歌っていて、「あんだって!?チミは!?」と志村けんのように二度見した。

ご存知の方も多いかも知れないが、これは『宙船(そらふね)』という歌で中島みゆきがTOKIOに提供した歌である。

このように私が志村けん化してしまうのは私の中に「アイドルが歌う歌なんて大体イケメンと美女の恋愛を描いたようなものばっかりで人間の苦しさとかしょっぱさなんて描かれるわけないだろ」という間違った偏見があるからなのだが、背後に中島みゆきがいるとなれば話は違う。アイドルでも容赦なく人間の苦しみやしょっぱさを歌う。だって中島みゆきだもの。

先ほどの

全然泣けなくて苦しいのは誰ですか
全然今なら泣いても良いんだよ

の歌は「ももいろクローバーZ」というアイドルグループの『泣いても良いんだよ』という歌で、案の定中島みゆきの作詞作曲だった。

作中に

~~~~~~~~~~~

どんな幻滅もぼくたちは越えていく
でもその前にひとしきり痛むアンテナもなくはない

~~~~~~~~~~~

という言葉があった。

こんな言葉に、ひょっとしたら一番勇気付けられているのは歌っている「ももいろクローバーZ」の当人たちだったのではないだろうかという気がしている。

アイドルが私の心にブッ刺さる歌を歌っている時には、まず間違いなく中島みゆきが背後にいる。


今日の演奏動画。

Jimmy Van Heusenの作曲した『Polka Dots And Moon Beams』をソロピアノで弾いてみました。2020年5月8日にもやっているのでリテイクです。


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2023年1月17日 (火)

仕事中のノンアルコールビール

当たり前のことなので何の自慢にもならないのだが、仕事中にはほとんど酒を飲まない。

「ほとんど」と書いたのは、飲む時もあって、それは演奏仕事の時などにお客さんから奢られた時とか。あんまり飲みながら演奏するのが好きではないのでビール一杯程度にするけれど、そういう時は飲む。

普段の練習の時やレッスン仕事の時には飲まない。終わったらすぐ飲むけど。光の速さでコンビニに駆け行って購入してぷしゅりする。何万回と繰り返してきた動作なので動きには一切の無駄や淀みは無い。

なのだけれど、一時間ぐらい時間がぽかんと空いた時には公園のベンチに腰掛けてノンアルコールビールを飲むことはあって、この記事はそんな風に空き時間に公園でノンアルコールビールを飲みながら書かれている。アップされるのは数日後だけど。こうして時間のある時にブログの貯金も作っとかないと毎日更新とか無理だしね。

ちょっと疲れた時に飲むノンアルコールビールはとても美味い。

そうそう、明日は毎月第三水曜日恒例のジャムセッション”歌声酒場”。小岩「BACK IN TIME」で19:30から。ベースは野々口毅さん。

これの時は最初は飲まずにやって後半からビールなんぞを飲みつつやってます。

是非遊びに来てください。

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今日の演奏動画。

Victor Schertzingerの作曲した『Tangerine』をソロピアノで弾いてみました。2021年8月18日にもやっているのでリテイクです。


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2023年1月16日 (月)

折れてないもん!

土曜日にやらかした怪我のせいで今日は朝から病院。

整形外科行ってレントゲン撮ろうかとも少しは考えていたのだけれど「折れてても折れてなくてもやること(治療)はどうせ一緒だろ。レントゲン高いしな。金も無いし」と思っていきなり行きつけの「すぎむら接骨院」に行く。普段は家から歩いて20分で着くのに今日は一時間以上かかった。今は歩くのめちゃ遅いし。

杉村先生(院長)に診ていただきながら「これちょっと折れてる可能性もあるし、折れてたらがっちり固定しなくちゃいけないから近くの整形外科行ってレントゲン撮ってきて」と言われる。

やることは同じじゃなかったっぽい。素人判断してすんませんでした。

レントゲンですね、合点承知でヤンス!ということで午後から整形外科へ。大きい病院はものすごく時間がかかる。

約三時間かけて無事レントゲン終了。

ドクターの見立てでは「とりあえず見えてるところは折れてない」とのこと。やったぜ。この時ばかりはガッツポーズ。

「ただし見えてないところが折れてたりする可能性もあるから一週間ぐらい経っても痛みがマシにならないようならCTとかそういう別の検査しましょう」と言われてそれはげんなり。なんだよもう。もう治ってるってことにしてくれないの?そうは問屋が卸さないの?

とにかく冷やして安静に、とのこと。

仕方ない。

その後は仕事部屋に移動してピアノの仕事をいくつか。右足を負傷しているので左足でサスティンペダルを踏む練習をしてみたが、全くうまくいかない。やっぱり慣れってあるんだな。

気合を入れると右足でペダルを踏めることもわかったので、これからは気合を入れていく。ピアノは気合だな。

まだまだ完治までは時間がかかりそうですが、気長に頑張ります。

今日の演奏動画。

Frank Loesserの作曲した『If I Were A Bell』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月15日 (日)

また怪我した

昨日の柔道の稽古中に派手に自爆をしてすっ転んでしまって、右の足首をボキボキといってしまった。

折れてないと良いなと思っている。動かす角度によっては激痛が走るが、そうでない時はそんなに痛くないし、何よりそんなに熱も持っていないので折れてないんじゃないかと自分では思っている。というか願っている。まだまだ松葉杖がないと歩けないような状態なのだけれど、明日レントゲンを撮りに行こう。それから接骨院に行こう。

