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2020年5月25日 (月)

私にとって必要なもの、不必要なもの。あなたにとって必要なもの、不必要なもの。

久しぶりにブログでも書いてみる。

このコロナ騒動の煽りを受けて閉店に追い込まれるジャズクラブやライブハウスが幾つも出ていると聞く。

寂しい思いや悔しい思いもある。またそういうお店は私たち演奏家の「職場」的な面もある。実質的に困る、というのもある。

一つ、個人的な結論としては「店が潰れてほしくない、何とかしたい」である。


東京都からの休業要請にも優先ランクがあるようで、音楽系のお店はその最下層、最も優先されない位置にいる。
このままいけばジリ貧で体力が尽きてジ・エンドという所も少なくないだろう。各所、クラウドファンディングやグッズ販売、テイクアウトのランチ営業を始めたりしながら生き残りの知恵を絞っている。
また、休業要請の緩和に向けた署名などもネットを中心に広がっている。良いことだと思う。
実際、いわゆるロック系のライブハウスと我々が主戦場にしているジャズ系のお店では事情もだいぶ異なるし「音楽系のお店」を十把一絡げにして休業!と断ずるのはどうかなとは思うのだが、おそらくそこまでの詳細な実情把握には時間を割けないのだろう。

現状についてのまとめだ。
・音楽系のお店はほぼ全て休業状態にある
・各所生き残りの知恵を絞っている
・都の休業要請の優先順位は最下位
・それに対しての反対署名などが盛り上がっている

ということである。

以上のことに対して私は音楽の現場で働くいわば「音楽組合」の一員なので、もちろんお店が持ちこたえてほしいし私たちに演奏の場が戻ってきてほしいしレッスンやレコーディングもできるような状態に戻ってほしい、また音楽によって金銭を稼いで生活がしたい、という気持ちがある。当たり前だ。当たり前過ぎる当たり前であり、当面の切実な願いだ。

ここからが今日の話の本題。


音楽の世界にいると忘れがちなことであるが、この世の中には生活の中に音楽なんて一切必要ないという人はたくさん存在するのだ。

これは「音楽」の部分を他のものに置き換えても良い。
本など一切読まなくても全く問題ない人。
酒を飲まなくても人生は十分にハッピーな人。
甘いものを食べなくても人生を損しているとは感じない人。
そんな人たちは世界にはたくさんいるだろう。

酒や甘いものに関しては「酒を飲めないなんて人生の何割かを損しているようだ」という酒飲みサイドからの上から目線な意見が飛ぶことがあるが、飲まない人からすれば「全然損してないから心配ご無用」ということであり、その際に酒飲みは「そうか、おれにとっての大切な酒は他の人にとっては全然大切でないということもありえるのだ」ということを知らねばならない。

音楽ももちろんそうだ。

音楽に関わる人々の多くはもちろん音楽が好きだからそこにいる。それが自分たちにとって必要と感じているからだ。

しかし、そうでない人も大量にいるのだ。

音楽の世界にいると「音楽というのは生活に潤いをもたらす上で絶対に必要なものである」という考えに囚われすぎる。

また、ここにおいて最悪なのは「音楽は文化的で高尚なものなのだから、それを理解しない必要としない人間は劣っている」という視点だ。
こうやって書くと「そこまで傲慢で偉そうなやつなんていないだろ」と思うかも知れないが、実は結構いる。具体的な言葉を挙げるのは避けるが、そういう人間の多くは、とてもポジティブな言葉でそれを語る。しかしその背後にある非理解者への差別意識が垣間見えた時に私は強烈な嫌悪を覚える。
「いやいやいや、音楽を必要としない人にだって価値があるよ、何言ってるんだ」と。


少々音楽界隈の人間について批判的になりすぎたが、私はどこまでいっても「音楽界隈の人間」である。
例えば音楽を必要としない人々に「ライブハウスなんてものは現状で危険なだけなのだからずっと休業のままで良いし、何ならそのまま潰れてしまっても構わない」と言われれば、ちょっと待ってよ、となる。
それを必要としない人がいるのはわかるが、それを必要としている人も同様に存在する。必要とする人からすれば、それは何とかして存続させたい場所なのだ。
先ほども言ったように、私は音楽系のお店には何とか存続してほしいと願っているし、また再び音楽で金を稼ぎ生活をするような日常に戻りたいと心底から願っている。


ではパチンコ屋や雀荘などはどうだろうか。
私も若い頃にはそういう所に随分と通ったが、今は端的に言えば「なくなっても構わない存在」だ。別にこの世からパチンコ屋や雀荘がなくなった所で、一抹の寂しさこそあるものの実質的に生活が困るわけではない。
しかし、だからと言って「パチンコ屋や雀荘など無くても構わないのだからこのまま休業を続けて何なら潰れてしまえ」というのはおかしくはないだろうか、と思うのだ。
そこが必要という人間もいるし、音楽界隈からの目線から「音楽は高尚でギャンブルは下劣、だから潰れるべきはギャンブル場であるべきだ」という意見を聞くと、首を傾げざるを得ない。
そのような視点にこそ音楽業界も逼迫させられているのだ。


何とかして私たち音楽家の「場所」を守りたいと考えた時に、一番必要になってくるのは「私にとって不必要な場所も存続してもらう」ということなのかも知れない。
私にとって必要な場所だけが価値があり、私にとって不必要な場所には価値がないという視点は、例えば似非愛国者が口にする自国の安全の為なら他国の安全は犠牲になっても構わないという欺瞞にも似ている。


音楽を必要としない人々が必要とする「別の場所」がある。
それを私たち音楽家が「そんな場所は必要ないよ」と言ってしまうのは、まさに私たちが「音楽なんて必要ないよ」と言われてしまう残酷さとイコールだ。


本当の意味での相互理解というのは不可能なのだと思うが、相互尊重は可能である。
決して理解し得ない「他者」を想像し、尊重する事こそ、今窮地にいる私たちに求められていることなのではないだろうか。

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