少しずつ自分を取り戻す
今月の初めに確定申告をした。
もう10年以上やっているから大体の段取りは慣れたものだ。必要な計算などを先に済ませておいてから江戸川区の平井にある税務署に自転車で行って、税務署の角にある机で一人でカリカリと書類を作成し、それを提出して終わる。全部で一時間ほどだ。
また、これも10年以上毎年恒例にしていることなのだが、確定申告の帰りには必ずラーメンを食べて帰る。ここ最近はもっぱら平井にある「まる政」というラーメン屋に寄る。東京のラーメン屋の中では一番美味いと私が勝手に思っているラーメン屋だ。
今年も「まる政」に寄った。シンプルで上品な鶏ガラベースの醤油スープに加えられたさりげないアクセントの生姜、そしてそのスープを引き立てる縮れた麺。私の個人的な感想としては、ここを越えるラーメン屋はなかなか他に無い。あくまでも好みの話なのだけれど。
確定申告をしてから数日経って、私の確定申告に大きなミスが発覚した。
そのミスは私にとっては少々驚きだった。
私は今現在を「令和2年」だと思っていたのだ。
実際には今現在は「令和3年」だ。
言われてみれば確かにそうなのだが、私は完全に今を令和2年だと思い込んでいた。昨年の4月だか5月だかに「年号が令和に変わりました!」とテレビで大騒ぎしていたような記憶があったのだが、それは一昨年のことだった。
なので、確定申告も提出日を「令和2年3月○日」としていたし、申告したものも令和1年分のものとして提出していた。令和1年分のものは昨年の確定申告で提出していたのでそれが重複することになる。
気付いた瞬間に急いで税務署に電話で問い合わせたところ、
・もう一度新しく令和2年分の確定申告の書類を作って持ってきてほしい
・それと同時に規定の書式に則った「取り下げ書」というものを作成して提出してほしい
ということを言われた。
完全なる私のミスなので従うより外なく、私はその日の内に必要な書類と取り下げ書を作成して再び税務署に向かった。
帰り際、「まる政」は数日前に行ったからと思って別のラーメン屋に寄った。それなりに美味かったが「まる政」のような感動は無かった。「まる政」に行けば良かったと少し後悔した。
このようなミスが発覚した時に、なぜそういうことが起きてしまったのかについて私はすぐに理解した。身に覚えがあった。
昨年の記憶が飛んでいるのだ。
何となくそのような自覚はあったのだが、確定申告の年度を間違えた時に、いよいよそれは確信に変わった。
私の中で昨年の記憶が飛んでいる。確かに飛んでいる。
おそらくそれは無意識の自己防衛なのだ。
昨年は、年が明けてから早々にコロナ騒動に見舞われた。元々右肩下がりに少しずつ減少傾向にあった演奏やレッスンの仕事が、緊急事態宣言によってとどめを刺されたかのように一気に無くなった。
ぽっかりと、時間だけが残った。
その時間を自分なりに前向きに捉えるようにした。
これまでサボってきた基礎の見直し、幅広い意味でのジャズの勉強、それから作曲を中心とした作品づくり。
そういうことに時間を費やすことにした。
家から自転車で数分のところにある実家の一室を借りている仕事部屋に朝からずっと篭り、夜まで一日ピアノを弾いて過ごす。夜の21時には切り上げて、家に帰って少し酒を飲んで寝る。また起きたら仕事部屋に行って夜までずっとピアノを弾く。終わったら帰って酒を飲んで寝る。
ひたすらこの繰り返しの日々を過ごしていた。というか、今も一週間の内の半分ほどがこういう生活だ。
同じような日々の繰り返しが、私の時間感覚を狂わせていた。気付けば一週間が経ち、気付けば一ヶ月が経ち、気付けば一年が経っていた。
緩やかに静かに精神が狂っていっている自覚はあったが、まさか確定申告の年度間違えでそれを思い知らされるとは少々驚きだった。
ライブが一つキャンセルになるたびに「大丈夫です!こんな時だから仕方ないです!」と返信して自分でもこれは仕方のないことなのだと思い込ませていたが、実際には私はそのことで随分傷ついていたのだ、多分。
どんどんと世界からこぼれ落ちていく。どこにも居場所が無くなる。誰からも必要とされなくなる。
そんな恐怖を「大丈夫、おれのいるここが世界だ。居場所は自分で作れば良い。必要とされなくても、独りでしっかり立っていれば良い」と励ましながら自分を奮い立たせていたが、それでも確かに私は傷ついていたらしい。
自分のことはなかなか自分ではわからない。
この文章を書いているのは新幹線の中からだ。久しぶりに京都に行ってきた。昨年の11月以来だから、4ヶ月ぶりだ。