20数年ぶりに柔道を再開してから約一年。信じられないぐらいたくさんの怪我をする。右足太ももの肉離れ、尾てい骨の骨折、それから今回の右足首。

大体の原因はわかっている。

お父さんが運動会の父兄参加の徒競走で足がもつれて転ぶのと一緒だ。

頭では「これぐらい動ける」と思っているのに身体がついてきていないのだ。一言で言えば私が弱いせいだ。

昔の学生時代ってこんなに怪我しなかったと思うんだけどなあ。やっぱり確実に老いが来ているんだな。四十肩だし、老眼だし。

当面、柔道の稽古が出来ないのがつらい。もちろん生活の中では音楽こそが最優先なのだが、健やかに穏やかに音楽の道に精進するためには私にとってはもはや柔道というのは必須のものになってしまっているからだ。とにかく早く治して復帰したい。

ここからの治療期間では下半身を使ったトレーニングが一切出来ないので上半身、特に腕と首と腹と背中だけはしっかり鍛えておこうと思う。ダンベル買いたいな。

良いこともほとんど無い怪我だが、怪我をしまくっていることによる唯一の良いことは「これまで以上に人に優しくなれる」ということだ。

ゆっくりしか歩けないお年寄りや妊婦。疲れて眠りこける仕事帰りのサラリーマン。

みんな元気でいたいのだけれど、色んな理由でそう出来ない。

一つだけはっきりと言えるのは、怪我をしたくてする人もいないし、病気になりたくてなる人もいないということ。

動けない自分の身体を引きずりながら、そうやって以前より少しだけ人に優しくなれる。

今日の演奏動画。

Tadd Dameronの作曲した『Tadd's Delight』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月14日 (土)

「福島禁止」にならないために

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ほぼ毎日朝は柔道の稽古から始まる。家で1時間ほど筋トレをしてから近所の公園に行って冒頭に貼り付けた画像のように木に帯を巻いて打ち込みを500本。500本の内容は日によって少しずつ変わるけれど、基本的には「色んな背負い投げ」を50本×10セットやる。同じことの繰り返しをしているようで、毎日色々と新しい発見があって楽しい。

時間帯によっては近所の保育園の子供たちが保母さんに連れられて公園に遊びに来ている。これがなかなかに気まずい。

たまに子供たちが私の近くに寄ってきて「おじちゃん何してるの?」という目で見てくるのだが、保母さんがすぐに駆け寄ってきて「近寄っちゃダメ!」と子供を引き離す。大丈夫おじちゃんは柔道の稽古をしているだけですよと言いたいのだが、無闇に子供に話しかけて不審がられても困るので軽く会釈をするだけで黙々と打ち込みを続ける。

現時点では公園には「ボール遊び禁止」の張り紙はあるが、「柔道禁止」の張り紙はない。そもそもそんなことする奴がいないからなんだろうけれど。

だが、私があまりに不審であるとその内に「柔道禁止」の張り紙が貼られる可能性があるし、なんなら「福島禁止」の張り紙が貼られるかも知れない。なので出来うる限りの良識を持っての公園使用を心掛けている。

稽古後には公園でタバコを一本吸いながらプロテインを飲む。この時間がとても幸せな時間だ。「ほんの少しであるけれど、今日もしっかり積み重ねられた」という満足感と共に飲むプロテインは非常に美味い。

そして最後には持参してきている携帯灰皿で公園内の吸い殻などを拾って帰り、それ以外のゴミが落ちている場合にはビニール袋に拾って持ち帰る。これは「良いこと」をしているのではなく、あくまでも自分の保身のためだ。公園に「柔道禁止」もしくは「福島禁止」の張り紙が貼られないようにするために。

タバコの吸い殻なのだが、そこの公園には頻繁にキャメル(タバコの銘柄)の吸い殻が落ちている。捨てているのは多分同じ人間なのだろう。その公園で私はこれまでに何回もキャメルの吸い殻を拾った。

その吸い殻を拾いながら私は「キャメルを吸っているやつはバカ」と思う。そのような印象が私の中で出来上がるのだ。

こういう人間の印象というのはとても個人的なものなんだよなあとつくづく思う。実際にはキャメルを吸っている人間の中にもきちんと携帯灰皿を常備して吸い殻を決してポイ捨てしない良識的な人もたくさんいるはずだ。しかし、何度かキャメルの吸い殻を拾うたびに私の中では「キャメルを吸っているやつはバカ」となってしまう。あくまでも私の経験に基づくものだ。

関西人はうるさい。イギリスの飯は不味い。インド人はすぐに嘘をつく。

こういった「印象」も、おそらくは個人的な経験に基づいたものだ。物静かな関西人も確実にいるし、イギリスの名食堂はやはり美味いだろう。ただしインド人は嘘をつくけれど。

たった一度の経験によって人の印象が左右されるのであれば、私はそこの公園使用者たちの間では「あの毎朝柔道の打ち込みをしにくるヤツ」ということになっているであろうから私の行動が「柔道をしている人たち」全体への印象となる可能性は大いにある。少なくともその公園内では。

なので傍若無人な振る舞いをせずに、良識を持って公園を利用する。それは私個人だけではなくて柔道家全体への影響もあるのだ。

今後その公園内で私の目の前でタバコをポイ捨てする人がいた場合には、もめ事はイヤなので口頭で注意したりはしないだろうが「何でおれが拾わなきゃいけねえんだよ」とブツブツ言いながら吸い殻を拾って帰ろうと思う。

本当は100円を渡して「これで帰りにコンビニで携帯灰皿買って」ぐらいの嫌味は言いたいのだけれど、多分言わない。

今後も「福島禁止」にならないように細心の注意を払いながら公園での稽古にいそしみたい。

今日の演奏動画。

Pat Methenyの作曲した『Wrong Is Right』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月13日 (金)

にっくき四十肩

もっぱら一番の悩みが四十肩だ。

最近なんだか肩が痛いんだよな、どうしたかな、知らずの内に柔道の稽古で痛めたかななどと思っていたのだが、一向に良くならないどころか痛みは増すばかりだったので近所の「すぎむら接骨院」に行ったところ「四十肩ですネ」とあっさり認定された。

老化により肩関節周りの筋肉が硬化して痛みが出るのがこの四十肩らしい。

ほっといても治ることは治るらしいのだが、早く治す為にはとにかく動かして筋肉を柔らかくすることらしい。

「すぎむら接骨院」では院長の杉村先生が直々に"もう無理"なところから更にもうちょい肩を伸ばしてくれる。痛いか痛くないかで言うと超痛い。

あまり天や神に願い事などしない私だけれど、この四十肩だけはとにかく早く治ってほしいと願っている。

七夕まではまだ随分日があるが、今のうちから「四十肩が早く治りますように」と短冊に書きたい。

なお、小岩にある「すぎむら接骨院」は柔道仲間の杉村先生夫妻が営む接骨院でありとても腕利きなので超オススメ。安いし。

小岩警察のすぐ近くにある。

今日の演奏動画。

宮本浩次さんの作曲した「エレファントカシマシ」の『きみの面影だけ』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月12日 (木)

長い目で見りゃあ大体プラマイゼロになる理論

先日レッスンで池袋へ行った時のこと。

次のレッスンまで一時間の空き時間があった。ここのところ髪の毛が延び放題だったので床屋に行こうかなと思って床屋に向かったら、人がだいぶ並んでいたので諦めた。なおかつこないだまで1100円だったその床屋は1300円に値上がりしていた。

仕方がないから立ち食い蕎麦屋「君塚」で蕎麦でも食べるかと思って君塚の前まで行ったらやっていなかった。そう言えば日曜日は定休日だったな、仕方ないと思って諦めた。

ちょっと歩くけど東口に「小諸そば」があったから久しぶりに小諸そばに行ってたぬきそばでも食べようと思ってテクテク歩いて行ったのだが、小諸そばは無くなっていた。建物自体が壊されて無くなっていた。

あれこれとタイミングが合わないなあと思ったのだが、「長い目で見りゃあ大体プラマイゼロになる理論」という自分で勝手に作った理論を結構信じていて、良いこともあれば悪いこともある、どっかで帳尻が合って大体プラマイゼロになるだろと思っている所がある。


なのでこういうタイミングのすれ違いみたいなことが起きた時に、いずれどこかで起こるに違いなかったマイナス要素が今起きておいてくれて、しかもこの程度の被害で済んでラッキーと思うようにしている。

髪の毛が切れなかった、君塚の蕎麦が食べられなかった、小諸そばが無くなっていた。

うん、大したことない。

大体どこかで帳尻が合うから大丈夫。

今日の演奏動画。

Lennie Tristanoの作曲した『April』をソロピアノで弾いてみました。


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2023年1月11日 (水)

TKGとNTGとTKNTG / Thelonious MonkとBuddy Rich

卵かけご飯(TKG)が好きだ。

ご飯の中央部に窪みを作ってそこに卵を落として、その上から雑に醤油をかけて雑にかき混ぜて電気掃除機ダイソンのように掻き込むのが好きだ。

同じように納豆ご飯(NTG)も好きだ。

納豆にはネギをたくさん入れて、カラシもぴりっと効かせたい。よくかき混ぜてからご飯の上に乗せて電気掃除機ケルヒャーのようにバキュームしたい。

TKGとNTG,どちらも深く愛している私なのだが、このTKGとNTGを合体させたTKNTG(卵かけ納豆ご飯)が苦手だった。

なんだかお互いの良さを打ち消しあっているような気がして。

アルトサックス奏者のCharlie Parkerとトランペット奏者のDizzy Gillespieの双頭リーダー作に【Bird And Diz】というアルバムがあるが、このアルバムにおけるピアニストThelonious MonkとドラマーのBuddy Richの関係に対する私的な印象がそんな感じだ。

朴訥でユニークなMonkと饒舌で煌びやかなRich。何十年と愛聴しているアルバムだが、この二人が良いハーモニーを作っているとは未だに思えない。お互いはそれぞれにとっても素晴らしいのに。何でこうなっちゃうんだろう。ずっとそう思っている。

翻ってTKGとNTG。そのどちらもが好きなのに、それが合わさると何でこんなに好きじゃないんだろう、と。

そう思っていたのだが、ここ最近は違う。

もっぱら私の毎日の朝はトレーニングから始まる。自宅での筋トレと、近所の公園に行って木に柔道の帯を巻き付けての打ち込み。それが終わってから初めて朝食となる。

トレーニングの直後にもプロテインは飲むが、食事でも極力多くのたんぱく質を摂取したい。その為には納豆と卵という良質のたんぱく質を含む食材を合わせてしまうのが手っ取り早い。

TKNTG、あんまり好きじゃないんだけどたんぱく質の為ならば仕方ないと思ってこれを繰り返していたところ、いつの間にか私はTKNTGが好きになってしまった。

もはやTKGでもNTGでも物足りない。TKNTGでなければ満足できない身体になってしまったのだ。

人間とはつくづく「慣れ」の生き物であるなと思った。

いつか【Bird And Diz】を聴いて「このMonkとRichの組み合わせがたまらんのだよ」と思う日が私にも来るのだろうか。

多分来ないと思う。

今日の演奏動画。

Erno RapeeとLew Pollackの作曲した『Diane』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月10日 (火)