たった二日間だったが、京都で私は少しずつ傷ついた心を回復させた実感がある。そして「やっぱり傷ついていたんだな」ということを改めて確認した。
初日はジャムセッションだった。旧知のサックス奏者の黒ちゃん(黒田雅之氏)が来てくれた。そしてやはり同じサックス奏者で、頭のてっぺんから爪先まで丸ごとジャズのデルさん(東出(あずまいずる)氏)が来てくれた。
黒ちゃんとデルさんと「ジャズ」をやった。それが良い演奏だったのかどうかはわからない。けれど持てる力を全て振り絞りながら、額に青筋を立てながら、確かに「ジャズ」をやった。
最近では初心者に優しいジャムセッションも多い。間違っても優しく受け入れてもらえるようなジャムセッション。それはとても良いことだと思う。
けれどそれとは真逆の、何十年もひたすらジャズにだけ人生を費やしてきた人たちがムキになってやるジャムセッション。そんなものにすごく心が癒された。「そうだ、こんなことをするために毎日必死になって練習してるんだ」と思った。心がとても喜んでいるのがわかった。
二日目は、京都に滞在中はいつも利用している出町柳の練習スタジオに朝から練習に行った。毎日やっている基礎練習を二時間やってから、残りの一時間は定期的にアップしているYouTube用の動画を撮った。
練習が終わってから練習スタジオのすぐ近くにあるジャズ喫茶「Lush Life」に行った。レコードを聴いてコーヒーを飲みながら店主の茶木夫婦と話していたら、サックス奏者の小原せいじさんが客としてやって来た。唯一無二の個性を持つサックス奏者だ。
小原さんとはずっと音楽の話をした。何が音楽にとって大事かということを熱っぽく話してくれる小原さんに、いちいち頷いていた。そのうち一緒にやろうと言ってくれた。とても嬉しかった。
そのうちに小原さんは釣りがすごく好きだということが判明して、そこからはずっと釣りの話をしていた。それもとても楽しい。釣りは釣りでとても楽しいのだ。
「Lush Life」を後にして、ホテルへ帰ってシャワーを浴びてから一時間ほど仮眠した。
それから先斗町の「スターダストクラブ」に向かった。ボーカルの市川芳枝さんとベースの村田博志さんとのトリオのライブだった。
始まる前についつい芳枝さんにライブ自体がとても久しぶりだからちゃんと出来るかどうか不安だとついつい洩らしてしまった。芳枝さんからは「大丈夫」と言われた。多分そう言ってもらいたくて不安を洩らしたのだ。わかりやすく甘えてしまっていた。
昼に小原さんが「その日の最初の音を出した時に"大丈夫、今日はこの音でいくぞ"と自分を信じること」と言っていたのを思い出した。
ライブは、始まってしまえばあっという間に終わってしまった。それは時間的に短かったという訳ではなくて、すごく集中して頭を使っていたから。休憩を挟みながら三時間はやっていたのだが、体感としては一瞬の出来事だった。
終わった後に腑抜けた。ビールを飲んでいたら、少しずつ現実の世界に戻ってきた。
以前からずっと会ってみたかった写真家が客として来てくれた。話したいことも色々あったのだが、いかんせん私が演奏後にはポンコツ状態に腑抜けているので、大した話は出来なかった。
店を出て、近くにある「ジャズinろくでなし」でジンを少し飲んでからホテルに帰って寝た。帰りにコンビニでレモンハイを1缶買ってきていたのだが、缶すら開けずに寝てしまった。
今、東京に戻っている。
会いたい人に会って、ずっとやりたかった音楽をやって、少しずつ立ち直っていっている。傷ついた心を少しずつ取り戻していっている。
思うに、この「書く」という行為も私にとっては自分を保つ手段の一つだ。たまに書くと楽しい。
京都に次に行くのは5月。5月27日~5月31日まで5日間演奏をさせてもらう。
5月30日(日)に京都の吉田にある小さなコンサートホール【錦鱗館】でソロピアノのコンサートをやるのだが、これに関してはジャズ喫茶「Lush Life」が全面的にバックアップをしてくれる。
コンサートの前売り予約をお店でしてくれることになった。
連絡先は
lushlifechaki@yahoo.co.jp
09019090199
こちらまで。
14:00open
14:30start
3000円
その時までになんとか少しでも良い演奏が出来るように。
今日からもう一度再スタート。
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