カスなので年賀状を返せない

様々な部分において人間としての致命的な欠陥を抱えている私であるが、その数ある欠陥の中に「年賀状が返せない」というものがある。

年賀状がやってくる。返事の年賀状を返さないとなあ、まだコンビニで売ってるかなと思っているのが1月5日ぐらいまでのことで、そのまま放置してしまうのでその内にコンビニでは年賀状を取り扱わなくなる。

現在1月10日、もはやどこに行けば年賀状が売っているのかもわからない。

かつて吉田拓郎が作ってムッシュかまやつが歌った【我が良き友よ】という歌の中にある

ああ、夢よ、良き友よ
便りしたため探してみたけど
暑中見舞いが返ってきたのは
秋だった

という言葉が私の脳裏に浮かぶ。

暑中見舞いを秋に返すのはまあまあ上出来だろ、と。

毎年そんな調子なので年賀状を返したいなと思っていてもなかなか返せない。なので私に年賀状を送ってくれる人などほとんどいないのだが、数人だけ送ってくれる人がいて返事を送りたいと思っているのだが、もちろん今年も送っていない。

そうこうしている内に、その年賀状を送ってくれた数少ない人とオフラインで直接会うということになってしまう。

年賀状をくれた数人の内、もう既に何人かは直接会った。

その時に「こいつは年賀状を送ったのに返事をよこさなかったヤツだ」と思われていないかとヒヤヒヤしながら妙な後ろめたさに襲われる。

じゃあ返事を送れば良かったのに。

今年もまた送れなかったのである。

本当に人として終わっている。

今日の演奏動画。

Clark Terryの作曲した『One Foot In The Gutter』をソロピアノで弾いてみました。


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2023年1月 9日 (月)

【全日本喪に服さない協会】理事長として

年明けのこの時節、「喪中につき新年の挨拶は控えさせていただきます」という方もちらほらいらっしゃって、それを批判するわけでは無いのだけれど、私は昔からずっとこの「喪中」というものが嫌いだ。

【全日本喪に服さない協会】の理事長を自認しているぐらい私は喪に服さない。

端的に言ってしまえば、大切な人が亡くなった悲しみや喪失感と慎ましく暮らすことを結び付けるのは違うんじゃないかと思うからだ。

大切な人が亡くなった翌日に肉汁が滴るステーキを食べるのは間違ったことなのかと言えば、大切な人が亡くなった時などは私はむしろ積極的に美味いものをたくさん食べるべきだと思っているし、そういうことを不謹慎だと思っている人とは物事の価値観が多分ちょっと違う。

おそらく最も嫌っているのは「あなたは現在喪中なのだから楽しいことや面白いことは極力我慢して慎ましく暮らしなさい」という外的な圧力だ。悲しい人は涙を流してしおらしくしていなくてはならないという圧力が嫌いなのだ。

私にもこれまでに死という原因によって大切な人を失った経験はある。悲しかったし、凄まじい喪失感と、そして無気力感に襲われた。

何もしたくないならば何もしないのが一番良い。けれど何かをしたかった場合には我慢する必要はない。あなたが大人しくしていることを喜ぶ人にあなたの生活を同調させる必要は無い。

繰り返しになるが、喪に服している人を批判するつもりは全くない。

しかし私は喪に服さない。

悲しい時こそ美味いものを喰らえ。美しい音楽を聴け。会いたい人に会え。そして腹から笑え。

何故ならば私もあなたもまだ生きているからだ。

今日の演奏動画。

Benny Carterの作曲した『When Lights Are Low』をソロピアノで弾いてみました。


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2023年1月 8日 (日)

やりたいこと地獄

やりたいことが見つからない、ということで悩む人は多いと思う。

若い人たちがそういう悩みを吐露しているのを見ることがあって、その時に年長者の人が「きっとその内見つかるからさ、焦らなくて良いよ」と慰めたりなんかしていて。

その度にいつも私は心の中で「やりたいことが見つかってしまうとそれはそれで地獄だよ」と思う。口に出しては言わないけれど。

やりたいことはいつだってある。出来ないことが出来るようになりたい、知らない場所に行ってみたい、美味いものが食べたい。「欲求」と言い換えることも可能なのだけれど、そういうレベルで言えばやりたいことはいつだってあるのだ。

ただし「じゃあ全てを犠牲にしてやりたいことを好き勝手にやりまくって死ぬのだ」という覚悟があったかと言われれば、そういう覚悟を決めたのは結構最近な気もする。

もう全てを犠牲にしてでも音楽をやりたい。それと自分の中の一つのケジメとしてしっかり柔道もやりたい。

この覚悟が決まってしまうと地獄なのだ。

だってやらなきゃいけないから。誰から何を言われようが関係なく自分がやると決めた遊びを徹底的にやらないといけなくなるから。そしてそれらは他の何事よりも優先されてしまうから。

安定した生活、社会的な信用、余暇時間。

そういうものを全て投げ打ってひたすらに遊び倒さなくてはならない。人から怒られつつも「うるせえ!おれは遊ぶのに忙しくて働いている暇なんてねえんだよ!」と開き直らねばならない。

安定した生活がある人もうらやましいし、社会的な信用がある人もうらやましいし、余暇時間がある人もうらやましい。私にはその全てが無い。

いや、もはやうらやましいという感覚すらあやふやだ。「他人は他人、おれはおれ」というのが身体の中に染み付きまくっているし、何より目の前にある膨大な量の遊びを一つ一つ片づけていくのにとても忙しい。毎日分刻みのスケジュールで遊んでいる。

なぜならばそれらは全て「やりたいこと」だから。

こういった自分の生活は多分他人には理解されないだろうし、されなくても良いと心底から思っている。

だから本当にやりたいことは見つかったら見つかったでエライことになるから見つからなくてもいいというのが私の見解だ。

少なくとも「本当にやりたいことが見つからない人生なんてつまらない」という価値観には力強くNOを唱えたい。

今日の演奏動画。

Horace Silverの作曲した『Liberated Brother』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月 7日 (土)

家系ラーメンで自らの弱さを認める

若い頃からずっと麺類が好きだ。うどん、蕎麦、ラーメン、パスタ、全て好きだ。

最近ではもっぱら蕎麦が中心。高級な蕎麦屋に行ける身分ではないので、メインは「ゆで太郎」、「富士そば」、「小諸そば」、それからローカルな立ち食い蕎麦屋。

たまの贅沢で街中にあるたぬきそばが5~600円ぐらいの価格帯の昔からある蕎麦屋にも行く。家族で経営しててテレビが流れてるようなとこ。それもとても良い。

色んな蕎麦屋に行って「ここは素晴らしかった!」という店を発見するのはもはや私のライフワークのようになっている。いずれ別の記事で私のイチオシの蕎麦屋も紹介したい。

蕎麦屋を巡るようになったのはここ10年ぐらいのような気がする。

若い頃はラーメンが好きだった。今でも好きだけど。頻度としても蕎麦屋に行くよりもラーメン屋に行くことの方が多かったと思う。

コッテリしたラーメンも大好物だった。背脂の量を選べるようなラーメン屋では「背脂ギトギトで、なおかつ麺大盛りでオナシャス!!!!!!」と高らかに叫んでいたような気がする。

食べられたんだもの、若かったから。力こそパワー、そんな時代が私にもかつて確かにあったのだ。

それが次第に食べられなくなる。食べられなくなるというか、食べるのがしんどくなる。

ラーメンの好みもどんどんあっさり系に寄っていく。こういうのってとても面白いと思う。身体の状態によって味の好みって変わるのだ。「好きなもの=自分が消化できるもの」という構図は、食べ物だけに限った話では無いのかも知れない。

"家系"と呼ばれるラーメン屋群があって、それらはコッテリしたラーメン屋の一つのカテゴリーだ。昔は狂喜乱舞して通ったけれど、今はたまにしか行かない。

で、その"家系"においては味の好みを選べる所が多くて、最近ではたまに"家系"に行くと「油少なめで味薄めでお願いします」と言うようにしている。

1960年代のジョン・コルトレーンカルテットに「音量抑え目の演奏でお願いします」と頼むようなもので「じゃあコルトレーンを聴くな」と言いたいし、若い頃の私がそんなのを聞いたら「じゃあお前は家系に来るな!」とブチギレたかも知れない。

邪道であることはわかっている。仕方ないじゃん、しんどいんだもん。

私はかつて家系で"油少なめ味薄め"を頼んだ時に「弱さを認めるってこういうことなのかな」と思った。

人間は自分が優れている、自分は強いと信じたいが、みな自分で思っているほど優れていないし強くない。人はみなそれぞれに弱さを抱えながら生きている。

ひょっとしたら「自分は優れている(強い)」という幻想こそが優しさの対極にあることなのかも知れない。自分の弱さを認めることで人は初めて他人に優しく出来る。

私はもはや迷わずにそして悪びれずに家系で"油少なめ味薄め"を注文できる。

私は弱くなったのだろうか。

実は以前よりほんの少しだけ強くなっているのかも知れない。


今日の演奏動画。

Sonny Rollinsの作曲した『First Moves』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月 6日 (金)

部屋とYシャツと魚とコーヒーと私 その3

昨日の記事の続き。下処理しといた魚を食べる編。

まずはダシ茶漬けから。

【ダシ茶漬け】
下処理の際のアラを鍋で煮てダシを取っておくというのは昨日書いたが、良い感じにダシが取れたらザルでアラを濾してスープだけにしておく。ちょっとめんどくさいのだけれど、ザルにあるアラを身と骨に分けて、身だけスープに戻すとなお良い。このスープに酒とみりんと醤油をテキトーに入れてダシスープを作る。それをご飯にかけて細く切った大葉とゴマを振りかけたらダシ茶漬けの完成。死ぬほど美味い。朝ごはんに最適。

続いて魚料理。

今回はアジがメインだったのでアジ料理の定番を二つ紹介。

【ゴマアジ】
いわゆる「ゴマサバ」のアジ版。醤油と煮切った酒を1:1で混ぜた漬け汁を用意。そこに薄く切ったアジの刺身を入れて30分漬け込む。30分経ったら身を取り出してキッチンペーパーでよく拭いてゴマと細切り大葉と和えるだけ。激ウマ。この際の漬け汁の残りを前述のダシ茶漬けの味付けに使うと勿体なくなくてナイス。

【なめろう】
色んなやり方があるとは思うけれど私流。アジの身を細かく切って、みじん切りのネギと味噌と合わせるだけ。ポイントは「叩かない!」。絶対叩かない。包丁の背でこね回すだけ。鬼ウマ。
脂乗りの悪い時期のアジなんかだとここにゴマ油を垂らしたりしても良いのだけれど、今回のアジは脂がエグいほどに乗っていたのでもちろんそれもしない。捌いてる時に腹の中がラードのような内臓脂肪だらけだった。魚に健康診断があったとしたら内臓脂肪過多で即入院というレベル。そもそも東京湾のアジは多数の釣り船が毎日のようにどかすかコマセを撒いてるから栄養過多でメタボっているのだ。天然と養殖の中間ぐらい。ホントにすごいよ、脂。

で、先日。年末年始は知り合いの家や親戚の家で色々ご馳走になったりしていたのでなかなか家にある魚を食べきれていなかったので、1月3日に【なめろう】を作って食べてみた。釣ってから一週間経過の生食だ。
開けてみて臭いがヤバかったら火を通そうと思ったのだが、過剰包装のお陰で生臭さは皆無。
私の頭の中で「生食いけるいけるマン」が「生食いけるぜー!いけるいけるー!大丈夫ー!」と歌い踊っていたので調理してみた。※魚の生食に関しては自己責任でお願いします

結論としては何も問題なかった。大変美味しかった。

下処理を完璧にしておくと生食は一週間経ってもいけることが私のなかで証明された。※くれぐれも魚の生食に関しては自己責任でお願いします

もし、多少臭みがあったとしても食べたと思う。

ここからが本題なのだが(前置きなげえよ)。

実は私は魚なら何でも好きだ。

釣りを嗜む人々がよく「釣りたての魚を食べちゃったらスーパーの魚なんて臭くて不味くて食えたもんじゃないよ」なんて言うのを聞くたびに私は心の中で「そうでもねえよ?」と思う。
釣ってきちんと処理した魚は確かに美味い。激ウマだ。
けれど、スーパーで売っている魚も私は好きなのだ。魚自体がとても好きなので、それとこれとは別のものとして楽しめてしまう。
夜の9時ぐらいにスーパーに行って黄金のシール(半額シールのこと)が貼ってある刺身を見つけると「真鯛が200円ってそりゃあ買うしかねえだろ!」と勢いよく買い物かごに入れる。それもまた美味い。私は魚自体をとても愛している。

同じようなものがコーヒーであって、私はとてもコーヒーが好きなのでどんなコーヒーでも楽しめる。
コーヒー通の方々が「ファーストフード店のコーヒーなんて飲めたもんじゃない」と言うのを尻目に「〇ックのコーヒーうめえ!マッ〇のコーヒー最高!」と言える。
もちろん、高級なコーヒーを飲んだら「あーこれは確かに美味いわー」とは思うのだが、それとこれとは別のものなのだ。コーヒーであれば全て美味しいのだ。

得な性格だなー、と思う一方で「これはこれじゃなきゃイヤだ!」というものも数えるほどだが少しだけあって、その最たるものがピアノだ。

ピアノに関してはものすごくわがままだ。

きちんとしたピアノであればあるほど嬉しいし、出来ればそうじゃないピアノは極力弾きたくない。

電子ピアノやキーボードなんかに関しては自分の技術不足によって「ちゃんと弾けない」のでそれに苦戦するので弾きたくないというのもある。
オルガンなんて「同じ鍵盤楽器なんだから弾けるでしょ?」と言われる時もあるが、全く弾けないし、だから弾かない。あれはちゃんと訓練を積まないと弾けない。

そうやって自分の責任も多分にあるのだけれど、ピアノに関しては「頼むからちゃんとしたピアノ弾かしてつかあさい」といつも思っている。

仕事で行った先に置いてあったピアノが素晴らしい状態のものだとそれだけで嬉しくなる。

いつも演奏に行くお店が、私のライブの直前にピアノの調律を入れてくださると冗談抜きに5倍ぐらいやる気になる。

こればっかりは「ピアノなら何でも好き」とも言えないのだ。同様に「音楽なら何でも好き」とも言えない。その辺は非常にわがままだ。そのせいで何人かに嫌われているのもわかってはいるが、それでもそこは譲れない。

一週間熟成のなめろうを食べながら「魚って本当に美味いなあ、何でも好きだなあ(※くれぐれも絶対に魚の生食に関しては自己責任でお願いします)」と思いながら、「そういえばピアノに関してだけはその限りじゃねえや」と思った。

そんな話でした。

今日の演奏動画

Tord Gustavsenの作曲した『Stream』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月 5日 (木)

部屋とYシャツと魚とコーヒーと私 その2

昨日の記事、魚釣り行った話の続き。今日は料理の話。

私は原則として「食べるための魚釣り」しかしないので、魚は釣ったら必ず食べる。

逃がしてくることもあるけれど、それはあまりに魚が小さすぎる時とか毒を持った魚の時。それはさすがに逃がしますよ。なるべく弱らせないようにして逃がすコツなんかもあるのだけれど、今日はそこは触れない。

で、料理なのだけれど、釣ったその日はあんまりしっかり魚を食べられない。単純に時間がないからだ。
家に帰ってきて全ての魚を保存可能な状態にしてその日はおしまい。この保存可能な状態にするのにまあまあ時間がかかる。

あくまでも私のやり方であるけれど、この魚の下処理について説明する。結構役に立つと思うよ。

【釣り場でやること】
・釣った魚はクーラーボックスに入れる前に必ず血抜き。魚のエラをハサミで切って放血させる。
・エラを切ったらすぐにクーラーボックスへ。バケツで泳がせながら放血させない。
・その際にクーラーボックスの中には潮氷(しおごおり)。海水100%の水の中にペットボトルなんかを凍らせた氷をたくさん入れとく。氷の真水がなるべく海水に溶けないように。
・帰る時には海水を抜いて軽くしておく。持って帰る時にクーラーボックスが重いとしんどいから。


【家での調理】
・基本的に魚は常にクーラーボックスの中に入れておきたいので二匹ずつぐらい取り出しながらやる。いっぺんに五匹も十匹もクーラーボックスから出さない。
・魚種にもよるけど、大体どの魚も三枚に卸す。ものによっては皮も剥いどく。身だけの状態にする。
・身だけの状態になった魚を水道水でよく洗って血や汚れを取ったら、その身をキッチンペーパーで包む。
・キッチンペーパーで包んだ魚をさらにサランラップでぐるぐる巻きにする。
・サランラップでぐるぐる巻きになった魚を、さらにジップロックなどの密閉できる袋に入れてすぐに冷蔵庫に放り込む。
・調理中に出たアラ類は小さいものは全て洗ってからお湯を張った鍋にどぼん。ダシを取る。大き目のアラは身と同じようにキッチンペーパー+サランラップ+ジップロックで冷蔵庫にIN。

これを全ての魚に対してやる。結構時間かかるので、魚釣りに行った当日はゆっくり魚食べるってことが出来ないのだ。

かなり面倒くさい作業ではあるのだけれど、この作業をしておくと魚が良い状態で保存できるし、日数を置くことによって良い感じに熟成も進む。これをやらないで日数置くと単純に腐敗していくだけだからどんどん不味く(臭く)なる。

これはいつも私が考えていることなのだが、「釣りたての魚」が美味いんじゃない(美味いけど)、「釣りたてからすぐに血抜きや保存等の処置をしっかり出来た魚」が美味いのだ。

あと「キッチンペーパー+サランラップ+ジップロックって過剰包装にもほどがあるんじゃないか?」と思った人。魚は過剰包装で良いの。やり過ぎぐらいがちょうどいいのよ。

今日はここまで。明日もう一回だけこの回の続き。次回は実食編。魚とコーヒーと私の話。

今日のトークと演奏動画。

ベースの野々口毅さんが練習に来てくれたので、練習後に新年のご挨拶を撮ってみました。

その後にBilly Strayhornの作曲した『Chelsea Bridge』をベースの野々口毅さんとデュオで弾いてみました。

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2023年1月 4日 (水)

部屋とYシャツと魚とコーヒーと私 その1

昨年末に釣りに行った。

毎年、年の瀬には魚釣りに行って年末年始の酒のツマミを確保するのが恒例になっているのだが、昨年はちょっと逡巡した。
あまり積極的に経済活動を行っていない即ちマトモに働いていないので金が無い(業界用語で言うところの「ネーカーがイーナー」)状態だったので、今年は諦めて毎日うまい棒を10本食って我慢するかなと思っていた。

だがそんな折に数少ない友人であり今では釣り仲間でもある大学時代の先輩T氏から「釣り行かへんか」と誘いがあった。

私の信仰する宗教の聖典にはその冒頭に「誰かからの釣りの誘いは断ってはいけない」と書いてある。

誘われなければ行かずにうまい棒コースだったが、誘われてしまったので行かざるを得ない。しかしネーカーはイーナー。どうしたものかなと思案していた時に妙案が一つ浮かんだ。

神奈川県の金沢八景にある某釣り宿、そこの釣り船の乗船券が我が家に15枚あったのだ。
そこの釣り宿は一回乗船するたびに一枚もらえる乗船券を15枚集めて持ってきたら乗船料を一回無料にするよというサービスを行っていたのだ。

これだ!と思った。

15回もよく通った過去のおれソーナイス!と思ってT先輩に「行きましょう。ただし金沢八景の○之瀬丸にしてください。今回おれタダで乗れるんで」とメールを送った。

幾つかの釣り物の候補があったが、午前中はタチウオ釣り午後はアジ釣りというタチウオアジリレー船通称「タチアジ船」に決定した。

午前のタチウオは激渋だった。いわゆる「しぶたにえん」というやつである。まともにアタリが無いしアタっても食わない。私は割とタチウオ釣りは得意な釣りなのだが苦戦した。

結局午前を終わって私がタチウオ二本、T先輩がタチウオ一本。二人の頭の中で「ちーん」という音が鳴っていた。

「気を取り直してアジ釣り行きましょうぜ、こんな時にリレー船ってのは良いですよ、さあこっから巻き返しますよ」と言って午後のアジ釣りに突入。

ここから"おれたちの時代"がやってきた。

最初のポイントで二回ほどコマセを打ち返したあたりから止まらぬアタリ。

アタリに飢えていた私とT先輩は「ありがたやー!ありがたやー!」と言いながらアジを釣り上げまくった。それまで全然アタんなかったんだもん。急に楽しくなっちゃったよ。

結局午後のアジ釣りはノンストップで釣り続け、沖上がりまでバケツで活かしておいた小型のアジを全てリリースしても50匹のアジがクーラーボックスに収まった。T先輩も同じぐらい。

完全勝利であった。

明日は釣り上げた魚の料理の話。

本日の演奏動画。

Walter JermannとGus KahnとBronislaw Kaperの作曲した『All God's Chillun Got Rhythm (神の子供たちはみな踊る)』をソロピアノで。

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2023年1月 3日 (火)

昨年末に免許証を失効した時の話 その2

昨日の話の続き。

昨年末に免許証を失効してしまって「やべえ!」となって色々調べてみたら再発行できそうなので、必要書類である本籍地記載の住民票を役所に取りに行ってから東陽町にある運転免許試験場に行った。

受付で「更新ですか?」と聞かれて「いえ、失効してしまって」と申し訳なさそうに言うと受付のおばさんが私の失効した免許を見て「あー、ちょっと切れちゃってるんですね、残念でしたね」と鼻で笑った。残念だよ、ほんとに色々。

そこで再発行の書類を諸々揃えた。「写真ありますか?」と聞かれて「ありません」と答えると「じゃああそこで撮ってください」と写真撮影ボックスを指でさされた。証明書用の写真800円。たけえ!

で、それから色んな支払いとか視力検査とか。視力検査はここ最近の老眼の進行のせいであんまりよく見えなかったのだが、勘で「右」とか「下」とか言ってたら運よく当たった。本当は見えてないからね。

その後は交通安全講習。みっちり一時間。

そこで考えたこと。

安全運転の基本の一つに「”だろう運転”よりも”かも知れない運転”」というものがあった。

そこの交差点、きっと人は飛び出したりしてこない”だろう”という運転よりも、ひょっとしたら人が飛び出してくる”かも知れない”という運転を心掛けなさいというもの。なるほど。
つまり自分本位に都合よく解釈する運転をするのではなくて、あくまでも他人の都合も勘案する、その結果色んな事態を想定して運転しなさいよということだなと納得した。

そしてその時に私の脳裏に「”だろう飲酒”よりも”かも知れない飲酒”」という言葉が浮かんだ。

これはまさに飲酒現場においても同じことが言えるな、と思った。

酒の席だし多少失礼な振る舞いや言動があったとしても嫌われたりはしない”だろう”という飲酒。これはイカンのだ。

酒の席とは言えあまりに失礼の度が過ぎると嫌われてしまう”かも知れない”という飲酒。我々はもう良い大人なのだから、こういう飲酒にシフトしていかなくてはならない。私はそう思った。

やはり昨年末の酒の席において久々に私は盛大に記憶をなくしつつ飲み散らかしたことがあったのだが、そこに同席した方に数日後「福島さん、こないだは飲みすぎちゃいましたねー、でも大丈夫ですよ、みんなそんなに怒ってないですから」と言われた時、私は額からものすごくイやな感じの滝汗をかいた。
「ちょっと待てー!!!!おれは何をしてたんだー!!!!おれはめちゃめちゃ失礼なことをしてたのかー!!!!頼むから誰かおれを殺してくれー!!!!」
背筋が凍る、とはまさにこのことだった。
”そんなに”怒ってないということは、”そこそこ”怒られるようなことはしている、ということだからな。

本当にこれからは「”だろう飲酒”よりも”かも知れない飲酒”」、これである。

他人の寛容さに甘えてはいけない。

ちなみにその後のド年末の知人たちとの忘年会でも派手に記憶をなくすまで飲み散らかしてしまった。

死ねば良いと思います。本当に死ねば良いと思います。

本日の演奏動画。
Donald Byrdの作曲した『Jorgie's』をソロピアノで弾いてみました。

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2023年1月 2日 (月)

昨年末に免許証を失効した時の話 その1

昨年末に免許証を失効させてしまった。

「お前免許証の期限が今度の誕生日で切れるから更新しとけよオラ」というハガキが来ていたことは何となく記憶の片隅にはあったのだが、「あーハイハイその内行くわ」てなもんで放置していたら完全に忘れてしまっていた。
私の免許証は400ccまでのオートバイにしか乗れないいわゆる「中免」というやつで、なおかつ15年以上のペーパードライバーなのでそれを使用することも全くない。自分にとってもほとんど重要性の無いものだったので全然気にしていなかったのだ。

免許証の期限が切れてそれが失効してから二週間ほど経ってからそのことに気付いた。
どうすりゃ良いんだと調べてみたら何とか再発行は出来るということがわかって、気付いてすぐに再発行に向かった。

必要なものは「本籍地記載の住民票」ということだったのでまずは役所へ。

本籍地記載の住民票を発行するには身分証明書が必要だったので、身分証明書として免許証を提出したら「これは期限が切れているのでダメです」と言われた。

結局保険証を提出して事なきを得たのだが、その時にすごく不思議な気持ちになった。

身分証明書としての免許証を再発行するための住民票を発行するのに身分証明書が必要になる。けれど免許証は期限が切れているから身分証明書としては機能しない。じゃあ免許証しか身分証明書が無かったらどうなるんだ?という具合に。

こういうこともあるんだな、と思った。

大したことではないのだけれど、少し気になった話。

明日はこの免許証を失効した話の続き。

今日の演奏動画はこちら。

Tord Gustavsenの作曲した『The Other Side』をソロピアノで。

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2023年1月 1日 (日)

2023年、今年はブログ復活宣言

タイトルの通りです。
今年はブログを書いていきます。
目標としては毎日大体400字程度。ずっと定期的に文章書いてなかったからこれでも今の自分にはまあまあハード。
別に大したことを書くわけじゃないんだけど。
私は私の書いた文章がまあまあ好きなので。

今日は朝から柔道の練習して昼から音楽の練習といういつも通りの一日。正月だからね。正月こそいつも通りに過ごしていかないと何となく自分のペースが乱れるような気がしていやなのだ。

音楽の練習では本日の課題曲、Charles Mingusの『Free Cell Block "F", 'Tis Nazi U.S.A.』という曲に悪戦苦闘。そのせいで親戚の集まりの新年会に大幅遅刻が確定。

くっそー、ミンガスめ。

こんな感じで今年一年ゆっくり文章も復活していきますので、良かったらお付き合いください。

明けましておめでとうございました。

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